新・勇者の屋敷
大統領官邸に呼ばれた。
昔は呼ばれるだけで不安な気持ちでいっぱいだったが、今はそんなことはない。つぐみとはある程度意思疎通できるようになったからな。
執務室の扉の前に立つ。この奥にはつぐみがいるはずだ。
扉を開こうと、そっと手をかけた……その時。
「……んっ」
艶めかしい声が聞こえた。
「……?」
執務室はつぐみの仕事場だ。当然であるが、変なことをする場所ではない……はずなのだが。
気になった俺は、扉の隙間からそっと中を覗いた。
……何やってんだろうな、俺。
「璃々……止めないか」
「お姉さまの指、綺麗です……」
あのポニーテールは、璃々か。つぐみの足元に跪いて……指にキス? 舐めてる? いやしゃぶってるって言ってもいいぐらいだ。
恍惚の表情を浮かべる彼女は、妙にエロくてどきっとしてしまう。
だが盛り上がる璃々とは裏腹に、つぐみにはその気はないらしい。顔をひくつかせながら目を逸らしている。
璃々の独り相撲ということか。ご愁傷様。
「んっ……お姉さま、お慕いしております」
あわあわと周囲を見渡しているつぐみと、目が合った。
〝早く入ってこい〟
と目で訴えられているような気がする。
少しわざとらしくノックをしたあと、部屋の中に入る。
びくんっ、と体を震わせた璃々が弾けるようにつぐみから距離を取った。
甲冑を身に着けているのになかなかの運動能力。近衛隊長というだけあってそれ相応の戦闘力があるらしい。
「よく来てくれた、匠」
つぐみは深く息を吐きながら、そう言った。
対する璃々は俺のことを睨んでいる。雫の悪戯心が混じった睨み方とは違う、本気で俺が憎くて嫌いと言いたげな禍々しい瞳だ。
勘弁してくれ。
「……呼ばれたから来たんだが、何のようだ?」
「匠のために、新しい屋敷を用意することになった」
「は? 屋敷?」
「迷宮から有用な魔具を持って帰ったこと、そして先日の大立ち回りは評価に値する事柄。この功績を称え、国としては住まいを提供したいということだ」
屋敷、か。
思い出すのは、かつて勇者の屋敷と呼ばれていた場所。乃蒼が守り、そしてつぐみによって焼かれてしまった、あの建物。
いや、つぐみにもつぐみの都合があったことは理解できる。勇者の屋敷は王都の城近くにある一等地で、あそこを開けることができれば多くの浮浪者を救うことができる。
おまけに、当時の俺は反乱分子の公爵と密会をしていた(と思われている)。まあ、多少強引にでも排除してしまいたい気持ちにはなるだろう。
気持ちは分かるが……、だからといって納得したわけではない。あの件では乃蒼が心を痛めたからな。
「前の屋敷燃やしたのは、つぐみだよな。あまりこういうことは言いたくないけど、今さら元に戻してくれるって言ってもな……」
複雑な心境を、正直に答える。
俺の言葉に反応を示したのは、つぐみではなく璃々の方だった。
「慈悲深いお姉さまのお声かけに反論するなんて……。この男に広い屋敷なんて与えたら、きっと女の奴隷を連れ込んでいかがわしいことをするに違いありません! お姉さま、どうかご再考をっ!」
「止めないか璃々。匠はそんな男ではない」
ぽん、とつぐみが頭を撫でると、璃々はまるで甘えるネコのようにその身を委ねる。
「もちろん、前と同じ条件というわけにはいかない。城から離れた、城壁の外だ。街中ではないから物を買ったり誰かに会ったりという面では少しだけ不便をするかもしれない。ただ庭を含め、かなり広い土地を確保している。必要なメイド、執事、警備の兵士たちの経費はこちらでもとう」
なるほど。何もかもハッピーというわけではないらしい。が、破格の待遇であることに間違いはないと思う。
「気持ちは嬉しいんだが、それはもう確定してることなのか? 少し考える時間が欲しんだが?」
「少なくとも、鈴菜が研究するための実験施設は併設する予定だ。彼女の才能はこの国に必要だからな」
「鈴菜の?」
併設?
