空の奇跡
エリクシエルは予言書という本を持っている。
ここには少し荒い絵が描かれていて、これは未来に必ず起こる出来事らしい。
かつてグラウス共和国で起こった巨人の襲来と、空を飛んで迎撃する俺たち。
玉座に座るヨーランと、屈服する王と王妃。
空を飛ぶ奇跡の正天使エリックが、奇跡の聖術を使って矢を跳ね返す姿。
そしてこの〈エンジェル・フェザー〉によるカードバトル。
予言の解釈に差が生じることもある。例えばヨーランは反乱を起こして玉座に座ったが、その後返り討ちにあって国を追われてしまった。ごく自然に考えるならヨーランが国王になっていてもおかしくない展開だったが、あの絵はその後の出来事を保障しているわけではないのだ。
今回、俺は予言を覆した。しかしその状況はヨーランの時とは全く違う。
奴は曲がりなりにも予言の状況を達成した。しかし俺たちは予言に描かれたことと明らかに矛盾した結果になってしまった。
エリクシエルはカードゲームで勝利できるはずだった。俺たちの攻撃を封じ込め、孵化によって一気にHPをゼロにする。その戦略はほぼ間違いなく達成されてしまいそうな勢いだった。
だが、俺たちは奇跡を引き当てた。
未来予知と現実との乖離。その矛盾を説明するかもしれない変化を、俺は見つけてしまった。
「これ、俺と乃蒼の子供なんじゃないのか?」
「…………」
エリクシエルの敗北によってざわついていた周囲が、再び静まり返った。
俺たちの、子供。
何を言っているんだ? と言いたげなエリクシエルや他の天使たち。事情を知る俺の嫁たちも、やはり俺の発言に戸惑っているように見える。
いち早くその混乱を脱したのは、俺のそばにいた鈴菜とつぐみだった。
「確かに、どことなく乃蒼に似ている」
「僕の娘と言うより、彼女の娘と言った方が納得だね」
「乃蒼、こっちに来てくれないか!」
俺は乃蒼を呼び寄せた。本人に判断してもらった方が一番だという判断だ。
小走りでこちらに近づいてきた乃蒼。俺たちの話を聞いていたようだから、事情は察していると思う。
エリクシエルがばら撒いた予言書の絵を見た乃蒼。その反応は……。
「空……」
瞬間、乃蒼が泣き出した。
空、というのは俺と乃蒼との間に生まれてくるはずだった子供の名前だ。
あの日、異世界転移でこの世界にやってきた俺たちのクラスメイト――御影新と戦った。当時妊娠していた乃蒼は、奴の怒りを買って攻撃を受けた。
卑劣な御影はあろうことか乃蒼のお腹を攻撃し、子供を亡き者にしてしまった。
当時の乃蒼は癒しの力を持っていなかった。いや、持っていたとしても再生薬が効かなかったほどだから、おそらく手遅れだったんだと思う。
その日、俺と乃蒼の子供が死んだ。
そのはずだった。
なのにどうして、この絵には俺たちの子供が描かれているんだ?
「まさか、俺たちの子供が……エリクシエルの野望を……打ち砕いたのか?」
なんて……奇跡なんだ。
予言は初めから間違っていた。だから俺たちは勝ってしまった。エリクシエルは勝機を見誤った。
エリクシエルは予言書を見て勝利と栄光を確信していたのかもしれない。しかし、その前提が崩された今となっては、未来の保障など何もない。
「確かに、私も一番年長の子供だから鈴菜の子供でいいと判断した。もし、私たちよりもずっと早く生まれた乃蒼と匠の子供がいたなら、そちらを推薦していたはずだ」
と、補足するつぐみ。
そ、そうだよな?
俺だって同じ考えだった。別につぐみより鈴菜の方を愛してるから、彼女の子供を選んだわけじゃない。
鈴菜もつぐみもストイックに合理的な判断を下せるタイプの人間だ。自分の娘が、息子が……ではなく勝利への道に少しでもたどり着こうと考えてくれている。
年長なら、今の状況を少しは分かってくれるかもしれない。カードを選ぶ、というお願いごとを聞いてくれるかもしれない。そういった願望が少しだけあった。
とにかく、ここに乃蒼の子供がいない時点で、予言の破綻は決定していたということになる。
「嘘ですっ!」
俺たちにとっての奇跡は、エリクシエルにとっての悪夢。
気持ちは分かるが、どうか冷静になって欲しい。
「し、死んだ人間が予言に描かれるなどと、そんなことはありえません! 私の介入なしに、ここまで予言が乖離することなどありえないのです!」
「でも奇跡は起きて、俺たちは勝った。そうだろ?」
「こ、このような結末を、わ、私は認めません! ひひっひひ卑怯ではないですかっ! 恥を知りなさいっっ!」
ひ、卑怯って……それは自分自身のことを言っているのか?
うーん、急に小物臭くなってきたな。
でも地上の災害を起こしたのはこいつで、マルクトの騒乱も〈神軍〉の件もすべてこいつが元凶だ。小物な雰囲気だけで無視できるほど生易しい存在じゃない。
少し時間をおいて冷静になれば、素直に敗北を認めてくれるだろうか?
「……我慢ならぬ」
その声を聞いた瞬間。
白い光が、予言書のすべてを燃やし尽くした。
「なにっ!」
テーブルの上に突如炎が出現した形だ。俺たちは驚いてすぐに飛びのいた。
白光の正天使――ホワイト。
これまでずっとエリクシエル陣営として、忠実にゲームに参加してきた天使の男。
しかし今はこめかみに血管を浮かせ、憤怒の表情をしている。怒りの炎に燃えた彼の目線の先には……俺たちではなくエリクシエルがいた。
「エリクシエル様、少々我儘が過ぎるのではないですかな?」
突然のその言葉に、俺たちはただ戸惑うばかりだった。




