お手柄のモコ
白き刃の聖女、と俺があだ名する少女。
彼女は俺の愛刀、聖剣ヴァイスの元となった少女だ。
剣を揺らして俺に語り掛けてくるときは、何か伝えたいことがあるらしい。ミカエラとの話に割り込んできたということは、彼女絡みの話か?
「あんたは天使とかエリクシエルとか、そういうことに詳しいのか?」
「エリクシエルは、かつて私が戦っていた敵です」
えーっと。
このヴァイスの女の子は、確か大昔にゼオンが聖剣にした人間なんだよな。みんな魔族が聖剣・魔剣を生み出してるなんて事実は知らなかったから、相当昔だ。
少なくとも、今この世界で生きている人間が誰も知らないほどに。
「かつて地上の人類が信仰していたのは、エリクシエル神でした。エリクシエル教はこの世界唯一の神であり、絶対だったのです」
なんだかさっきミカエラから聞いたのと同じような内容だな。あれは妄信してるミカエラの誇張かと思っていたが、どうやら人類にはそういう時代があったらしい。
「多くの人間がいけにえに捧げられました。特に年に一度の創世祭は地獄です。全国各地から祝いと称して金銀財宝が神殿に送られ、輝ける神殿の周囲に農夫の断末魔の叫び声が……」
…………それは、なんというか。
悪のカルト教団かな? いやむしろ古代文明の野蛮な風習? アスキス神聖国の〈グラン・カーニバル〉でもそんなに死人は出てないぞ?
「そ、そんなっ! 私たち天使はこの世界の正統な支配者なのです。いけにえはエリクシエル様を崇めすぎた人間が自主的に行ったと聞いています。私たちが頼んだわけではありません」
「…………」
どこかの政治家みたいな言い訳だな……。いや、ミカエラに悪気はないと思うんだが……。
聖剣ヴァイスが嘘を言っているようには思えない。彼女は俺を何度も助けてくれたし、何よりもうこの世界での人としての体を失ってしまった身寄りのない少女だ。嘘をついても何も得るものがない。
「俺が思うに……ミカエラは騙されてるんじゃないのか?」
「そんなバカな……」
「大体、俺を説得しに来たって言ってたけど、もうその総大将のエリックって奴が動き始めてるんだろ? 本気で説得したいなら、もっと時間をくれてもよかったはずだ」
「いえ、しかしそれは……でも……」
徐々にミカエラの語尾が細くなっていく。おそらく本人も分かっているのだろう。
もう止められないのだ。俺たちの争いは。
「…………」
悲しそうに目を伏せたミカエラは、そのまま背名に翼を出現させた。
「ミカエラっ!」
「下条さん、またいつかお会いしましょう。その時は……きっと……」
翼を広げたミカエラが、大空に向かって翼をはためかそうとしている。もはや正体を隠す必要のなくなった彼女にとって、俺たち人間と同じように歩いて帰る意味は皆無だ。
「くうーん」
「…………」
ミカエラが翼を止めた。
さっきまでミカエラと仲良く戯れていた子犬――モコが彼女の足にしがみついていたのだ。
すでに空中に浮かび始めているミカエラの足にしがみついているのだから、当然モコ自身も宙に浮いてしまっている。このままミカエラが思うように空へ飛んで行ってしまえば、道連れになってしまう。
途中で落ちたりしたら死ぬぞ? 間違いなく。
「…………」
いや、なんかこれから立ち去りますという空気だったのに、うちの犬が本当にすまないことをした。
いやむしろグッジョブと褒めた方がいいのだろうか?
「うちのモコも寂しがってるんだが、もう少しぐらい話をしてくれてもいいだろ?」
「……仕方ありませんね。もう少しだけ」
そう言って、降りてきたミカエラは再び子犬を撫で始めた。
どうやらもう少しだけいてくれるらしい。完全に帰るタイミング逸してたからな。
会話の機会が得らえることはいいことだ。頭の悪い俺なんかより。もっと交渉に適した人物に任せて、情報収集に専念することにしよう。
それにしてもこの犬。なかなか大した奴だ。ミカエラを止めてくれるなんてな。
俺だけだったら、さっき空を飛んだ時点でアウトだった。
「お手柄だなモコ。今日は乃蒼に頼んでうんとおいしい昼飯にしてもらうからな、楽しみにしてろよ」
「くぅーん」
「ん?」
なんだ?
急に甘えた声を出したモコが、俺の足にすり寄ってきた。後ろ向きになって、俺のふとももに座りたいのか?
はははっ、かわいい奴だな。俺の子供ももう少し成長したらこうやって甘えてくるのかな? 俺の膝ぐらいいくらでも貸してやるぞ?
ブリブリブリブリュッッ!
「…………」
もわわーん、と果てしなく不快な臭いに思わず顔をしかめてしまった。
こ……この犬、俺の足に……う〇こ、だと……。
「お前……乃蒼のペットだからって調子に乗ってんじゃねーぞ。俺がゼオンから受け継いだ数多の聖剣、どれで罰を与えてやろうかな……ククク」
「くっ、くぅーん」
「止めてください下条さん、モコちゃんがかわいそうです」
「ぐ……」
いや、大人気ないことをしたかもしれない。しかし俺の足はトイレじゃない。そこだけは理解してほしいんだ。
「あとで乃蒼に言いつけてやるからな。覚えておけよ! 今日の飯は抜きにしてやる」
「くぅーん」
なんだこいつ? そんなことできるわけがないとでも言いたげな、ふてぶてしい顔。俺の方が愛されてる、とでも思っているのか?
愚か者め! 乃蒼は俺の嫁! 俺の言うことならなんでも聞いてくれる!
今日は飯抜きだ! 楽しみにしておけよ!
その日の昼、俺に隠れてこっそり昼ご飯をモコにあげている乃蒼を見かけてしまった。
乃蒼は優しいもんな。飯抜きだなんて、絶対しないよな。
うんうん、分かってたよ。




