クリストファーの予言書考察
突如として神を諫めた天使――ホワイト。
これまでずっと俺を苦しめてきたこいつは、間違いなくエリクシエル側の天使だったはずだ。
何が起こってるんだ?
「ほ、ホワイト。何のつもりですか?」
「それはこちらの台詞ですな」
ホワイトは椅子から立ち上がり、周囲を見渡した。
そこには、これまでずっと俺たちの様子を見世物のように眺めていた……天使たちがいた。
「我々はこの勝負が神聖で、公平なものだと聞き及んでおりました! むしろ我々の方が不利であると。これはエリックの弔い合戦であると! であればこの絵は何か! エリクシエル様は、試合の結果を知っておって我々を焚きつけておったのですかな! 馬鹿にするのも大概にされよっ!」
エリクシエル、散々俺たちを煽ってたもんな。予言で未来を知ってたからなんだろうと思うけど、こうして負けてしまった今となっては逆に恥ずかしい話だ。
ホワイトも、そしてこの周囲で俺たちの様子を見ている観客の天使も、この綿密な未来予知については全く知らなかったはずだ。分かりきった試合を見ても面白くないし、興奮もしない。俺たちを観戦していたあの熱気は、八百長試合ではとても説明がつかなかった。
軽率なエリクシエル……。すべてはこのターンごとのテーブルを書き記した予言書が原因。これさえテーブルにぶちまけなければ……同じ負けたにしてもこれほど非難されるほどのことではなかったと思う。
盲目的に言書のことを信頼してたんだろうな。そんな当たり前のことに気が付けないほどに、この敗北と言う結果が信じられなかったということか。
まあ……俺も未だに夢見心地なんだが……。
「うるさあああああああああああい! お前たちに何がわかる! すべての力は私が与えたもうたもの。私の与り知らないこのような結果は、不正そのもの――」
「喝っ!」
ホワイト諫める言葉はあまりに強く、蚊帳の外である俺たちも思わず震えてしまうほどだった。
直にくらったエリクシエルは、創世神形無しというほどに呆けている。
「我らが神よっ! これ以上醜態を晒さぬよう、改めて忠言申し上げる」
「…………」
エリクシエルは黙り込んだ。
ホワイトも何も言わなくなった。
代わりに、観客席から罵声が聞こえるようになった。
「ふざけんなああああああっ! 何がエリック様の奇跡だ! 馬鹿にしやがって!」
「そこの人間がかわいそうだろうが!」
「卑怯者!」
観客席に、紙くずや小石が投げられた。エリクシエルに向かって。
みんな、俺に味方してる?
俺は〈神軍〉とエリックの一件があって以来、天使というのものに悪い印象を抱いていた。奴らは多くの人々を殺し、怪しげな薬を使って洗脳し、そして俺の屋敷を襲撃した。
だがここにいる奴らは、エリックなんかとは明らかに違う。奴やエリクシエルは一切の妥協を許さなかったことを考えると……明らかに異常だ。
好戦的な奴らほど、前線に出たがる。ここでぼんやりと俺たちの姿を観戦してる天使たちは、敵でも味方でもない……中立の存在だったのかもしれない。
そういえば、ここに来て以来あからさまな敵意を感じることが少なかったもんな。俺たち……思ったほど嫌われていなかったのかもしれない。
「……ぐ、ぐう……う……ぎ……ぐ……ぐ……ぐ……」
自らの劣勢を悟れないほど、エリクシエルは馬鹿でなかったらしい。何かをこらえるように、必死に歯ぎしりをしている。
そして――
「……ふふ、これほど狼狽してしまったのは、魔王に攻められたとき以来でしょうか」
ついに、冷静さを取り戻したようだ。
「認めます。私たちの敗北を。天界はあなたたちを勝者と認め、地上侵攻を諦めましょう」
「ほ、本当か?」
「神聖な勝負で決定された決着です。異論をはさむつもりはありません」
観念したように見えるエリクシエル。
公正さを訴えるホワイト。
俺たちに味方する天使たち。
今、地上が追い詰められているこの状況で、わざわざ俺に嘘をつく理由はない。罠だとは考えにくい。
俺たちは……本当に勝ったのだ。
平和を……掴み取ったのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「やるじゃねえか、人間っ! 見せてもらったぜ! いい戦いだったっ!」
「見直したぜ。おめでとうっ! おめでとうっ!」
観客席の天使たちも、俺たちの雄姿を称えた。
こうして……長きにわたる俺と天界の戦は……完結したのだった。
*************
人類勝利。
創世神敗北。
衝撃的な結果をもって終結した、人と神との戦い。
生まれてくるはずだった子供が残した、美しい奇跡の物語。
下条匠はそれで納得した。観客は感動した。エリクシエルは涙を呑んで認めざるを得なくなった。
だが勝利を称える大衆の陰で、ただ一人疑念を抱いている者がいた。
「トゥートゥトゥトゥトゥー」
未来の正天使、クリストファーである。
観客席の隅に、彼は座っている。
聖術の代償として言葉を失ってしまったクリストファーは、その心中で深く考えていた。
なぜ、エリクシエルが敗北してしまったのかを。
(…………なぜだ?)
