エリックの到達
東の門に駆けつけると、美織が襲われていた。
どうやら〈神軍〉の関係者としてスパイ扱いされてしまったらしい。まさかそんな心無いことを言う人間がこの国にいるなんて……思ってもみなかった。
放っておけば美織は危なく、そして場も収まらない。俺にできることは、彼女をその場から連れ出すことだけだった。
あとはひよりや近衛隊の人たちが場を収めてくれるはず。
「……ったく、なんなんだあいつらは……」
美織だって一生懸命頑張ってるのに。それをスパイだとか天使だとか……あんまりじゃないか。
まあアスキス神聖国の時みたいに、卑猥な言葉を浴びせなかっただけましか。つぐみの教育が行き届いているということかな?
適当な裏通りにたどり着く。今は避難中ということもあり、こういう場所には人っ子一人いない。
俺は抱っこしていた美織を地面に下ろした。
「美織、ああいう人の言葉をあまり本気にするなよ。みんな気が立ってるんだ。エリックを倒せなかった俺のせいでもあるからな」
「あたし、必要ないのかな?」
ぽつり、と呟いたのはそんな言葉。どうやら先ほどの件が相当参っているらしい。
「みんなの役に立ちたかった。少しでも罪を償いたかった。でも、やっぱり許されないのよね。あたしは……それだけのことをした」
「美織……」
このまま、どこかに消えてしまうんじゃないか。
そんなはかなく弱々しい空気を醸し出す美織を見て、俺の不安は増していくばかりだった。
「そんなわけあるかよ」
「え?」
「俺は美織が手伝ってくれて嬉しかった! 練習してた必殺技さ、乃蒼の助力もあったけどちゃんと使えたんだ。美織が一緒に練習してくれたおかげだ!」
「でも……あたし……」
「俺は美織に感謝してる。ひよりだって一紗だってつぐみだって、みんなみんなお前がかえって来てくれて喜んでるんだ! 必要ないとか許されないとか、そんな悲しいこと言うなよ」
「……下条君」
「お前はエリックに騙されてただけなんだ。何も悪くない! いや、悪いとか悪くないとか、そんなこと関係ないんだ! たとえ美織が天使でも悪魔でも、俺たちは味方だって言いたいんだ」
……俺は、言いたいことを言った。
美織に信じて欲しかった。俺たちが彼女のことを信じていると。仲間であると。
「あたし……人殺しよ?」
「ああ……」
「なんかすごい笑いながら、罪のない人いっぱい殺してた。それででもいいの? 気持ち悪くない?」
「大体さ、そんなこと言い始めたらうちの大統領はなんだって話だよな。美織も知ってるだろ? 笑いながら貴族を死刑にしてたぞ? ……あ、いや、笑ってたかどうかは知らないけどな」
「ふふ、何それ。赤岩さんに告げ口しちゃうわよ?」
「……え? いやちょっと待て、それはマジでやめてくれ。俺が殺される」
本気でないとは信じているが、もし万が一そんなことになってしまったら困る。
「どうしようかな~」
意地の悪い笑みを浮かべた美織は、ゆっくりと俺へと近づき……腕に抱き着きてきた。
「美織?」
「好き……」
「え?」
「あたし、下条君のこと好き……」
「み、美織……」
こ、こんな時に何言い出すんだよ。
「下条君の気持ち、伝わったわよ。恋愛感情じゃないかもしれないけど、あたしのこと……信じてくれてるって」
「み、美織……」
「あたしも、下条君のハーレムに立候補して……いいかな?」
そう言って、美織は瞳を閉じた。
ほんの少しだけ突き出された唇。ほのかに温かい吐息と、桃色に染まった頬。
気が付けば、俺は自然に美織へと引き寄せられていた。
彼女の唇に、俺の唇が重なる……その時。
「ゆ、勇者殿! お逃げ下さい!」
いつの間にそこに来たんだろうか、兵士の一人が空気を読まず声をかけてきた。
飛び跳ねるように距離をとる俺たち。ちょっと恥ずかしかった。
だが文句を言うつもりはない。明らかに切羽詰まったその表情を見て、俺は気を引き締めざるを得なかった。
「すでに例の天使を名乗る男――エリックが門まで到達しました。ここはもう危険です。防壁を破ってでも都市の外に……」
「な……なんだって!」
冷静に考えてみれば、当然のことだ。
俺たちは最後の決戦に負けた。そこは首都からとても近く、これ以上防衛することができないと判断できるほどだった。
現に俺は馬にも乗っていないのにここに帰ってくることができた。その程度の距離なんだ。
し、仕方ない。たとえ勝てないと分かっていたとしても、俺の力で少しでも足止めに協力して――
「わ、分かった。俺も今すぐ……」
「……待て、匠」
本当に心臓に悪い。
次に声をかけてきたのはつぐみだった。おそらく、この兵士と一緒に後ろからついてきていたのだろう。
「つぐみ、どうしたんだ?」
「奴を、エリックを倒せるかもしれない作戦を思いついた。屋敷に戻ってくれないか?」
作戦、か。
本当にあのエリックが倒せるかもしれないのか?
「いや、待ってくれよ! もうあいつこの都市に入ってきてるんだろ? もう作戦とか練ってる時間なんてないんだ。すぐに助けにいかないと」
「……匠、少し厳しいことを言わせてもらうが、匠が行ってどうにかなるのか?」
「うっ……」
そ……それは。
確かに、冷静になって考えてみればつぐみの言うとおりだった。
俺が頑張って完成させた〈千刃翼〉の同時起動は、エリックによって防がれてしまった。まだ鈴菜の完成させた爆弾の方が安定して威力を発揮できる。
俺は……失敗したんだ。
もとから、俺に意見できる余地なんてなかった。
「……分かった、俺にも話を聞かせてくれ」
「時間がないのは私も承知している。急ぐぞ」
「美織も一緒に来てくれ、屋敷の方が安全だ」
「分かったわ、ひよりも連れてくる」
「念のため、私の護衛も向かわせておこう」
細かな段取りを決めて、俺たちはすぐに屋敷へと向かったのだった。




