黄昏の分裂
〈黄昏〉、は世界各地で暗躍する暗殺ギルドである。
暗殺。
それは国家間の戦争の一環であったり、国の指導者が行う粛清であったり、あるいはライバルの商人や貴族を陥れるための策略でもあった。方法はさまざまであるが、聖剣や魔法を使って真っ向勝負する者たちとは一線を画す、確かな技術が存在する。
勇者や魔族の裏に隠れ、多くの者たちが暗殺された。依頼者は大商人、貴族、大臣など重鎮に顔の広い者たちが多い。
暗躍に携わる阿澄咲、間接的にではあるが赤岩つぐみも依頼者として名を連ねたことがある。
国家を跨ぎ、世界中で暗躍する一大組織。それが〈黄昏〉なのだ。
しかし今、この一大組織に重大な事件が起きようとしている。
マルクト王国とアスキス神聖国の国境付近には、いくつかの山脈が点在している。そのうちのとある山の中にある洞窟が、〈黄昏〉のアジトだ。
暗く冷たいそのアジトの中で、〈黄昏〉の長、月夜は難題を抱えていた。
「…………」
月夜はその手に一枚の依頼書を持っていた。
下条匠暗殺依頼。
どこからこの依頼が来たのかは知らない。旧神聖国の教団関係者か、最近世界を騒がしたヨーラン一派の陰謀か、はたまたグラウスに隠れ潜んでいた旧貴族か。
古今東西並ぶ者のない英雄――下条匠。彼のもとには多くの善人たちが集い、そしてその陰で悪人たちの恨みを買った。
だが彼はいろいろな意味でターゲットとしてふさわしくない。通常ならば断わるべきこの依頼だが、月夜たちには引けない事情があった。
そもそもの発端は今日、アジトの入り口に置かれていたこの依頼書と……大金だ。
金貨千枚。
普通の人間が一生働いても稼ぐことができないほどの大金だ。依頼書によると、これは前金らしい。成功すればこの二倍の額をアジトの前に置く、と書かれていた。
このアジトの場所が割れていたことにも驚いたが、何よりもこの金額だ。多くの暗殺者たちが喜ぶ以前に……不気味がった。
それでも好奇心からなのか、一人の暗殺者が木箱にあふれるほどの金貨を掴み上げた。
「へへへ、へへへへへ」
金に目がくらんでいるのかもしれない。
「へへ、へへへへ、あ?」
男の笑いが止まった。
金貨の奥へ手を突っ込んだ時のことだ。中に何か違和感を覚えたのか、今度は両手を使ってその中に埋もれた何かを引っ張り出そうとしている。
「……ひっ」
金貨の奥に隠されていたのは、男の首だった。死後それほどたっていないように見える。
見覚えがある。〈黄昏〉に所属していた暗殺者の一人だ。
「アジトも割れ、仲間の首。やらなきゃ殺す……って言いたいのか」
無言の月夜に代わり、仲間たちが騒ぎ始める。
依頼書には脅し文句などどこにも書かれていない。しかし、この男の首を見る限り、十分に伝えたい内容は想像できる。
「こんな脅しに屈するべきじゃねぇ! 俺たちゃ最強の暗殺集団だぞ! 何怖がってんだよっ!」
「いや、待て、俺たちを殺せるレベルの敵だ。下手に逆らうともっと犠牲者が増えるかもしれねぇ」
〈黄昏〉は暗殺ギルドである。暗殺対象に私情を持ち込んではならず、当然月夜が下条匠の知り合いだからといって殺さない理由はない。
一方で、〈黄昏〉は常に世間の目線を気にしている。善悪を問わずすべての依頼を受け続けていれば、やがて〈黄昏〉自身が悪となり……国に討たれてしまう結果となるだろう。
だが下条匠はやり過ぎたらしい。これほどの大金を積まれて暗殺を依頼されたことはこれまでなかった。恨みの深さが窺い知れる。
それでも、下条匠は明らかに善人だ。彼を暗殺したとあっては、月夜たち〈黄昏〉の権威は地に落ち、国家に追われてしまうかもしれない。
つまり正しさは月夜側にある。本来であれば下条匠は殺されるべき人間ではないのだ。
月夜は寡黙な少女だ。多弁で相手を説き伏せることはあまり得意ではない。
「そもそもその勇者って奴は王国転覆に加担した悪人なんだろ? だったら〈黄昏〉のターゲットとしてふさわしい。殺して何の抵抗がある?」
「いや、そりゃ無理があるだろ? お前世間の評判知らねぇのか? あんな英雄どこをどう見たら悪人扱いできんだよ!」
「馬鹿野郎! 金くれるっつーなら素直に殺せばいいだけだ! 俺たちゃ今までそうしてきただろ?」
「勇者を殺せば俺たちゃ世界中から追われるぜ?」
「誰も俺たちが殺したなんて気づかねぇ。暗殺っつーのはそういうもんだろ? だったら金だけもらって人ひとり殺せば、それで終わりだ!」
「俺はやるぜっ!」
「待て、早まるなっ!」
「…………」
無言のまま月夜は小刀を構えた。肉弾戦は得意でないが、ここで説き伏せなければ犯罪者を野に放つこととなる。
「……やんのか?」
殺気。
月夜は背筋が凍った。彼らは直接的な戦闘力自体は低いものの、多くの暗殺技術を身に着けた暗殺者だ。今、この場で彼らの手を逃れることができたとしても、いつか、どこかで彼らの手によって殺されてしまうかもしれない。
皆、大金と恐怖に目がくらんでいる。
しばらくの膠着が続き、月夜に反抗的な暗殺者たちは一斉に洞窟から逃げ去った。ここで無様な戦いを行うよりも、闇の中で知略を尽くして戦うのが暗殺者としてのやり方。一時撤退は冷静な判断だ。
あるいはそもそも、月夜と戦う気がなかった者もいたかもしれない。
暗殺集団〈黄昏〉は分裂した。
(仕方なし)
月夜は立ち上がった。
「我ら〈黄昏〉。愚かな身内の罪は、我ら自身で拭い去るべし」
月夜が小刀を掲げると、暗殺者たちは一斉に闇に溶けて消えてしまった。いわゆる月夜派といえる彼らは、愚かな同胞たちの粛清へ向かったのだろう。
(頭……)
月夜は頭――すなわち先代の長のことを思い出した。彼ならば絶対にこの荒くれ者たちの蛮行を止めたはずだ。
なぜ、自分は〈黄昏〉の長をしているのか。
一瞬だけそのことに胸を痛めた月夜だったが、すぐに自らも暗殺者たちの後を追うことにした。
こうして、一部の暗殺者によって下条匠暗殺計画が実行に移されることとなった。