クリストファーは未来を読む。テーブルにぶちまけられた未来予知の絵は、確かに彼によって描かれたものだ。
彼の能力が違えたことはない。予知した未来はほぼ100%的中する。未来を知ったエリクシエルが激しく介入して初めて、未来をほんの少しだけ変えることができる程度だ。
たかが人間、それも未来を知らぬ者が予言を覆すことなど……普通に考えれば不可能だった。
「…………」
もちろん、予言書は万能ではない。しかし魔王ですらこの未来予知に抗うことはできなかったのだ。
もっとも、魔王はあまりに強すぎた。未来を読めるアリはゾウから逃げることができるかもしれないが、ゾウ自体を殺すことは不可能だ。
クリストファーがどれだけ未来を読んでも、エリクシエルが魔王に勝てることはなかった。
だがあらかじめ敗北の未来を示されていた魔王の時とは違い、勝利の結果が覆されたのはこれが初めてだ。
ゆえにクリストファーは激しく好奇心をそそられた。これはエリクシエルへの忠誠ではない。すべてを知る者として……知らない事を看過することはできないのだ。
未来とは、過去が積み重なって出来上がった結果である。
クリストファーは過去を変えることはできないが、未来という結果が起こった原因である過去を知ることはできる。予言書に記された未来から、過去に至るまでの長い因果の根を遡り……変化の起点を探り出す。
簡単な作業ではない。しかし好奇心にその身を委ねたクリストファーは、多少の労力など気にもしなかった。
「………………」
クリストファーは過去へと潜る。
〈エンジェル・フェザー〉、エリックの死、ヨーランの反乱、巨人の襲来、ゼオン、マリエル、イグナートの死、魔族大侵攻、異世界人の帰還、そして……。
(見えたっ!)
クリストファーは真実をつかみ取った。
それは、まだエリクシエルが動きを始める前。魔王が死んだしばらく後。
何者かが、未来を歪めた。
その男はスキルを使って島原乃蒼の子供を殺した。
(御影……新)
時間操作、と名付けられた彼のスキルが、世界の未来に干渉した。クリストファーの読んだ未来は歪められ、子供が死んだ未来が完成した。
(時を操る能力者……)
クリストファーの未来予知。
御影新の時間操作。
時間に関する力であるということは似ている。
だがクリストファーの能力はあくまで未来を読むだけ。御影新のように対象の時間を操ることはできない。
そしてたとえある物体の時間を進めたり巻き戻したりしたとしても、それはあくまでスキルの範疇だ。聖術とはエリクシエルの力、すべてのスキルの上位互換であり、クリストファーが御影新に出し抜かれるはずはない。
何かが狂っている。
この御影新を起点として、何か恐るべきイレギュラーが発生した。そのせいで盤石の未来予知が狂い、エリクシエルは敗北した。
クリストファーは考えを重ね、ついに一つの結論を導き出した。
(この男は……まさか……世界を?)
クリストファーが身震いした。
それは、神であるエリクシエルですら行えなかった……奇跡の御業。ありえないことだが、そうでないと未来の改変は説明がつかないのだ。
だが同時に、クリストファーは安堵した。
この男がこの場にいれば、すべての未来が歪められ……天界は大敗北を喫していただろう。最大の脅威は魔王であり、御影新であったのだ。
彼が立ち去ったのこの世界では、もう関係のない話だ。
「…………」
クリストファーはすべての考察を忘れることにした。
戦いは、終わったのだ。
エリクシエルのように変なプライドのないクリストファーにとって、敗北とは興味や関心の対象でしかない。
もはや彼がこの件にかかわることは、何もないだろう。




