目覚めた美織
勇者の屋敷、客室にて。
俺の屋敷は部屋が余っている。なぜか無駄に広すぎるこの敷地は、はっきり言って完全に持て余している状態だ。
当初は幽霊屋敷と言っていいほどしんと静まり返っていたが、璃々が来て、一紗が来て雫が来てりんごが来て、いつのまにか大所帯となってしまった。
それでもなお部屋が余っているというのだから、規格外のこのサイズには呆れてものが言えない。
そんな屋敷の余り部屋の一室。
簡素なベッドの中には、玉瀬美織が眠っている。
〈神軍〉として暴れまわっていた彼女は、小鳥の活躍もあり見事生け捕りにすることができた。一応は乃蒼のハイルングによって回復させてはみたが、気を失ったときのままずっと寝ている状態だ。
「美織はどうだ? 目を覚ましたか?」
ベッドのそばに控えていたひよりへ、そう問いかける。彼女は姉のことを心配して、今までずっとそばで様子を見ていたのだ。
「ダメです。お姉ちゃん、目を覚まさなくて」
「……そうか」
乃蒼の力で体は回復しているはずだから、健康には問題ないと思うんだけど。やはり聖杯による精神汚染が何らかの影響を及ぼしているのだろうか? 武器は取り上げてあるから、多少暴れたとして問題はないと思うけど……。
「分かってるとは思うけど、あのエリックはこっちに向かってる。聖杯を飲ませたのはあいつだ。人間の命なんてなんとも思ってない。俺たちがもし奴を倒せなかったら、逃げてくれ」
「下条さん……。ごめんなさい、私たちが……」
「いや、誰のせいでもないさ。もとはと言えばあのエリックが……」
「……ん、ううん」
と、話をしていた俺たちに聞こえてきたのは、くぐもった美織の声だった。
「お姉ちゃん!」
「美織っ!」
まさか、こんなタイミング良く目を覚ますなんてな。
俺は無言のまま剣に手を当てていた。
聖杯とはある種の洗脳薬。もし、美織にまだその影響が残っているのだとしたら、再び暴れ始めるかもしれない。
武器は取り上げているが、万が一あるかもしれない。俺が見極める必要がある。
「うう……ん? ひより? あれ……あたし」
「お姉ちゃん! 分かる? 私だよ、ひよりだよ」
「頭が……痛い。エリック様は?」
どうやら、俺の杞憂だったようだ。暴れないところを見ると、洗脳が解けているようだ。
小鳥の件を思い出して、やっかいなことにならないかと心配してたんだが……。
でも小鳥の場合は、あの魔剣ベーゼが関わっていたからな。意思を持って洗脳を企てていた奴と違い、聖杯はただの薬だ。ヒーリングで癒されれば、それで毒も抜けてしまったということか。
「美織、俺のことは分かるよな?」
「あれ? 下条君? 久しぶりよね。最近連絡しなくてごめんね、実はあたしたち……運命の人に出会って」
「う、運命の人?」
「エリック様、って言うの。あたしたちの出会い、聞きたい? 聞きたいわよね? あれはそう、凍えるような冬の世界で……」
美織は目をキラキラとさせながら、エリックについて語ってくれた。要約すると、カッコイイ人に助けてもらったということらしい。
エリックの話からしなければならないのか。これは……少し面倒かもしれないな。俺視点だとどうしても悪口の連呼になってしまう。反発は避けられない。
「美織……」
「待ってください下条さん、私が話します」
俺の心情を察したのか、ひよりが俺の口をふさいだ。
身内の話なら美織も素直に聞いてくれるかな?
しばらく、ひよりが説明をしていた。
徐々に青くなっていく美織の表情を見て、俺は不安を隠せなかった。
「…………」
しん、と静まり返る室内。
俺も、ひよりも、そして美織も誰も喋らない。
なんて声をかけたらいいのか分からない。この繊細な少女の胸の中に、いったいどれだけの不安や悲しみが渦巻いているのだろうか? 想像できなかった。
「夢、じゃなかったのね」
と、そう呟いた。
「……分かってたのか?」
「うん、ぼんやりと、夢を見てるような感じで。エリック様に赤い液体をプレゼントされて……。どうしてこんなことしてるのか分からなかったけど、でも、体が自由に動かなくて……どうしようもなかった。エリック様も、助けてくれなかった」
美織は両手で自分を抱きかかえるようにして、うずくまった。泣いているのかもしれない。
「美織は悪くない。深く考える必要なんてないんだ。全部あのエリックが悪い」
「そうだよお姉ちゃん。お姉ちゃんは何もしてない。全部体を操られてただけなんだから。あの人がみんな悪いんだよ」
「……そうよね」
と、答えてはくれるが声に覇気がない。変に反論しないだけましではあるけど……。
エリックも面倒なことをしてくれたな。こんなにかわいい女の子の気持ちを……踏みにじるなんて……。
悪くない、ということは簡単だ。しかし彼女のようなごく普通の少女にとって虐殺なんてあまりに酷。周りがどれだけ慰めたとしても、心の中では癒されていないに違いない。
何か、少しでも彼女の罪悪感を紛らわす方法はないだろうか?
「美織は聖剣使えたよな? だったら俺の修行手伝ってくれないか?」
それで、美織の気分が良くなるのかどうかは分からない。
誰かが必要としているという事実を、教えてあげたかった。
……あ、美織は病み上がりみたいなもんだったよな? こんな話は今するべきじゃなかったかもしれない。
「うん、やるわそれ! あたしそれ、手伝いたい」
「……そ、そうか。ありがとう。とりあえず外にいるから、気がむいたら来てくれ。無理しなくていいからな」
「大丈夫よ、すぐに行くわ!」
う……うーん。強要してしまったようで申し訳ない。