魔法大学だと不安が残るからと、首都に彼女の連れてくる話は前からあった。これはその件の延長線上なのか。
併設ってことは、俺がその屋敷に住めば鈴菜と一緒に暮らせるのか?
「彼女も望んでいることだから、あまりあれこれ言えないが……感心しないな。女性は人形やコレクションではないんだぞ?」
大統領閣下には俺たちの事情など筒抜けらしい。
「二股! 最低! 女の敵!」
璃々が罵った。俺が足元にいたらきっとげしげしとその体を蹴っていたことだろう。
返す言葉もない……。
「鈴菜の警護を兼ねるのであれば、あの場所が最も適切だ。匠があの屋敷を使用してもしなくても、建物は用意する。鈴菜のためでもあるからな」
「分かった、とりあえず住む方向で話を進めておいてくれ」
「それは良かった」
つぐみがほほ笑んだ。最初、『死刑』だとか『裁判』だとか言われていた時には考えられないような表情。
俺たち、変わったよな。
後日、俺たちは屋敷の建設予定地へと赴いた。
城下町の城壁を抜け、森の小道を少し歩く。城からゆっくり歩いて40分、走って20分といったところか。
決して近くはないが、思ったよりも遠くない。そんな位置だった。
森の中を切り開いて作られたスペース。
庭はまるで植物園のように美しい花と葉で彩られ、中央の噴水には女神のような石像が設置してある。おそらく庭師のような人物が定期的に手入れをしているのだろう。そうでなければこれほど美しく保てない。
その奥にはレンガ造りの建物があった。三階建て、建物の広さはちょうど学校ぐらいといったところだろうか。
ここが、俺の屋敷になるのか?
確かに立地は少し不便かもしれない。でも、これほどの屋敷をタダでもらえると言うなら、その程度は全然目を瞑ってもいい。おつりが出るぐらいだ。
右側で大工らしき人々が動いている。どうやらあそこに、鈴菜の研究室を増設するつもりらしい。
これなら、すぐに引っ越してもいいかもしれない。
「…………」
感慨深いな。
最初に住んでた屋敷は、はっきり言って貰い物だ。俺が自分で手に入れたなんて実感はなかったし、むしろいつか取り上げられるのではないかとびくびくしていた。
だがこの屋敷はつぐみのお墨付き、完全に俺のもの。もう不安になる必要なんてないんだ。
「これ、匠君の屋敷になるの?」
隣のいた乃蒼が、目を輝かせながらそんなことを言った。
いや、気持ちは分かる。この屋敷、かなりでかいからな。俺もなんか微妙にテンションが上がってきた。
「すごいすごーい、匠君、領主さんになるの?」
「いや、領地とかはないと思う」
「じゃあ貴族さん?」
「いや、貴族でもないと思う」
「……???」
乃蒼は頭の上にハテナマークを浮かんでくるような表情をしている。彼女にとっては屋敷=偉い人の住まいなのかもしれない。
「いっぱいお掃除するね」
乃蒼はいつもとは比べ物にならないほどにはしゃぎながら庭を駆けて行った。嬉しそうにしているからよかった。
でもメイドとか執事とかいるらしいから、無理に家事やらなくてもいいんだぞ?
「いい場所だな」
隣には鈴菜。増設されている建物あたりを見に行ってたのだが、戻ってきたらしい。
「一人一部屋。キッチンダイニングリビング割り振っても部屋が有り余るレベルだな」
「寂しいことを言わないでくれ。私も乃蒼も、君の部屋で寝たいんだから」
突然、鈴菜は俺にもたれかかるようにして背中に抱き着いてきた。彼女の柔らかい胸の感触が、背中をマッサージするように撫でている。
「あの部屋は、壁が薄くて……その、少し声や音が恥ずかしかったからな。ここなら気兼ねなくできるな」
「お……おう」
つぐみさんごめんなさい。僕は我慢できそうにありません。
ま、その件は置いといてもここはいいところだ。
一紗や雫たちを呼んで、パーティーとかできるかもしれないな。きっと楽しくなると思う。
ああ、なんだかワクワクしてきたな。こんな屋敷に住めるなんて、夢いっぱい希望いっぱいだ。