創薬術の性質
迫りくる加藤。
速い。
多くの魔物と戦ってきた俺だが、加藤の動きを追うことは不可能だった。俺の動体視力を大きく上回っている。
気が付けば、宙を舞っていた。
加藤のアッパーが俺の体を浮かせたのだ。
右に、左に、加藤の攻撃をくらう俺はまるで振り子のように宙で揺れた。目で追うことができない。ただ、衝撃をその身に受けるだけで精一杯だった。
「糞っ!」
がむしゃらに剣を振り、加藤を追い払う。
「白き聖者アトランティスよ! 清き光、聖なる灯、すべての邪悪を滅ぼしたまえっ!」
魔法詠唱。
「――白き天国」
経験を積んだ俺は、第八レベルの光魔法が使えるようになった。
加藤の足元から、白く輝く雪のような結晶が舞い上がっていく。
白き天国は広範囲に及ぶ攻撃魔法である。場の標的すべてに強力な光属性攻撃をくらわせる。
今、床からキラキラと輝いているのは光魔法の攻撃範囲。
「……ちっ!」
白い閃光が加藤の体を覆った。
まるで魚を焼いているかのような音がした。加藤の皮膚を……俺の魔法が焦がしているのだ。
魔法が終わり、白い光が霧散したそこには……。
「この程度か、下条」
加藤がいた。
体が少し焦げているように見えるが、それだけだ。とてもダメージを受けているようには見えない。
光属性はアンデッドに特攻。だからといって普通の魔物や人間に効かないわけではなく、高レベルの攻撃ともあればとてもではないが耐えられるものではない。
だが加藤は耐えて見せた。何か特別な装備があるわけじゃない、魔具だってない、ただ強化された肉体のみで。
動きだけではなく防御面でも体が強化されているのだろう。これじゃあ、普通に刃物で切り付けても効果があるかどうか怪しい。
筋肉を隆起させた加藤。もはや上半身は完全に全裸、下半身はベルトに巻き付けられた薬瓶とバッジ、加えてわずかばかり残ったズボンの一部が陰部を隠している。
再び加藤が動き始める気配を見せた。またさっきみたいな攻撃をされたら、それこそ俺の命が危うい。
ここは……。
「〈白刃〉っ!」
俺は聖剣の刃を放った。
「馬鹿の一つ覚えだな下条」
自慢の肉体で、その白い刃をはじき返すつもりらしい。余裕綽々と言った様子でそれを掴もうとして……。
「がああああああああああああああああああああっ!」
白い刃は加藤の手に深々と突き刺さった。
やはり、か。
加藤は強くなった。さっき魔法が効かなかったことを見ても、それは明らかなことだ。
でも、聖剣は強い。魔族にも対抗できる人類の切り札なんだ。
加藤の肉体強化は、聖剣の力まで追いつかなかったのだ。
俺は〈白刃〉を可能な限り放った。
強化された加藤の体だが、腕や足へと徐々にではあるが傷が溜まっていく。聖剣の攻撃が効いているのだ。
だが加藤も俺の攻撃を察している。薬やバッジに刃が当たらないようにしている。
このまま、聖剣で押し切れないか?
「調子に乗んじゃねーぞおおおおおおおおおおおおおお下条!」
加藤はいたるところから血を吹き出しながらも、未だ倒れていない。
例の治療・再生薬を使っているからだ。
でも、それだけ。
薬だっていずれは尽きる。そうなったら……加藤の終わりだ。
「……もういいだろ? 大人しくしてくれないか?」
「……へ、へへへっ、へはははははははっ!」
不意に、加藤が不気味な笑い声をあげた。
その声に、俺は徐々に緊張感を高めていく。
まだ、終わっていない。
「わりぃな下条。俺ぁもう切れちまったぜ」
なんだ?
加藤の体から、白い湯気のようなものが……。
「もう遊びは終わりだ。赤岩やてめぇ、他のクラスメイトどもを連れて帰りたかったんだがなぁ。下条、てめぇが悪いんだぜ。こんなに抵抗しちまうから、俺を怒らせちまったっつーわけだ」
湯気のような煙は爆発的に増加している。
「即死性の毒薬だ。こいつをこの城……いや、この国全体にばら撒いてやるぜ。耐性のある俺以外、もう終わりだ! 死ね、死ねよ屑どもがああああああああああああああああああああああああああああっ!」
猛烈な勢いで、加藤の体から白い煙が噴出していく。
まずい! まずいぞ! 早くこの場から……いや、待て、つぐみを連れて逃げないと……。
いや、そもそも逃げる場所なんてあるのか? 加藤はこの国全体を滅ぼすつもりなんだぞ? 俺たちだけ逃げ出して、それは本当に許されることなのか?
