聖女の活動
地下牢から戻った俺は、すぐにつぐみへと報告した。
加藤が鉄格子を壊したこと、〈創薬術〉を使用したこと、そして一紗によって元の世界に送り返されたこと。
当の一紗はこの場にはいない。泣き止んでいたが、気分がすぐれないからと家に帰ってしまったのだ。
「つぐみは知ってたんだよな? 一紗が、元の世界に帰るための魔具を持ってたって」
「ああ……」
頷くつぐみ。山のような書類に目を通している彼女は仕事中。今日も俺の屋敷に帰るのが遅くなると思う。
「どうして教えてくれなかったんだ? あ、いや、責めてるわけじゃないぞ? 何か理由があったんだろ? それを教えてほしいだけだ」
「……あれを手に入れたのは、今よりもずっと前。まだ匠が冒険者ギルドで働いていた頃だ。たった一つ、元の世界に帰れるアイテム。一紗はこれを巡って争いになることを懸念していた」
……確かに、そうだな。
あの時点でそんな話を聞いていたら、俺はこう言うだろう。『居場所のない乃蒼を元の世界に戻してやってくれ』ってな。
もちろん、一紗が取ってきたものは一紗のものだ。俺だって一紗が納得してくれなかったら、彼女が帰るのを見送るだろう。
でもやっぱり、わだかまりは残ると思う。
一紗がいなくなったら、迷宮で魔族を倒すのも一苦労だ。りんごや雫は、メインで敵を倒すタイプじゃないしな。やっぱり『見捨てて帰った』ってイメージができやすい状況だったと思う。
苦労する仲間たちを見捨てて逃げかえる。一紗にそんなことはできない。
あいつは、あれで優しいからな。
「俺が間違ってたんだな。つぐみの言った通り、加藤を死刑にしていれば……」
「いや、私も再生薬の件に目がくらんで、進言を聞き入れてしまった。匠だけのせいじゃない……」
あの魔具を持つことこそ、一紗にとっての希望だったのかもしれない。
今回の件で、その希望が打ち砕かれてしまったわけだ……。
そりゃ泣きたくもなるだろうな……。
ま、一紗のことだ。しばらく放っておいたら元気になるだろう。
今は、余計なことをせずにゆっくりと休ませてやろう。
もっとも、あの魔具を使って本当に元の世界にちゃんと帰れるのかどうかは不安が残るが……。そういう意味では、加藤のその後が微妙に気になる。
アメリカとか中国に飛ばされたらどうするんだろ? いや、ちゃんと元の教室に戻ってるのか?
なんだか考えれば考えるほど不安になってきた。
まあ、目の前にいるつぐみは加藤がその後どうなろうが興味なんてないだろうけどな。死刑の手間が省けたと思ってるぐらいかもしれない。
大体、大人しくしてなかった加藤も悪い。自業自得だ。
「加藤の再生薬はどの程度完成してたんだ?」
「瓶14個分、と言ったところか。70……いや100人は手首を治せるだろうな」
100人か。
かなり多いとは思う。実際、これで多くの人が救われるだろう。
でも当然ながら、全員をカバーするには足りない。一気に解決、とはいかないか。
そういえば、亞里亞が被害者を宥めるために国中を回ってたんだったな。
あっちの方はどうなっているのだろうか?
――グラウス共和国北方。
聖女アリア――こと細田亞里亞は辺境の村へとやってきていた。
山間部に位置する貧しい村だ。人口は500人に満たないだろう。
辺境であることが災いして、中央からの伝達が遅れたこの地では、鈴菜のブレスレットが多くの被害を出してしまった。
もともと行政の手の届きにくい僻地だ。その恨みつらみをフェリクス公爵に煽られ、一部の男女が一揆のようなものを企てている……という報告が入っている。
村の中心に位置する、大きなカシの木がある広場へとアリアはやってきた。
「わたくしはアリア! アスキス神聖国所属、『異邦人の聖女』アリアですわ」
清らかで澄んだ声が、周囲に響き渡る。もともと何人か人が集まっていたが、彼女の声を聞きつけた人々もまた……足を止めて寄ってくる。
聖女アリアは誰もが認める美少女。ベールから漏れる金髪は、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
ある種の神聖さを持つ彼女だ。人目を引くには十分すぎるほどの人材だった。
「お……おおぉ……聖女様」
住民がひれ伏した。彼らはアスキス教の信者ではないが、周囲に控える教会騎士たちを見て彼女の偉さを認識したのだろう。
「皆様方、どうか慈愛と平和の心を……」
手で十字を切る。アスキス教の信仰表現だ。
「そちらのお方。こちらにいらっしゃってくださいな」
村長と思われる男性が、こちらに近寄ってきた。
アリアはあらかじめ持っていた薬を、彼に手渡した。つい先日、つぐみから派遣された使者によって手渡されたものだ。
再生薬、という常識ではありえない効果を持つ秘薬だ。
「これは被害にあった方を治す薬ですわ。手首を再生することができますの。勇者である匠様が、あなた方のためにレグルス迷宮から見つけ出してくれたもの」
と、アリアは言う。
実際のところ、これは迷宮で手に入れたものではなく加藤が生み出したものだ。しかし、彼はもはやこの世界にいない。もう二度と手に入らない、と思われたら困るのでこのような方便も必要だ。
「不幸にあわれた皆様方、心中お察し申しあげますわ。ですがどうかご理解ください。すべての女性は男性に奉仕する存在! その女性が怪我したからと言って、争ったり暴言を吐いたりするのは間違っていますわっ! わたくしたちには、そのような価値はないんですの」
アスキス教は男尊女卑。アリアは自らの主張が正しいことを信じて疑わない。
一部の男女が怪訝な面持ちでアリアを見ているが、そんなことは気にしない。
「勇者匠様に、深い感謝を……」
聖女アリアは祈りをささげた。
たとえ多少言動がおかしかったとしても、聖女の発言にはそれなりの影響力がある。
手首、そして心に傷を負った女性たちは……彼女の清らかな姿を見て大いに癒されるのだった。
そしてそれに付随して、匠の名声は高まるばかりだった。