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異邦人の聖女

 つぐみに呼ばれた。

 急ぎの用事だったらしく、何のために呼ばれたのかはっきりしない。大統領官邸にやってきた俺は、特に何の横やりも入れられることなく、執務室に入った。

 今日は璃々がいない。

 執務室にいたのはつぐみと、もう一人。シスターの修道服みたいな黒い服を身に着けた、一人の少女だった。

 ベールの隙間から彼女の本来の金髪が漏れている。かなりの美少女。


「あらあら、匠様。お久しぶりですわね」

「お、おう……久しぶりだな」


 聖女アリア。

 異邦人のアリア、とも呼ばれるアスキス教の聖女だ。

 

 などというとファンタジー世界でありがちな聖女に見えてしまうかもしれない。しかし異邦人、というのは外国人とか別の人種とかいう意味ではない、この世界の人でない人。つまりは異世界人である俺たちのことを指している。


 彼女の名前は、細田亞里亞ほそだ ありあ

 

 かつて俺たちと一緒にクラス転移でこの地に招かれた女子である。もともとは俺が住んでいた旧勇者の屋敷にいた。


 彼女は元の世界ではお嬢様だった。

 深窓の令嬢、という表現が相応しい子だった。物腰が上品で、汚い言葉なんて決して口にしない。

 奴隷なんて言葉を聞いただけで、顔を真っ青にしていた。気弱な少女だ。


 しかしその気弱さゆえに、この世界に来て誰よりも落ち込んでいた。

 俺やつぐみは独自に彼女のフォローしようとした。しかし、言葉や態度だけではどうにも限界がある。


 元の世界に帰れるのか?

 奴隷として売り渡されるのでは?

 魔族とか魔王とか襲ってきたらどうするの?


 迫りくる恐怖と絶望が、彼女の心を侵食しそして……。 


 宗教にはまってしまった。


 しかしここは女性蔑視が幅を利かす異世界。彼女が信奉した宗教は、当然と言えば当然だが女性に対して大変厳しい。


 遠く離れたアスキス神聖国で国教とされている『アスキス教』。

 アスキス教を一言で表すなら『女死ね』だ。


 ああ……分かってきたぞ。なんでつぐみが俺を呼んだのか。


「もう一度言うぞ、亞里亞。鈴菜のために地方の暴徒を説得して欲しい。すでに教皇殿と話は付いているから、何も問題もないはずだ」

「わたくしは教皇様の命を受けここにやってきたのですわ。なぜ卑しき女の声に耳を傾けねばならないんですの?」

「…………」


 なんとかしてくれ、とでも言いたげにつぐみがこっちを見た。


 断っておくが、亞里亞はつぐみのことが嫌いなわけではない。彼女は女であればだれに対してもあんなことを言う。

 超絶男尊女卑のアスキス教が原因である。

 女は命令してはならないのだ。何も欲せず、ただ殿方の声を聞き喜ばせることだけに尽くしなさいという教え。


 彼女を説得するには男が必要。

 つまり、俺だ。


「男の命令なら聞くらしい。あとは分かるだろう?」

「……いや、その命令とか言われてもな」


 いきなり命令と言われても困る。元クラスメイトのお嬢様に、ああしろこうしろなんて強い口調で言うのはちょっとだけ気が重い。

 こっちを縋るように見ているつぐみと、何かを期待するように両手を合わせている亞里亞。二人とも俺の声を待っているらしい。


「命令ってわけじゃないんだけどさ、俺からも頼むよ。今、鈴菜が困ってるんだ」

「あ……ああぁ……ああぁ……あ」


 亞里亞がまるでヤバイ薬でも打ったみたいに恍惚の表情で体を震わせた。

 

「やはり男性のお言葉は素晴らしいですわ。精錬された太くたくましい声。女は声帯が劣化していますから、声変わりしないのですわね」


 ひでぇ。

 何事につけても女を馬鹿にしなければ気がすまない、これがアスキス教である。


「平和と繁栄を司る聖アントニヌスの聖名に誓い、誠心誠意お役目を全ういたします」


 亞里亞が手で十字を切った。キリスト教みたいな仕草だな。


「ちなみに、聖アントニヌス様は100人の嫁と結婚して全員に子を産ませた聖人ですわ。どことなく匠様に似ていらっしゃいますのよ」


 おいおい……それは聖人じゃなくてただの女好きだろ。

 なんて文句を言ったらきっと言い争いになるから何も言わない。彼女が偉い人と言ってたら偉い。そういうこと。


「ではわたくし、匠様の命を受け暴徒たちを宥めてきますわ」


 扉から出ていく亞里亞。いつの間にか、その近くには鎧を着た騎士たちが集まってた。

 あれは教会騎士か?

 10~20人程度、武骨な鎧を身に着けた集団が控えている。聖女の護衛ってことかな?

 あれなら、暴徒たちに襲われる心配もないか。というか聖女様を襲おうとする奴なんていないと思うけどな。


「亞里亞は相変わらずだな、つぐみ」

「そうだな、匠」

 

 亞里亞はあんな感じなのでもはや俺たちはどうすることもできない。彼女はきっと元の世界に戻りたいとも思っていないだろう。

 今回はつぐみと教皇、つまりは国と国との交渉の結果として彼女は動いてくれた。


「あとは亞里亞に任せておけば問題ないだろう。聖女のネームバリューはなかなかのものだからな」


 なるほどな。


 ここ、グラウス共和国におけるアスキス教の布教率は約10%ぐらいらしい。この国はさほど宗教熱心とは言い難い状況である。

 ところどころに教会が散在しているが、その程度。俺もこの話題が上がったから宗教のことを久々に思い出したぐらいだ。


 でも、聖女様の名前は流石に有名だ。 

 あまり宗教熱心とは言えない日本だって、何とか枢機卿とか何とか教皇がやってきたらすごいと思うだろ? ちょっと話を聞いてみようと思うだろ? 偉い人の声は心に響くのだ。


 彼女の名声は、地方に蔓延る暴徒の残党を宥めるために有用だ。


 それに亞里亞、宗教はまりすぎて聖女っぽいオーラ出てるもんな。なんかこう、後光が見えるって言うか、思わず拝みたくなるって言うか。


 つぐみが前に話してた『考えがある』ってのはこの事だったのか。なるほど、確かに有効打たりえる一手だ。

 期待していいかもしれない。一か月、あるいは数か月後には、きっと鈴菜は自由の身に……。


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