雫とりんごの妊娠
雫とりんごが妊娠した。
最初に発覚したのは雫だった。一紗と同じように体調不良からの発見となったのは、隣でつわりに苦しんでいる一紗をずっと見てきたゆえだろうか。
そのすぐあとりんごの妊娠が発覚した。これもまた雫の報を受けて自分もと思ったのかもしれない。
正直なところ、この不穏な気配が漂っている情勢で子供をその身に宿してしまったことは、危険なことなのかもしれない。
しかし雫は妊娠六週、りんごも妊娠六週とのことだ。誤差程度でほぼ同時期だったということ。
平和な時期が長すぎた。彼女たちが子供を授かったときは、逆算してもまだヨーラン将軍の反乱が起こる前だったからな。
自重しろと言われても難しい時期だった。
勇者の屋敷、雫の自室にて。
俺、りんご、雫は部屋の中に集まっていた。
別に三人集まろうと言ったわけではない。雫の様子を見るため部屋にやってきたら、たまたまそこにりんごがいただけだ。
二人は仲がいいからな。
雫の部屋はあまり飾り気のない殺風景な場所だ。最低限の椅子、机、ベッドが設置されているがそれだけだ。
雫、いつも何して過ごしてるんだろうな? 本も花もぬいぐるみも何もないぞ。夜は俺の部屋で寝ているからともかくとして、昼間はずっと冒険者ギルドで働いているのだろうか?
「あっ、たっくん」
「ふんっ」
笑顔で手を振ってくるりんごと、腕組みしながら窓の外へ視線を逸らす不愛想な雫。反応が対極的だった。
「しずしずとりんごのこと、聞いてきてくれたんだよね?」
「聞いたよ、子供を授かったんだよな? 家族が増えて嬉しいな」
「そうそう、えっへん! りんごのおかげだよ。りんごは偉いのだ。たっくんもありがとね」
「りんごは偉いと思うけどソイツは偉くない。腰を振ってただけのただの種馬だ。むしろ私たちに感謝して土下座するべき」
「…………」
お……落ち着け。
雫は妊娠しているのだ。あまり変なことを言われてたからと言って反論してはならない。特に妊娠初期は女性自身も戸惑いが多く……情緒不安定な側面も……。
いや、こいつの場合妊娠する前からすでに毒舌吐いてたか。あまりこの件は関係なかった……。
「……と、とにかく様子を見に来たんだけど、大丈夫そうだな。これから冒険者ギルドはどうする? もし負担に思ってるなら、俺から断りの話を伝えておこうか?」
世界が平和になって以来、雫とりんごは冒険者ギルドで働いている。別に働かなくてもこれまで蓄えた金で一生暮らすこともできるのだが、俺と一緒で無職のままタダ飯食っていることに耐えられなかったらしい。
それはとても殊勝な心掛けだと思う。体が万全の状態ならそのまま続けて欲しかったのだが、もうそんなことは言ってられない。
最近はいろいろと物騒な空気が漂ってきている。俺としては部屋で大人しくしてほしいと思っているのだが……。
「少し早すぎないか? 私はまだ……」
と、不満顔の雫。いつもの『俺に何となく反発』といった子供のような跳ね返りではなく、本当に不満に思っているらしい。
「分かってる。でもさ、最近はヨーランの件もあって、暗殺の話もあった。正直あまり空気は良くないと思う。万が一のことを考えて、ここは少し先手を打っておいた方がいいんじゃないかと思うんだ。俺のおせっかいだと思うなら、無理にとは言わないんだけど」
「…………」
雫が黙った。
これは軽口ではない。本当に二人のことを心配して言っているのだ。
「……たっくんの言うとおりだね。うん、それ、お願いしてもらっていいかな?」
「……りんご」
「しずしずもそれでいいでしょ? お腹のことも考えて」
「りんごがそういうなら……」
しぶしぶ、といった様子だが雫も納得してくれた。
もはや遠出の依頼は受けないようにしているとはいえ、冒険者ギルドにもいろいろあるからな。万が一のために手を打っておいて正解だったと思う。
二人の中で冒険者ギルドがどんな立ち位置だったかは知らない。『生きがい』なんて言葉は言い過ぎにしても、悪いとは思っていなかったはずだ。
それを俺が奪ってしまったわけだ。少し申し訳なさは感じる。
と、悶々としていた俺だったが、不意に手から暖かい感触を覚えた。
りんごだ。
りんごが俺の手を握っていた。
「りんごはね、たっくんの子供をもらえて嬉しいよ」
「りんご……」
あまり彼女たちの前で変な顔を見せたらダメだな。俺は二人の間に生まれる子供の父親になるんだ。もっと堂々としていないと。
「りんごは優しいからな。無理しなくていいぞ。二人とも、何か辛いこと、手伝ってほしいことがあったら何でも言ってくれ」
「なら今度から私の命令にはすべて従え。目の前の雑草を食べろと言ったら『はい、雫様!』と言って喜んで牛のようにむしゃむしゃと食い散らす、そんな絶対忠誠を誓え。ククク……明日からが楽しみだ」
「やっぱりお前からの命令はなし。りんごのだけ聞いておく」
「なんだと!」
こいつは本当に命令してきそうだから困る。
「しずしずはね、本当はすごくうれしいんだよ。今のは照れ隠し。だから気を悪くしないでねたっくん」
「て、て、て照れ隠しなんかじゃない! 私は……」
「はいはい、しずしずいい子いい子……」
と、雫をなだめるりんご。
陽菜乃みたいに扱われてるぞこいつ。大丈夫か?
「ま、まあ一般的な手伝いなら何でも言ってくれ。部屋の掃除だってする。家具を動かしたり、りんごみたいにケーキは焼けないけど、この前身に着けたドラゴンフィッシュが……」
「美味しいけどあれはいい。体に悪そうだからな」
「うっ……」
た、確かに。
ドラゴンフィッシュ、唐辛子とか油とか体に悪そうだからな。。妊婦にはあまり多く食べさせない方がいいかもしれない。
おいしいものが体にいいとは限らない。ラーメンとかフライドポテトとかハンバーガーとか、何となく体に悪そうなものに限って食いたくなったりするからな。
妊婦は臭いに敏感になるとも言うし。一紗は大丈夫だったけど、りんごや雫がいるときは気を使った方がいいかもしれない。




