モコの贈り物
勇者の屋敷近郊、森にて。
木々に覆われたこの場所は、用のない人間が足を踏み入れるような場所ではない。屋敷の付近は近衛隊が警備をしているものの、全域をカバーするには至っていなかった。
そんな森の中を、一人で歩く少女がいた。
愛の正天使、ミカエラである。
「…………」
下条匠に会いに来た……わけではない。
彼にはエリクシエルの件を報告しなければならない。ミカエラはそのために、この屋敷から天界へと戻ったのだから。
だが、結果は惨敗。
エリクシエルは誰がどう見ても悪人だった。エリックの方が彼女の意を汲んでいたといっても過言ではない。
ありのままを報告すれば、『エリクシエルは悪だった』という他ないだろう。
しかしミカエラにとってそれは気の重い作業だった。
さんざん、エリクシエルの尊さを訴え続けてきたのだ。今更手の平を返して悪口を言えるはずがない。
多くの人が死んだ。そして下条匠とその嫁たちすら傷ついてしまったのだ。もはや謝って済まされる問題ではないのだ。
下条匠に……会わす顔がなかった。
ミカエラは近くの森を歩いていた。
下条匠にエリクシエルのことを話さなければならない。しかし、足が進まない。
結果としてミカエラは森の中をうろうろしていた。そうして何かが解決できるわけではないが、時間を稼ぐことしかできなかった。
(いつまでも……こうしているわけにはいきませんね)
ミカエラとて子供ではない。こんなところで泣きそうになっていても、助けてくれる親などいないのだ。
意を決したミカエラは、ゆっくりとその足を前に進めていった。先ほどまでぐるぐると回っていた範囲から抜け出し、森の外へと向かっていく。
光が差してきた。
外だ。
森の中から出てきたミカエラであるから、当然屋敷の正門へとたどり着くはずはない。ここは屋敷の裏手だった。
意を決して足を前に出したミカエラだったが、またしても不安がこみあげてきた。
ふがいない自分に、匠たちは何と言うだろうか?
ミカエラに味方はいない。エリクシエルも、エリックも、半天使もヨーランも、そして下条匠でさえ彼女の敵なのだ。
この苦しみを、誰にも打ち明けることなどできない。
独りぼっちだ。
「にゃー」
「にゃー」
「にゃー」
陰鬱な気持ちに浸っていたミカエラを現実へと引き戻したのは、そんな猫たちの声だった。
木の陰に隠れ、そっと声の主を探る。
三匹のネコと、白い子犬。
白い子犬には見覚えがある。
モコ、と名付けられた子犬だ。ついこの間、ミカエラを引き留めるように足にしがみついていたことは記憶に新しい。
ミカエラには、彼が猫にいじめられているように見えた。
「…………」
イヌとネコ。普通のイメージならイヌが強いように思えるが、事実はそうでないらしい。ネコは三匹な上、モコは子犬だからなおさら弱いのだろうか。
「にゃー」
「にゃー」
「にゃー」
子猫たちはモコを囲んで、鳴き声を発している。
その姿が、天界で劣等生と言われ馬鹿にされていた頃の自分と……重なった。
「…………」
見ていられなくなったミカエラは、足でゆっくりとその子猫たちを追い払った。
「「「ニャッ!」」」
さすがにミカエラ相手にかみつく気はないらしく、ネコたちは一斉に逃げ去っていった。
「くぅーん」
「あなたも……一人なのですか?」
同類を見つけたような気持だったのかもしれない。
もっとも……この屋敷にはモコの飼い主がいるのだ。彼は下条匠や島原乃蒼に愛されているはず。だとすれば、厳密な意味では同類とは違うのかもしれない。
ミカエラはモコを抱きかかえると、そっと木の幹にもたれかかった。
「う……うぅう……」
ミカエラは、泣いた。
こみあげてくる気持ちを、堪えることができなかった。
「なんで……どうして……エリクシエル様。私のことが必要だって、美しい花だって褒めてくれたのに。私は……あなたのことを……ずっと、尊敬して、愛していたのに……」
頬を伝う涙は滝のように地面へと流れ落ちていく。
こんなことは、誰にも言えない。
味方のいないミカエラに、弱音を受けとめてくれる者などいない。周りは敵だらけなのだ。
「……ご、ごめんなさいね。言葉、分からないよね」
だからこそ、こんな弱音を吐くことができたのだが……。
「アゥ……」
ペロリ、とミカエラの頬を舐めるモコ。
それはまるで、涙をぬぐうように。
「慰めて、くれるのですか」
「アウッ!」
こくん、とモコが頷いたように見えた。
ミカエラは、胸が温かくなっていくのを感じた。
言葉も知らぬ子犬の悪戯だ。大した意味などないのかもしれない。
けど、それでもミカエラは信じたかった。モコが自分を慰めてくれているのだと。自分の……味方でいてくれるのだと。
「アウッ」
突然、ミカエラの胸元から飛び出したモコは、そのまま自分の犬小屋へと戻っていった。
「ハッハッハァ」
戻ってきた時、モコは口にあるものを咥えていた。
骨、だった。
何かの動物の骨。おそらくは餌となる肉にこびりついていただろう。
モコにとってそれはお気に入りだったらしく、何度も噛んだ跡が残っている。
モコは口から骨を離し、ミカエラの前に置いた。
「これを、私に?」
「アウッ!」
「プレゼント?」
「アウッ!」
自分の大事な骨を、ミカエラにくれるらしい。
「…………」
ミカエラは思う。
天界では劣等生だと蔑まれいた。
地球では任務だからと友達を作らなかった。
そしてつい先日、最愛の主にひどい言葉をもらった。
思えば誰かから愛された記憶はない。誕生日を祝われたことも、何かを成して褒められたことも、プレゼントをもらったこともない。
そんな彼女にとって、モコのソレは初めての贈り物だった。
「……嬉し……い」
それは、ミカエラに初めてできた……友達だった。




