もう一人の異世界人
ここは日本、とある教室。
この教室には席が全部で34存在する。女子17人、男子17人の合わせて34人だ。
だが今、この教室に座っている生徒の人数は……16人。これはインフルエンザとか移動教室とかそう言った理由ではない。もうずっと、一か月前から空席には誰も座っていない。
集団男女学生失踪事件。
世間でそう騒がれている、奇妙な事件。ある日、生物の授業を受ける予定だった18人の生徒が、忽然と消え失せてしまったのだ。
女子17人、そして匠を加えた18人は未だ見つかっていない。彼らの空いた席を眺めながら、無事だった16人は教室で過ごしているのだ。
もっとも、18の空席を隣にした生活は、とてもではあるが平穏であるとは言えないが……。
加藤達也はこのクラスに所属している男子の一人だ。刈り上げた髪を金髪に染め上げ、服装は一応制服であるものの校則はまるで無視。授業中にはガムを噛みながら汚い言葉を発したり、唾を吐いたり机を叩いたりして気の弱い女性教師を威嚇する。
いわゆる、不良と呼ばれる存在である。
加藤は机から脚を出し、目の前を歩いていた男子生徒を転ばせた。
「あ……」
「おいおいおぃ、新ちゃん。きーつけろや」
御影新。
メガネをかけたこの気弱な生徒は、加藤の声を聞くと体を震わせた。
加藤は御影をいじめている。それは、この教室で過ごしたことのある者なら誰もが知っていることだ。
「…………ごめん」
「おいいっ! てめぇ人が話しかけてんのにちゃんと返事しろっ! ボソボソボソボソキモちわりーんだよ! 人の目ー見て話せやっ!」
加藤は御影に体当たりを食らわせた。別に初めからこうするつもりだったわけではない。この男の聞き取りにくい声を聞いていたら、何となくイライラしただけだ。
「はぁ、お前さ、駄目、全っ然駄目だわ。目上の人との話の仕方、間違ってる。そんなんじゃ社会に行っても苦労するだけだぜ? な? まずは謝れ。土下座だ土下座。いいか、土下座っていうのはこうやって――」
加藤はうずくまる御影を土下座させるため、彼の体を無理やり手で抑えつけようとして――
「止めろっ!」
その手を、止められる。
園田優。
背は高く、まるで俳優か何かのように整った顔立ちをしている少年。こうして加藤の事を止めるのは、今日が初めてではない。
「御影君が嫌がってるだろ。止めてやれよ」
「ちっ、もう彼女どころか女子全員いねーのに、かっこつけるのか? んな意味ねーこと止めろや」
「女子がいるとかいないとか、そんなの関係ないだろ」
加藤は興味の対象を完全に優へと切り替えた。未だ床にうずくまっている御影のことなど忘れてしまった。
「……乃蒼……乃蒼……」
御影の小さな呟きは、加藤の耳には入らなかった。
正義の味方、園田優。
気に入らない男だ。いつもいつも、加藤の邪魔をする。
あの女ほどではないが、失踪事件が起きた今となっては一番嫌いな人間だ。
「正義の味方面かおい? だいたいよー、この前の失踪事件、お前の友達だった匠が犯人って話じゃねーか。なぁ、感想聞かせろや。犯罪者の親友さんよぉ」
「黙れっ、匠はそんなことをする奴じゃない!」
優が声を荒げた。
加藤はこの反応が見たかっただけで、何も匠が犯人だとは思っていない。そもそもこの発言は彼のオリジナルではないのだ。
下条匠犯人説。
これはネットなどでまことしやかに囁かれる噂だ。女子全員がいなくなったなかで、一人おまけのようにいなくなった男の彼であるから、好奇の視線が向けられるのは当然だった。
新興宗教の教祖説。
隣国の工作員説。
左翼系テロリスト説。
いずれも根も葉もない噂だ。ネット上でこんなことを言っている人物だって、おそらく本気ではあるまい。異世界転移説や未来漂流説などと言った荒唐無稽なものに比べれば、まだ現実味のある話ではあるが……。
これらのネタは予想外にネット界で受けたらしく、今では匠を犯人としたネット小説が多く出回っている。
「……っ!」
優は苦々しい表情をしたまま立ち去った。友達である匠、そして彼女である一紗を失った彼の悲しみは……未だ癒えていないのだろう。
だが加藤にとってそんな悲劇などまったく関係ない。彼には彼の、別の理由で今の現状に不満があった。
つまらない。
別に、いなくなった女子の中に好きな奴がいたとか教室が寂しいとか、そう言った話ではない。刺激が足りないのだ。
そう……あの女に、自分はまだ……。
そんなことを考えていたら、優も御影もいなくなり一人になった。たった一人の教室で過ごしていたちょうどその時――
「は?」
足元に、魔法陣が出現した。
「あ?」
視界が、切り替わる。
加藤はあまりファンタジー系小説を読むほうではない。だが目の前の人物たちが、いかにもそれっぽい風貌をしているということは何となく理解できた。
おそらくは、どこかにある屋敷の一室だ。
「異世界人よ、どうかお耳を傾けていただきたい」
賢者のような男が、加藤に話しかけてきた。
「あなたは召喚魔法でこの世界にやってきた英雄なのです。どうか、野蛮な者たちによって支配された我が祖国を取り戻して欲しいのです」
「…………はぁ」
(なんだ……こいつら?)
