干しエビ
エリナのコウノトリを処分して、掃除して、その日はそれだけで一日を終えてしまった。
無駄な時間だった。牢屋のエリナにはじっくりと猛省してほしい。妊娠中の雫に何かあったらどうするんだ?
そして、翌日。
謹慎(というか監禁?)解除となったエリナとともに、俺たちは大食堂に集まっていた。
特に何か用事があるわけではない、いつもの食事だ。
今日はチャーハンと吸い物、それからサラダらしい。
「あ、このエビ……」
「うん、この前のお土産。使ってみたよ」
乃蒼が答える。
主に干したエビを使った料理。当然生のエビはない。この距離だと生の魚介類は腐ってしまうからな。当然と言えば当然だ。
まありんごか誰かが氷魔法で凍らせて持っていくという手もあるのだが、そこまでしてしまうのは気が引ける。借り物の馬車を汚しては迷惑だからな。
こうして家で食べる名産品というのも、また味わい深いものがある。現地で食べたときの新鮮さや高揚感がやや抜け落ちているものの、それゆえに素材の味そのものを深く吟味することができる。観光熱に浮かれている時よりも、こっちの方が味わえるということだ。
「うおおおおおおおおおおおおっ! うまいうまいうまいっ!」
エリナはとにかく良く食べる。こいつは何食べても美味しいと言っている気がするのだが、いったいどの食べ物がまずくて嫌いなんだろうか? 一度ゆっくり話をしてみたい。
「あとでクロたちにももっていくにゃ」
と、子猫がうまそうにチャーハンを食ってる。
衛生のため、ネコは食事中部屋の中に入れない決まりとなっている。ここにはいないペットたちのため、あとで干しエビ料理を持っていくらしい。
「エビはあまり多く与えない方がいいかもしれないね」
「にゃ?」
鋭い鈴菜の指摘。
ネコってエビ駄目なのか? 魚介類大好きなイメージがあるのだが……。むむむ……スマホがあればすぐに調べられるんだけどな、異世界はこの辺りが不便で仕方ない。
「すべては神である匠様が人類にお与えくださった施しですわ。今日も深い感謝を……」
いや俺を見て祈るなよ亞里亞。俺は創世神でも遺伝子の研究者でもない。新しい生物を生み出すことなんて不可能だ。
「はぁ……」
やれやれ、頭痛がしてきたぞ。亞里亞やエリナは本当に困った奴らだ。食事の時ぐらい俺を安心させてほしい。
「ん、どうした雫?」
急に、雫が席を立った。まだ料理も半分以上残ったままだ。
別に家の中まで食事マナーについてとやかくいうつもりはない。トイレ行っても実験でいなくなってもテレビを見ながらでも(ないけど)全然問題ない。
しかし彼女の様子が少し尋常でないように見えた。咎めるつもりはなく、心配になって声をかけたのだ。
「少し……」
そう言って口元を抑える雫。見るからに体調不良だから言わなくても分かる。おそらくつわりによる吐き気だ。
「そうか」
あまりあれこれ問いかけるのは彼女にとって負担になる。ここは素直に見送ることとしよう。
やれやれ、それにしても我が家は大変だな。雫と一紗と璃々が妊娠中。そして問題児のエリナと亞里亞、あまり言いたくはないが陽菜乃も若干このカテゴリーに入っている。
頭痛の種はいつも絶えない。
頭痛が……。
「ぐ……」
鈍い頭痛に、それから吐き気。
俺は、その時初めて自分の体に異変が起きていることを自覚した。
違う。
エリナがどうとか、亞里亞がどうとかじゃない。俺が今感じているこの頭痛は、もっとこう……何か……別の。
「う……ううぅ……」
「………………」
「気持ち……悪い……」
小鳥、エリナ、りんご。みんながテーブルに伏せて、ぐったりとしていた。
「なんだ、これ。みんなどうし……」
立ち上がろうとして、俺は気が付いた。
うまく、立てない。
体がしびれているみたいだ。脚で全身を支えることができず、俺は思わず机にもたれかかってしまった。
「……毒だ」
そう答えたのは、同じように蒼い顔でぐったりと椅子にもたれかかっている鈴菜だった。
「体がしびれて、吐き気と……頭痛もする。おそらく神経毒の一種……」
毒?
平和な世の中になじみのないその単語に、俺の不安は一気に増していく。
魔族? いや、この平和な時代にそれはない。それに奴らならもっと堂々と攻めてくるはずだ。
食中毒か? そういえば今日の朝食の干しエビは……。
「なんとか……ならないのか? 解毒剤とか?」
「難しいな……毒の種類も……医療設備も……。おまけに神経毒だ。症状が出ている今の時点では……胃の洗浄も……」
がたん、と椅子の倒れる音が聞こえた。
子猫が倒れた。
このメンバーの中では乃蒼の次ぐらいに体力がなさそうな少女。倒れて起き上がろうとしているが、その動きは緩慢で……力がない。毒が体に回って、筋肉を侵し始めている証拠だ。
「り……鈴菜、子猫が……」
「う……ううぅ……」
鈴菜も倒れた。それほど体力のない彼女だ。こうなってしまうことは仕方のないことかもしれない。
嘘……だろ。
食事開始から、三十分程度だろうか。気が付けば、誰も五体満足でいるものはいなかった。早朝この場にいなかったつぐみを除いて、みんなみんな……毒のせいで。
「……み、皆様っ! 羽鳥様が、廊下で倒れて……」
メイドの一人があわてて部屋に入ってきた。そうか……雫は外で倒れてしまったか。
きっかけはどうあれ、この異常事態に気が付いてくれただけでよかった。
「誰かを……呼んでくれ」
「は、はい」
メイドは駆け出した。
誰か来て解決するとは思えないが、いないよりはましなはずだ。あとは……俺が……なんとかして……。
く……くそ……。
意識が……もうろうとしてきた。めまいが激しい。このままじゃあ、直に俺も……。
どうする?
どうすれば……いい?
「の……あ……」
俺は机に体重をかけながら、ゆっくりと乃蒼の元へと歩いて行った。




