ルールの理解
俺は〈エンジェル・フェザー〉のルールブックを熟読した。
カードは全部で五十二種類。
それぞれのカードには名前と攻撃力と能力が振られている。
名前は愛、白光、奇跡、未来などなど。聞き覚えのあるものばかり。
ちなみにこれは天界における正天使の聖術を示しているらしい。天界の正天使にちなんだゲームのようだ。
カードの中には一枚だけ特殊なものがある。神とされるこのカードには神々しいエリクシエルの絵が描かれ、攻撃力ではなくHPが記されている。
この神カードはゲームにおける主人公のようなもので、このHPが0になったら敗北と見なされる。それ以外に特に能力はない。
ゲームはターン制で進行する。自分のターンでは山札からカードを引き、そのカードをそのまま場に提示する。手に持ったままでいる手札のような概念は存在しない。
場に出されたカードは相手を攻撃か特殊能力を発動するか、二通りの選択を迫られる。ターンが終わったとき、基本的には場に出したカードは破棄される。
……大きなルールはこんなところか。
他にも細かい注意書きのようなものがいくつか存在する。できれば丸暗記したいが……どこまでいけるか……。
カードの種類とその効果については一通り目を通した。これも暗記しておきたいところだ。
俺は参加が決定付けられているため、ひたすらルールを覚えることに集中した。その間につぐみたちはルールを理解しつつ、ゲームに参加する人間を相談している。
「そっちはどうだ? 誰が参加するか決まったか?」
俺は話し合いをしている嫁たちに声をかけた。
「鈴菜と私が行こう」
答えたのは、つぐみだった。
やはり、そうなったか。このメンバーの中で一番頭が良さそうだうだもんな。俺が抜ければそこに一紗が入ったと思うんだけど、指名されてしまった以上は抜けられない。
「分かった。こっちはできるだけルールとか覚えれるように頑張ってみたけど……」
「覚える必要はないよ」
と、鈴菜が答える。
「暗記したところでどうにかなる問題ではない。そもそもルールブックを持ったまま試合に出れるからな匠は何も心配しなくていいんだ。私たちはこのゲームの要点をすでに理解しているつもりだ。フォローはするから安心してくれ」
「…………」
なんだか一生懸命丸暗記してる俺がバカみたいじゃないか? いや、実際この二人に比べてバカなんだからまったくその通りなんだけど、バカにはバカのやるべきことがあるんだということを理解してほしい。
まあでも、マニュアル見ながらでもいいって話なら、ある程度は余裕が持てるかな?
普通なら練習試合したりプレイ動画見たり、いろいろとやれることはあるんだけどな。
さっきから観客たちの目が痛い。丸一日ずっと戦略会議、とはいかないようだ。
「終わりましたか?」
俺の思考を読んだかのように、エリクシエルの問いかけが聞こえた。要するにもう時間切れということだろう。
マニュアル参照OKという破格の条件付きなのだ。あまり駄々をこねて相手の心証を悪くするのは今後に響く。
「この三人で出ることにする。それでいいよな」
「……ええ」
にやり、とエリクシエルが笑ったような気がした。予言通りの人選で嬉しかったのだろうか?
でも、今更後に引くことはできない。
俺たちは席に着くことにした。
左から鈴菜、俺、つぐみだ。
まさか……こんな形で決着をつけることになるなんてな。
本当に、思いもしなかった。
ミカエラとも戦わないといけないんだよな? やりにくいよな? 向こうだって、俺たちと戦うなんて嫌に決まって――
「ミカ……エラ……」
今にして思えば、こうしてミカエラの顔を近くで見たのは、地上で別れてからこれが初めてだったのかもしれない。
その手には打撲のような青あざ。足元からはじんわりと血が染み出し、出血。首筋には鞭で打たれた赤い跡。そのくせ顔面は蒼白で、まるで死人のようだった。
「お前ら……ミカエラに何をしたんだ?」
拷問でもされない限り、こうはならないぞ?
「愚かな裏切り者にはしかるべき報いを。エリックは我々にとってかけがえのない存在でした。一介の正天使程度ではとても釣り合わないほどにね」
「ミカエラは仲間じゃないのか! どうしてこんなことをしたんだ!」
よほどひどい目にあったのだろうか。ミカエラは完全に意識を失っている。
「ふふ、少々懲罰が過ぎて気絶させてしまったようですね。しかしもうすぐ目を覚ますでしょう。問題ありません、早く〈エンジェル・フェザー〉を始めましょう」
「は?」
俺は、本当に驚いてしまった。
エリクシエルの言っていることが理解できなかった。これからみんなでゲームをしよう、と言っている者のセリフとは思えなかったのだ。
「いやいやいや、さすがに寝たままってのはまずいだろ? あんたたちの味方なんだろ? このゲーム、一人減ったらカードも攻撃も一人分減って不利になるじゃないか? ミカエラが少し元気になるまで待った方がいいんじゃないか?」
「…………」
不敵に笑うエリクシエルを見て、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
なんだ、何を考えている? 俺たちにハンデをくれるってことか?
……いや。
後で難癖付けられたら嫌だからな。こういうところは公正にしておいた方がいいと思う。
「ミカエラ、起きてくれ。試合が始まるぞ」
俺はミカエラを起こすことにした。自分の席から立ち上がり、彼女の肩を揺らそうとそっと手を伸ばした。
「ひっ……!」
思わず、そう叫んでしまった。
冷たい。
手に当たったミカエラの頬が、尋常でないほどに冷たかったのだ。それはもはや、生き物のぬくもりを感じないほどに。
「匠?」
不思議そうな鈴菜の声が背後から聞こえる。
近づかないと分からない。ただ、怪我をしてるとか拷問を受けたとか、そんなことを想像していた俺に突き付けられた……現実。
「おま……えら、ミカエラは……もう……」
「お察しの通りです。ミカエラは死にました」
神の放った、死の宣告。
その言葉は、俺たちを絶望の淵に叩き落すには十分だった。




