四人目
触ってはならないところを触られてしまった。一発で男だとばれてしまう、そんな場所だ。
璃々はベッドの中で固まっていた。
俺はそんな彼女から少しだけ体を離して、頭にかぶっていたウィッグを取った。
「……っ!」
璃々が驚きのあまり固まってしまった。俺の姿を見て、すべてを察したのだろう。
「だましていたことは認める。でも傷つけるつもりはなかった。それだけは……信じてほしい」
「こ……声、は?」
「ああ……」
俺は例のネクタイピンを外した。
「こういう魔具のせいだ。信じてくれないかもしれないけど、本当に悪かったと思っている。璃々を馬鹿にしたりするつもりはなかった。許してくれ……」
「…………」
き、気まずい。
璃々は俺を罵ることもなく、かといって逃げ出すこともなく、ずっとベッドの中から動かない。
俺はそんな彼女を見つめながら、ただ気まずいだけの時間を過ごしていた。
「どうして……」
やがて、璃々はゆっくりと口を開いた。
「今日は、どうしてこんなことをしたんですか?」
「こんなこと?」
「お姉さまと私を引き離したいなら、昨日の時点で私を突き放せばよかったはずです。どうして、あんな食事会を開いて私を慰めたんですか?」
そうだな。
確かにあの時、俺は逃げ出すこともできた。
近衛兵は俺に味方した。つぐみははっきりとNOと言った。璃々がどれだけ傷つこうが、もうミーナは必要なかったのだ。
でも――
「俺だって良心がある。クラスメイトが落ち込んだまま自分だけ逃げだすなんて……できなかった」
そう、思った。
しばらくの沈黙が続いた。
重苦しい空気の中、最初に動いたのは璃々だった。
璃々は俺にウィッグを被せた。
「……?」
「私は、ミーナさんのことが好きです」
決意を孕んだ彼女の瞳が見えた。
「ミーナさんに抱いたこの想いを、偽物にしたくない! たとえミーナさんが……あの下条匠だとしてもっ!」
「璃々……」
「私を……抱いてください。ミーナさんの子供が産める。こんなにうれしいことはありません」
そう言って、璃々は再び俺に抱き着いてきた。彼女の柔らかな二の腕と胸の感触が、俺を弥が上にも昂らせていく。
「璃々っ!」
いがみ合っていたこともあった。
殺すとか死ねとか言われたこともあった。
でも今、俺の胸で熱くなり吐息を漏らしている彼女は、いつもと違って小動物のようにかわいかった。彼女も俺の中にミーナを見ている。
俺たちは今、この時互いを認め合い、愛し合った。
「……あ、ミーナさん、ミーナさんの声が好きなんです。お願いです」
「わかった、分かったから」
俺はネクタイピンをネクタイに着けた。これで俺の声はミーナになる。
こうして俺たちは…………。
俺は璃々と熱く激しい時を過ごし、夜が明けた。
朝帰りだ。
今は璃々と一緒に、勇者の屋敷へと続く道を歩いている。
またやってしまった。
乃蒼は俺が何をやっても許してくれそうな気がするが、このことを話さずにおくのはあまりに不誠実だ。
隣の璃々は、俺から目をそらすように木や小鳥たちの様子を見ている。顔は緊張して不安そうだ。
気分転換に、手とかつないだ方がいいかな?
そう思い、彼女へと伸ばした俺の手は――
ぺちん、と払われた。
「触らないでくれますか?」
「え?」
「いやらしい目つきで見ないでください。死にたいんですか?」
まるでゴミムシを見るような目つきで、俺のことを睨みつける。それは俺の知っているいつもの彼女だった。
あ、あんなにベッドの中で愛し合ったのに……。
「あっミーナさん……」
璃々は先ほどまでとは打って変わって、あわてたように頭を下げた。
「許してください。下条匠の声や顔を見ると、どうしてもつい脊髄反射で罵ったり剣で切りつけたくなるんです。でも、ミーナさんはミーナさんなんです。私はミーナさんが好きですから」
それはあれか? 俺に俺でいるなと言いたいのか? それは本当に俺を愛していると言えるのか?
「ミーナさんを好きなこの気持ちは本物です。私と一緒に寝るときは、女装してくれると嬉しいです」
「…………、善処する」
屋敷に近づくと、門の前に人影が見えた。
乃蒼、つぐみ、鈴菜だ。
つぐみには遅くなると伝えてはいたのだが、朝までというのは予想外だったらしい。三人とも、不安げな様子で立っていた。
だがさすがに俺の婚約者たちだ。俺たちを一目見て、何が起こったのか理解してしまったらしい。
いや、理解されても困るんだがな……。
三人が駆け寄ってきた。
「柏木さんの部屋、用意しますね」
乃蒼が瞳をキラキラと輝かせながらそんなことを言った。仲間が増えてうれしい、といった感じらしいが、俺にはその思考回路がよくわからない。
「よかった、浮気じゃなかったのか」
鈴菜は安心したようにそう言った。
「浮気って?」
「君の部屋から誰のものかわからない長い黒髪が見つかってね。僕たちは……いや、この分だとつぐみは違うか、とにかく不安だったんだ」
俺は今女装しているわけじゃない。だがウィッグの髪と璃々の髪は見るからに違う別物だ。
璃々はありていに言えば百合。そして璃々と俺が仲良くしているところを見て、女装の件をなんとなく察したということか。そしてつぐみの思惑も……。
さすがは天才だ。
「あ……あわ……あわわわ……」
つぐみはいつになく狼狽していた。どうやら俺と璃々がくっついてしまったことは計算外だったらしい。
いや、その気持ちはよくわかる。俺だってこの展開は予想してなかったからな。俺も7時間前まで内心で『あわあわ』って思ってた。
「お姉さま」
璃々はつぐみに改めて向き直ると、俺の腕に抱き着いてきた。
「私、この男のこと、好きなので!」
この男って……。なんでそんなに刺々しい言い方なんだよ。もっとデレデレしてくれててもいいじゃないか?
「私は三人目だ。今更誰かに文句を言える身分ではないからな。璃々の好きなようにすればいい」
つぐみの言い方だと、文句を言える一人目は乃蒼ということになる。しかし彼女は嬉々として璃々の部屋を掃除しに行った。許すとか許さないと質問するだけ無駄だろう。
「今日はもうこんな時間だ、私は官邸に行かなければならない」
「僕は研究所で」
「私も官邸ですね」
「俺は……そうだな、ちょっと一紗のところに顔を出してくる。っとその前に部屋掃除してる乃蒼にも声かけとくよ」
みんながそれぞれの目的地へ向かおうとした……その時。
「ん?」
道の奥から、誰か走ってくるのが見えた。
近衛兵の一人だ。
つぐみがまだ官邸にいないこの時刻。おそらく夜に建物周辺を警備している兵士の一人だろう。
「大統領閣下にご報告申し上げます!」
重要な話らしい。俺たちに聞こえないようにと、そっと耳打ちをしている。
報告を受けたつぐみは、びくん、と一瞬だけ唇を震わせて、近衛兵を城に帰らせた。
「どうした、何があった? 俺も聞いていい話か?」
こくり、とうなずいたつぐみが、その事実を俺に告げた。
「一紗が……行方不明になった」
え……?
風雲急を告げる展開に、俺は思わず息をのんでしまった。
この次に別視点の話を挟んで近衛隊編は終わります。