過ち
処刑式を台無しにした俺は、つぐみに連れられ官邸近くの客室へと案内された。
結局のところ、この問題は何も解決していない。鈴菜以外の手首は治らないままだからな。
ただ、この客室を見る限りつぐみが俺を捕らえるつもりはないらしい。一体どういうつもりなんだろうか?
鈴菜は客室のベッドで寝ていた。別にどこか体調が悪いわけではないが、今日の件は彼女の心身へ過大な疲労を与えたらしい。まあ、被害者じゃない俺だって今、相当眠いからな……。
ドアを開ける音が聞こえた。
振り返ると、そこにはつぐみがいた。制服にマントと黄色い紐を身に着けた、軍服っぽいいつもの姿だ。
「今日の件は本当に感謝が絶えない。私と鈴菜だけだったらな、きっと処刑式は完遂されていたからな」
「いや、俺はやりたいようにやっただけだ。鈴菜やつぐみの計画を台無しにしたのは、申し訳ないと思っている」
俺は自分のやったことが間違いだと思っているわけじゃない。ただ、彼女たちの決意を踏みにじったのは、事実なのだ。
しかし、そんな俺の思惑などまったく他所に、つぐみは頭を下げてきた。
「貴様……いや、下条匠は私にとっても鈴菜にとっても恩人だ。ありがとう。クラスメイトを救う道を用意してくれて」
「俺は……そんなつもりは……」
「必ず相応の礼はする。国家としても、そして私個人としてもだ」
礼、か。
つぐみがそう言ってくれるのはかなり嬉しい。嬉しいの……だが。
「大丈夫なのか? 俺は自分の気持ちを喚き散らしただけで、正直文句を言われてもおかしくないと思うんだが……。今度は俺が見せしめに牢屋にいれられるかと思ってたぞ?」
「匠の演説は思ったより好感触という印象だ。私も……少しばかり心を打たれるものがあった。私の愚かな過ちで虐げられていた匠だからこそ、共感を誘えたのだろうな」
確かに、フェリクス公爵の件があるまでの俺は虐げられまくっていた。不幸な俺と不幸な被害者、変に共感を呼んでしまったのかもしれない。
「百歩譲ってあの場にいた連中はいいとしても、地方で文句言ってるやつはどうするんだ? 俺の不幸話ってそこまで有名じゃないだろ?」
「……私に考えがある」
どうやら、つぐみにはこの件に対抗するための案があるらしい。まあ、鈴菜の手首を切っていたとしても、結局は一時しのぎだからな。何か根本的な対策が求められているのは、今でも同じことだ。
「もう夜だ。私も、鈴菜も、そして匠も十分疲れているだろう? 今日はもう、ゆっくり休むといい。細かい件は、また後日」
そう言って、つぐみが客室から出て行った。
「鈴菜」
穏やかに寝息を立てている彼女を見ていて、俺は間違ってなかったと思える。
鈴菜の手首はすでに再生していた。つまり彼女は今、完全に五体満足な状態なのだ。
椅子に座り、彼女の様子を見ていた俺は、急にひどい睡魔を覚えた。
緊張の糸が切れ、肉体の疲労が一気に噴き出してきたのだ。
少し、仮眠をとるか。
そう思い、俺は椅子にもたれかかったまま、ゆっくりと両目を閉じた。
俺……は。
まどろみから現実へと、意識が浮き上がっていく。
「んっ……」
口の中が熱い。乃蒼のやつ、また寝ている俺にキスしてたのか?
乃蒼が寝ている俺にキスをしているのは、よくあることだ。寝顔を見ていると興奮するらしい。どこがそんなにいいのか分からないが、俺も寝ている乃蒼にキスをしたことがあるからおあいこか。
そのまま、ぼんやりとした意識のまま口の中のランデブーを楽しむ。
そして、すぐに気が付いた。
違う。
乃蒼の匂いじゃない。
「え、鈴菜……」
目を開けると、鈴菜がいた。
俺は、鈴菜にキスをされていたらしい。
俺はベッドの中に鈴菜といた。
急速に、覚醒していく意識。鼻の近くで、彼女の残り香を感じた。
「君のことを、好きになってしまった」
そう言って、体を押し付けてくる鈴菜。
豊かな双丘が当たっている。
「はしたない女だと思わないで欲しい。こんなことをしたのは、君が初めてだからな……」
俺は確か、鈴菜のいるこの客室で、疲れて寝てしまったはずだ。酒に酔っていたとか夢を見ていて記憶がないとか、そんな状況じゃない。
じゃあ、俺をベッドに連れ込んだのは鈴菜なのか?
これはもう、どんな言い逃れも勘違いも存在しない。鈴菜は俺に何を求めているのか、火を見るより明らかだ。
でも、それはまずい。まずいんだ。
「お、俺には乃蒼が――」
そう言って反論しようとする俺の口を、鈴菜の唇が塞いだ。挟み込まれた舌を噛まないようにしていたら、なすすべもなく翻弄されてしまう。
彼女の鼻と俺の鼻が触れ合う、そんな距離。
「僕は君に恩返しをしなければならない。これはそう、僕から君へのプレゼントなんだ。君は乃蒼のことを一番に愛したままでいい。情けをくれないか? 君の愛が……子供が欲しいんだ」
「り、りりっ、鈴菜さ。前に言ってたよな。自分より馬鹿な人間とは付き合いたくないって。俺、教室でそうお前が話してるの聞いたことあるっ!」
「ああ……そのことか」
くすり、と妖艶に笑う鈴菜の息が俺の頬へ触れる。
「何も矛盾は存在しない。君に抱かれている時だけ、僕は君より馬鹿になるから……」
鈴菜は俺の首筋に顔を重ね、喉ぼとけにそっとキスをした。
目の前に、彼女の黒髪とつむじが見える。果実のように甘酸っぱい香りがする。
「君とこうしてると、頭がぼーっとするんだ。どんなテストでも0点をとる自信がある」
「ああぁ……」
「あれだけ情熱的に助けてもらって、惚れないはずがないだろう? 僕はもう……君なしでは生きていけないんだ。肉の人形だと思ってくれてもいいから、さあ……好きにしてくれ」
……駄目だ。
目の間で、裸の美少女が息を吹きかけてくるこの状況。健全な男子がこの後どうなってしまうのか、想像に難くない。
おまけに俺、迷宮に潜ってからここにくるまで、ずっと発散する機会がなかった。小鳥や鈴菜の件があって、ずっと気を張ってたからだ。
生唾を飲み込んだ。
体がどんどん熱くなっていく。
もう、俺を止めるものは……何も存在しなかった。
「り……ん、菜。鈴菜……鈴菜鈴菜鈴菜っ!」
「きゃっ」
俺は鈴菜と…………。