それが、加藤の第一印象だった。
日本風ではない衣服を身に着けた彼らを見て、最初、加藤は戸惑いを覚えた。しかし彼らの言葉に耳を傾けると、次第に別の感情が色付いていく。
気に入らない。
加藤は失望していた。目の前の男たちは、まるでそうするのが当たり前であるかのように加藤へ助力を求めている。
何の見返りがあって人助けをするのか?
国や他人がどうなっても、加藤には関係ないのではないか?
そう思ったからこそ、加藤は人々の言葉を話半分に聞いていた。
だが――
「少年、先ほどまでの発言はすべて君を騙すための嘘だ」
一人の男が放った言葉は、加藤の意識を覚醒させた。
「なっ……」
「れ、レオン殿!」
金髪の男が放った言葉に、他の男たちは動揺を隠せないようだ。
「この男たちは女に革命を起こされ、国を奪われた敗者。女を奴隷のように扱っていたのに、気が付けばそいつらに追い出されていたわけだ。滑稽だと思わないか? 君を騙して国を取り戻したいだけだ」
レオン、と呼ばれた男がその大きな右手をこちらに差し出してきた。
「女が欲しくないか?」
「……は?」
「国を一つ、盗ってこい。さすれば、君の学友……いや、クラスメイトか。クラスメイトだった女子たちと、好きなだけの奴隷を授けよう」
「れ、レオン殿。その方は異世界人ですぞ! そんな話をすれば、下条匠や赤岩つぐみのように反発する恐れが……」
賢者らしき男の言葉に、なるほど、と加藤は理解した。
どうやら自分はあの『いい子ちゃん』たちと同一視されていたらしい。他のクラスメイトたちも、この地に訪れているようだ。
「奴隷? クラスメイト全員! くっ、くっくくくははははははははははははははははははははっ!」
加藤は笑った。笑いを抑えることができなかった。
「あんたサイコーだ! 人間じゃねー、鬼だ、鬼畜って奴だなぁおい。清々しいばかりのクズ台詞、ありがとよ。『取り戻して欲しい』とか『英雄』だとか、クソみてーな台詞吐きやがる奴ばっかりで胸糞悪かったんだっ!」
加藤はレオンの手を掴んだ。
「俺はあんたのこと気に入った! あんたの言うことなら聞いてもいいぜ。なあ、あんた誰なんだ? 国王か? 貴族か? 賢者か?」
「我の名はレオンハルト。この世界では魔王と呼ばれている」
「はっ、魔王様かよおいっ!」
加藤は笑った。ひたすらに笑った。これほど笑みをこぼしたのは、一体何年振りであろうか。
「君の活躍、我は期待しておるぞ」
「任せろや。盗みでも人殺しでも、なんでもやってやるぜ! どこに行けばいい?」
「まずは固有スキルについての確認だ。そこの賢者、早くバッジを用意しろ」
レオンの声に従い、周囲はあわただしく動き始めた。
ここからが『創薬術編』になります。
※異世界と現実世界は時間の流れが違うんですよ。
異世界のクラスメイトは皆18歳以上ですよ(´・ω・`)