ああ……駄目だ。早く逃げないと……。
この国が……滅び……。
………………。
………………。
………………待て。
本当に、そうなのか?
「……そんなことはできない」
俺は聖剣を加藤に向け、そう言った。
「おいおい、下条。俺ぁやるっつったらやるぜ? っつーかもうやってんだがな。逃げても無駄だぜ。必ずこの薬が国を覆い……逃げ道をなくす」
「…………」
「俺の〈創薬術〉は最強だ! 俺の思いのまま、欲望のまま、好きなだけ薬を作れるっ!」
「いつでもどこでも好きなだけ強い薬を作れるなら、なぜ腰に瓶をぶら下げてる?」
「……っ!」
そう。
薬を保存しておく必要なんてないんだ。いつでも生み出せるなら、必要になったら作ればいい。
わざわざ瓶にぶら下げて、誰かに盗まれたらどうするんだ?
「それにさ加藤君、ここに来るの遅かったよな?」
「……? 遅かった? 意味わかんねぇ。何がおせーんだよ」
「たとえばその着てる服、こっちの世界のものだよな。それに俺やつぐみの事情も詳しく知ってた。いろんな薬を自由に作れる最強無敵の存在なら、何も知らず何も準備せずにここへ来れたんじゃないのか?」
加藤は短気な奴だ。すぐ切れてすぐ手を出す。そして、つぐみへの執着は並大抵のものじゃなかった。
だからこそ、不自然だ。
この加藤が悠長に異世界のことを学んで、瓶を装備して準備万端でここにやってくるという……その事実が。
「お前はこの世界に来てから、ずっと薬を作ってたんだ! だからここに来るのが遅れた! 準備が必要だったからだ!」
「…………」
「お前は一度に、大量に、強い薬を作ることはできない! その白い気体はただの見掛け倒しだ!」
実を言うと、絶対そうだと思ってるわけじゃない。
加藤には加藤の考えがある。もしかすると、初めからこの国を滅ぼそうとしていた可能性だって……ないわけじゃない。
だけどどのみち、俺の予想が外れていたらもうこの国は終わりだ。
どうせ終わるかもしれない命。なら、希望に賭けて突き進んでみるのも悪くない。
俺は加藤から噴き出した白い蒸気に突っ込んだ。
加藤が言う通りなら猛毒。俺が死んでしまってもおかしくない、そんな状況。
痺れる。
だけど、その程度だ。
明らかに、威力が弱い。
俺の予想は正解だったのだ。加藤が生み出したこの薬は、俺を戦闘不能にさせるほど強い物じゃない。
極めて脆弱なしびれ薬。
走り抜けた先には、加藤がいた。
「下条おおおおおおおおおおおおおおおおっ! ああ、そうだそうだぜこの糞野郎が! 全部てめぇの言うとおりだ!」
「……っ!」
加藤の拳が俺に炸裂した。
「はっ」
余裕の加藤は、俺に馬乗りした。
薬のせいで大きくなった加藤の体は、予想外に重かった。まるで巨大な岩で押しつぶされているかのような錯覚を受けてしまう。
「油断し過ぎだぜ下条。身体能力なら俺の方が上。魔法だろうが聖剣だろうが、こうして拳が届く範囲なら、俺ぁてめぇに負けねーぜ……。終わりだ」
終わり……か。
確かに……そう、だよな……。
「……お前の、な」
手を突き出した、俺は……。
「動くなっ!」
そう、加藤に言い放った。
「な……なんだ」
加藤はあからさまに狼狽を示した。
動けないのだ。
体をプルプルと震わせ、まるで何かに耐えるかのように顔を歪める加藤。体を動かそうとしているが、しかし意に反して筋肉が全く反応しないらしい。
「忘れたのか加藤、俺も異世界人の男なんだぞ?」
突き出した俺の手は――加藤の腰、ベルト近くに触れていた。
そこには、光り輝く緑色のバッジがある。
そう、加藤は〈創薬術〉を使うためにこいつを身に着けていた。異世界人がスキルを使うために必要な、このバッジを。
俺はバッジに触れ、固有スキルを発動させたのだ。
――〈操心術〉。
相手を操る魔法の力。
「加藤達也、俺に従え」
「…………ああ」
加藤はそう言って頷いた。いつかのフェリクス公爵みたいにいかにも操られた風の仕草ではなく、表情や振る舞いは彼そのもの。しかし、今殴りかかって来ないというこの状況こそが、俺のスキルが効いていることを最もよく表している。
……終わった。
加藤は俺の支配下に入ったのだ。