立ち去ったミカエラ
全力で走り出した俺は、屋敷の外へ出た。
ミカエラに真実を告げるため。
間に合うのか?
ミカエラが出てから、俺はしばらくつぐみと話をしていた。ミカエラも走っていたから、追いつくのに時間がかかってしまうかもしれない。
もっと恐ろしい可能性は、ミカエラが空を飛んでエリックの元へと向かうこと。こうなれば俺には手が出せない領域だ。
……と、心配していたがその懸念はすぐに払しょくされた。
ミカエラは、俺の庭にとどまっていた。
「くぅーん」
なんだか知らないが、子犬のモコがミカエラの足にしがみついている。
ミカエラはおろおろとしながらモコを離そうとしているが、うまく振り切れていない状況だ。
……ったく、何なんだよ。お前はこの国の命運を左右する重要な使者なんだぞ? それをそんな子犬に引き留められたからって、こんなところで足を止めるなんて……。
とはいえ、この子を戦場に連れて行ったら殺されてしまうかもしれない。ミカエラの不安は当然のことだ。
「ミカエラっ! 待ってくれっ!」
「え……」
驚いたミカエラが、モコをふり払う足を止めた。
間に合ってよかった。
「ごめんっ!」
開口一番、そう言って俺は頭を下げる。
「その降伏の証さ、仕掛けがあるんだ」
「え? ……仕掛け?」
「中に爆弾が入ってるんだ。エリックを攻撃するための仕組みだ」
「…………」
突然言われて、意味を理解していないミカエラ。しばらく思考が停止していたんだと思う。
しかしやがて俺の言葉が意味することを理解したのか、顔から血の気が引いていった。
そうだよな。
こんなもの渡したら、ミカエラは完全に戦犯だ。エリックが生きていてもいなくても、大目玉をくらってしまう。
「騙すようなことを言ってすまなかった。俺も、みんなもさ、人がいっぱい死んで、国を壊されるかもしれないと思って……ピリピリしてたんだ。謝っても仕方ないと思うけど、恨むなら……戦いに負けた俺を恨んでくれ」
「私は……騙されていたのですね」
王冠の箱を抱え、小刻みに身を震わすミカエラ。怒りか、悲しみか? 今の俺に彼女の心を推し量ることは難しい。
「いいんです下条さん。こんな愚かで馬鹿な私ですけど、今が戦争中であることは理解しています。エリックはそれだけひどいことをしているのです。あなた方の反応は当然です」
「ミカエラ……」
「あなたたちの置かれている状況は……理解しています。ですがごめんなさい。やはりそれでも、あなたたちに協力することはできません」
「……そう、だよな」
ミカエラは俺たちに同情的。しかしそれでも自分の陣営を裏切るほどのことはできない。
正直に話をしたからといって、事態が好転するとは思っていなかった。
「私にとってエリクシエル様がすべてなのです。同族殺しは天界最大の禁忌。あのエリックでさえこのルールは守っているほどです。あたがたの窮地には同情していますが……それでも……私は……」
「いや、いいよ」
これ以上、彼女に酷な話をさせるべきではない。
人殺しは犯罪。なら天使殺しだってそうなる。そんなことが分からないほど馬鹿じゃない。
「俺だって急に人類裏切れなんて言われても無理だからな。たとえどんな悪い指導者や仲間が近くにいたとしても……」
「…………」
分かってた。
ミカエラならそう言うだろうってな。
本当は縋りついてでも協力を頼むべきなんだと思う。俺たちは追い詰められている。このままじゃあ絶対に負けてしまうんだ。
でも……駄目だ。
もう……ミカエラを説得できる気がしない。
「ありがとうございます下条さん。あなたのおかげで私は救われました。エリックがあなたを殺さないと言った以上、この戦争が終わった後は……私も全力であなたに恩返しをします。曲がりなりにも正天使です。天界ではそれなりに融通が利くのですよ?」
「……ああ」
正直、この戦いが終わった後のことなんて考えていない。
ミカエラが翼を広げた。
「行くのか?」
「はい。もう……私にできることは何もありません。ここにいても余計な希望を抱かせ……迷惑でしょう? 私は天界に帰ります。戦いが終わるまで、もう何もしません」
「……それが、いいだろうな」
それだけ返すのが、精いっぱいだった。
王冠の入った箱を地面に置き、ミカエラが飛び去って行く。俺は手を振りながら、ぼんやりとそれを見ていることしかできなかった。
「くぅーん」
モコは真剣にミカエラの足にしがみついていたが、今度の彼女は容赦がなかった。勢いよく体を揺らし、しがみついていた子犬を振り払う。
この間は、これで踏みとどまったのに。
決意の深さが垣間見れる。
自分を……疫病神か何かと勘違いしてなければいいんだが……。
……ああ。
ミカエラがいなくなっていった。
俺は……なんてことをしてしまったんだ。
鈴菜もつぐみも、真剣にこの国のことを考えてくれていた。ミカエラを陥れることになっても、その先には確かな正義があった。この国を救うかもしれない……希望の光だった。
それを……俺が台無しにした。
「……正義って、難しいよな」
正義、という単語で思い出す。
こんな時、エリナだったらどうしてただろうか?
「…………」
決まってる。
敵に向かって突っ込むんだ。何も考えず、勝ち負けなんか関係ない。ただ感情のおもむくままに敵を倒す。ただそれだけ。
ああ……そうだ。
俺にできることは、それしかないんだ。
ミカエラが無謀な説得を試みたように。
美織が無茶を承知で避難の手伝いをしたように。
そして、名も知らぬ兵士たちが命を散らしているように。
俺は戦うしかない。
たとえその果てに、死が待っていたとしても。
俺は駆け出した。
勝機は……ない。




