ドラゴンフィッシュ
勇者の屋敷近郊、森林地帯にて。
俺の屋敷は森林地帯を切り開いて作られている。周囲には手つかずの森や山が散在しており、よい意味でも悪い意味でも自然を味わうことができる。
グラウス共和国の主都と言っても、この世界の文明レベルは魔法を除いてたかが知れている。都市を一歩出ればそこは魔境(俺の屋敷周辺は除く)。魔物を含め多くの危険生物が潜んでいるこの場所へは、特に用事がない限り足を踏み入れてはいけない。
そんな森の中に俺が足を踏み入れたのは、散歩でも警備でもなく、明確な目的があってのことだった。
「ここか……」
俺は額の汗を拭った。
小さな山を抜けてたどり着いたその場所は、ごくわずかではあるが森の木が切り取られ、開拓されている。中央には丸太で建てられたログハウス。井戸のようなものもあり、人が暮らすのには十分だ。
そう、俺は今日……ここに来るため森の中を歩いていたのだ。
すべては……そう、俺のお手伝いプロジェクトのため。
ドアをノックしようかと考えていたら、ログハウスから一人の老人が現れた。
別に忍んでここにやってきたわけじゃないからな。足音か何かで気が付いたのかもしれない。
「ふぉふぉふぉ、こんな辺鄙な場所に迷い人とは、珍しいのう。ふもとに帰りたければ、あの大きな赤い山を目指してまっすぐ行けば――」
「あんたが『炎の仙人』か?」
ぴくり、と老人の眉が動いた。
ただの老人とは思えない、鋭い殺気のような気配。やはりこの人はただものではない。
「これは……あんたが作ったんだろ?」
そう言って俺が懐から取り出したのは、焼き魚の串だった。
『ドラゴンフィッシュ』の異名をとるこの焼き魚は、独特のタレを使った製法が大変な美味とされ、首都では知らぬものがいない名産品だ。
誰が作ったかは秘密とされ、売っているお店でも誰も教えてくれなかった。
だからここにたどり着くまでに少し苦労した。
通称――炎の仙人。
人里離れた森の中で、『ドラゴンフィッシュ』を焼き上げ、店まで卸している。自分で店を持てば大儲けできるはずなのだが、そんなことには興味がないらしい。世捨て人か?
ともかく、その焼き魚の味だけは一級品。
ただ魚を焼くだけではない。そこには確かに……技術が存在していた。
「俺にこの焼き魚の作り方を教えてくれ」
「……勇者殿には、必要ないと思うがのぅ……」
俺のことを知っていたか……。
「俺は勇者だ、英雄だとおだてられているだけの男だ。家のことはほとんど何もできない。せめてこの焼き魚をマスターして、家族と……成長した子供たちを喜ばせてやりたいんだ。俺の舌が訴えている! あんたの料理ならきっとみんなが喜ぶ! 俺にはあんたしかいないんだ! だから頼むっ!」
「…………」
老人は、俺を値踏みするような視線を浴びせている。
金ならいくらでも払うとか、宝石を渡すとか、そんな俗物っぽいセリフで頷いてくれるとは思えなかった。
俺は認めさせなければならないんだ。この老人に、俺の熱意を。
良い夫になるという決意をっ!
「ワシの修行は厳しいぞ? それでも良いか」
「はいっ!」
何度も死線を潜り抜けてきたこの身。
たとえつらい修行であろうとも、耐え抜いてみせる自信がある。
「見ておれ」
仙人は家に戻ると、近くにあったツボの中に手を突っ込んだ。するとそこから、生きたままの川魚が現れた。
あそこにストックしているのか?
ゆっくりと魔法を唱える仙人。すると近くの薪に火がともる。ごく初歩的な火魔法だ。
ここから……始まるぞ。
仙人の……料理が。
「キエエエエエエエエエエエエエエエッ!」
その動き、まるで曲芸師。
アクロバティックな動きを決めるその老人。しかしその手に持った魚の串だけは片時も炎からつかず離れず、一定の距離を保っている。
あ、あれが仙人の魚焼きなのか?
す、すげぇ。まるでムラがない……完璧な焼き加減で満遍なく焦げ目をつけている。
「油の黄 唐辛子の赤、そして秘伝の黒タレ。ホイッ!」
「あ……あれは……」
な……なんということだろうか。
仙人が三つの調味料を振りかけると、そこには見事に着色された焼き魚が……。
「三重の……層」
す……すげぇ。
油、唐辛子、黒タレ。三つの異なる要素が交わらず、しかし抜け落ちず魚の上で三つの層を形成している。これがあの独特の触感に繋がるのか……。
だが、俺には分かった。
いくつもの戦いを切り抜けてきた俺だからこそわかる。確かな洞察。
「……今のは、風魔法ですか? 師匠」
「ふぉっふぉっふぉっ、目ざといのう。その通りじゃ」
風魔法、か。
この独特のタレの絡め方。地球の調理器具では絶対に不可能だ。だからこそこの世界独特の味わいを生み出しているんだ。
「じゃがそれですべてを理解したとは思うなよ。ほれ、自分でやってみい。わしが採点してやろう」
「はいっ、師匠!」
この料理であれば、俺の嫁たちに通じる。
俺に……できるのか?
いや、悩んでいる暇なんてない。まずはやってみることが第一!
うおおおおおおおおおおっ!
……二週間後。
毎日通って魚を焼き続けていた俺は、とうとう師匠に免許皆伝の腕前と認められた。
これだけ聞くと、二週間で作れるのかよ、と馬鹿にしてしまうかもしれない。しかしそこには、俺の特殊な力が大きな助けとなっていた。
聖剣だ。
通常の魔法とは違い、聖剣は持っているだけで精密な動作で発動させることができる。俺はゼオンの 〈千刃翼〉から風系の聖剣を取り出し、それで風を調整しながらタレを付けて焼いたのだ。
自慢じゃないが聖剣の扱いには慣れてる。結果として俺は予定を大きく前倒しし、技術を完成させてしまったわけだ。
卑怯ではない。聖剣の中の人も納得してるみたいだから、許されるよな?
その後、俺は料理をみんなにも披露した。
大絶賛だった。
文句を言いたくても言えなくて悔しそうな一紗や雫を見ていると……うぷぷぷぷぷ、心の笑いが止まらないぜ……。
俺は良き夫になれた……はず!




