最後の門番
首都に侵入したエリックは、何の抵抗もなく前進を続けていた。
多くの兵士たちが襲い掛かってきたが、エリックにとって大したことのない相手だった。『奇跡』の能力を発動させるまでもなく、魔法だけで対処できるほどだ。
それほど広さを確保できるわけでもない首都。攻めてくる敵は限られており、何より兵士たちは避難を優先している。もはや野外戦のように潤沢な兵士が広範囲で攻撃してくる戦いは終わったのだ。
エリックは逃げ惑う民衆を追いかけ、門の外に出た。
追いつこうと思えばすぐに追い抜ける。しかしエリックは彼らを殺すつもりはない。
彼らは勇者下条匠を頼り、屋敷に向かっている。その屋敷を破壊し、人類の希望を絶つことこそエリックの目的なのだ。
「止まれっ!」
人気のなくなった並木道。エリックの前に立ちはだかったのは、勇者下条匠。
「お前をこれ以上進ませるわけにはいかないっ!」
「威勢だけはいいな。命を助けてやると言ったのに、聞き分けのない奴だ」
「黙れっ! お前の好きにはさせないっ!」
「解放、魔剣ナーゲルっ!」
エリックは腰に下げていた魔剣をつかみ取り、起動させた。
「……お、お前がなぜ魔剣をっ!」
「俺に襲い掛かってきた兵士が落としたものだ。この国ではそう珍しいことでもあるまい」
エリックの魔法はかなり強力だ。それゆえにわざわざ聖剣・魔剣の力に頼る意味はあまりない。
しかし人類にとって聖剣・魔剣は強力な武器。それをエリックが使いこなせるということは、威嚇という意味では十分効果を発揮する。
「〈白刃〉っ!」
「無駄だと言っている」
エリックは己の能力――『奇跡』を発動させ、下条匠の〈白刃〉を跳ね返した。
と、同時に魔剣ナーゲルの攻撃を加える。
「う、うああああああああああっ!」
反射と魔剣。二つの攻撃を対処しきれなかった下条匠は、魔剣の力によって弾き飛ばされてしまった。
下条匠は奇跡の聖剣ヴンダーを持っている。本来であれば、エリックと同様に攻撃を跳ね返すことができるはずだ。
しかし、エリックの放った同時攻撃は、完全に下条匠の虚を突いていた。奇跡を起こすその聖剣だが、認知の外では発動しない。
自動的に発動するエリックの『奇跡』と比べれば、どちらが優れているかは明らかだ。
「ふん、懲りない男だ。俺の気が変わらんうちに、諦めることだな」
「く、くそっっ!」
下条匠は立ち上がろうとして、地面に倒れこんだ。
大怪我というわけではないが、エリックがそれなりに力を込めた打撃だ。そのまま体に受けて無事で済むはずがない。
死にはしないが、しばらくは動けない。
最強最大の敵、下条匠は打ち破った。
兵士たちの心は砕いた。
例の爆弾はもはや数が足りない
もはやエリックを止めるものなど何もなかった。
勇者の屋敷を、燃やす。
盛大に火柱を立て、この都市の住人にしら示す。
救国の勇者、下条匠が敗北したのだと。
人々は絶望し、そして戦意を失うだろう。本人を直接倒すよりも、こういったパフォーマンスの方が戦略的には有効だ。エリックは大昔の大戦のおり、そういったことを学んだ。
エリックは門の前に立った。
ここを通れば、屋敷の敷地だ。
「アウッ!」
「む……」
耳障りな声を聞こえたので、目線を落とす。
庭を駆けこちらに向かって全力疾走しているのは、兵士でもなければ子供でもない。小さな白い子犬だった。
敵意に満ちたその瞳。その小さな脳でも、エリックが敵だと理解しているのだろうか?
「……くくっ、最後の門番がまさかこのような犬畜生とはな。人間も落ちるところまで落ちてしまったということか」
エリックは失笑を禁じ得なかった。
まさかこのような出迎えを受けるとは思ってもみなかったのだ。
門番としてはあまりにあまりに弱小。百歩譲って成犬ならまだしも……足首程度の背の高さの子犬だ。踏みつぶせばただそれだけ圧死してしまうだろう。
否、こちらから攻撃する必要すらない。エリックには完全無敵の『奇跡』があるのだ。攻撃はすべてはじき返されるだけだ。
どれだけ体当たりしても、敵にたどり着けない。下等な生物の愚かな脳では何が起こっているかすら理解できないだろう。
エリックは迫りくる子犬を無視して、屋敷への歩みを進める。
だが――
「アオオオオオオオンッ!」
「なにいいいいいいいいいいいいいい!」
エリックは驚愕に震えた。
あらゆる攻撃の確率を捻じ曲げ反射する、エリックの聖術――『奇跡』。子犬はその力に弾き飛ばされ、エリックの元にたどり着くことはできない。
そのはずだった。
だが、子犬は奇跡の効果発動範囲を乗り越え、エリックに肉薄した。
「なっ、なぜ……俺の奇跡が?」
理解できなかった。
別にこの子犬に殺されるとは思っていない。だが、奇跡が発動しないこの状況は、万が一の可能性すら……。
「ぐっ!」
弾けるような刺激に、思わず顔を顰める。
子犬が足に噛みついてきたのだ。
「こ、このおおおおおおおおおおお! 人間以下の下等生物があああああああああああああっ!」
エリックは足を振り回し、子犬を追い払おうとした。しかしその愛くるしい見た目とは裏腹に、がっちりと噛みついたその牙は肉から離れようとしない。
魔法を使えば自分も巻き添えだ。物理的に追い払う以外方法がない。
「俺は正天使っ! この世で最も尊くそして強い存在! 貴様のような愛玩動物に傷をつけられたなど、恥以外の何物でもないわっ!」
「アウウ……」
「死ねっ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねっ!」
エリックは子犬を地面に叩きつけた。
出血し、骨を痛めているはずの子犬だが、一向にエリックから離れる気配はない。
「くそっ! 俺は何をしているのだ! このままでは……」
「……エリック」
「なっ!」
背後から聞こえたその声に、エリックは心臓を殴打されたかのような衝撃を受けた。
勇者――下条匠。
エリックの攻撃をくらい満身創痍……のはずの彼だったが、剣を杖代わりにしてここまでやってきたようだ。
「や、止めろおおおおおおおおおおおっ! 今はよせ! こ、この犬が犠牲になってもいいの――」
「――〈白刃〉」
下条匠が聖剣を使った。
放たれる刃は、当然のようにエリックのもとへと迫りそして――
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
エリックの肉を引き裂いた。
手首、加えてわき腹を切断したその一撃は、即死ではないものの明らかに致命傷。崩れ落ちたエリックは、もう子犬を振り払う力も残っていなかった。
「これが……この子犬が、貴様の友だと……仲間だというのか? ミカ……エラ?」




