鈴菜の出産
その日、俺は来訪者たちに挨拶をしていた。
結婚式が近づくにつれて、数多くの人々が官邸を訪れるようになった。それにつれて俺の拘束時間も長く、そして濃くなっていった。
十人十色。人が増えれば様々な人間が出てくる。露骨に媚びてくる者、違法な奴隷を差し出そうとするもの。時々出現する耳の腐るような話の内容に、俺は鬱陶しさを覚えていた。
「はぁ……」
大統領官邸、応接室にて。
かつて王国時代に数々の客人を迎えたこの部屋は、城の二階に存在する。豪華絢爛な彫刻に彩られた、美術館のような場所といった印象だ。
今、この部屋を立ち去った男は神聖国の高級将校。政治的にも強い影響力を持つ彼は、つぐみとしても無視できないらしい。
俺に媚びてくる様子はなかったが、軍人独特の生真面目な感じがとっつきにくいと思った。
相手が緊張してるとこちらまで身構えてしまう。少しはフランクに対応してほしかったが、軍人相手にそれは酷というものだろう。
つまり何が言いたいかというと、話していてとても疲れたということだ。
「今ので30人、いや40人目か? 目が回ってる気がする……」
「同じく」
つぐみが目頭を押さえながらそう呟いた。お腹に子供がいるんだから休ませてやりたいけど、言っても聞かないしあまりに偉すぎるし。困ったものだ。
「もう一斉に挨拶することにしないか? 俺がバルコニーに立ってさ、『皆さんようこそ! 歓迎します!』って大声で言うんだ」
「確かにこの多さは私でも骨が折れる。ここは式の準備が忙しいといって、代理の人間を立ててみるか?」
「その方向で調節してほしい。副大統領とかいただろ? あの女の子」
「外務大臣でもいいな。場合によっては一紗にも手伝ってもらって――」
「大変です!」
と、俺たちに割り込んできたのは璃々だった。
彼女は屋敷で不審者の警備をしていたはずだ。職務を放棄してここまでやってくるなんて……まさか向こうで何かあったのだろうか?
「鈴菜さんが産気づきました!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は思考が停止してしまった。
産気づいた?
とうとうこの時が来てしまった。三十七週目。少し予定日より早いが、合同結婚式と被らなくてよかった。
「お、俺屋敷に戻る! つぐみ、あとは任せられるか?」
「……あとは私が対応しておく。匠は早く鈴菜のもとに向かってくれ」
「無理はするなよ」
俺は璃々の案内に従い、官邸を後にした。
出産を控えた鈴菜は、勇者の屋敷にいる。
屋敷にはこの首都で有名な女性の助産師が控えており、出産の準備は万全だ。首都の病院には大した医療器具もないから、その辺は自由選択の余地があったということだ。
「鈴菜っ!」
俺は鈴菜の部屋へとやってきた。
彼女はいつも俺の部屋で寝ているが、さすがにあの巨大ベッドで寝てもらうわけにはいかない。いろいろと邪魔になってしまうからだ。
室内には分厚くファイリングされた書類や白衣が置かれている。昔は足の踏み場もないほどに乱雑に置かれていたが、さすがにメイドの誰かが整理したらしく、今は歩くのに何の支障もない。
鈴菜はベッドでぐったりとしていた。黒髪ロングヘアはいつもに増してぼさぼさで、彼女の疲労感をより強調している。
子供により張ったお腹は、毛布の上からでもわかるほどに盛り上がっている。あの中に俺たちの子供がいるのかと思うと……奇妙な感覚だ。
「……陣痛の間隔が短くなっている。」
もう赤ん坊が顔を出しているのか、と焦っていた俺だったが、どうやらまだ時間に余裕があるらしい。とはいえ鈴菜の表情を見る限り、出産は近いようだ。
「……怖いな」
「背中さすろうか?」
「頼む」
俺は彼女の背中をさすった。気休め程度にでもなってくれたらうれしいのだが。
しばらく背中をさすっていたら、不意に、鈴菜が俺の手を掴んだ。
「君がそばにいると落ち着く。忙しいのは分かっているが……。見守っていて、くれるか?」
どちらかといえばストイックな対応をすることの多い彼女だ。こんな風に露骨に弱さを見せてくるのは珍しいかもしれない。
「当たり前のこと聞くなよ。……ずっとそばにいるさ」
「匠は優しいな」
「当たり前のことをしてるだけだ」
その後、俺たちは適当に時間を過ごした。
陣痛に耐える鈴菜。それを援助する俺。話したいことはいくつもあったが、出産間近の彼女に負担をかけるわけにもいかず、適当に言葉を投げかける程度にとどめた。
今日ばかりは他の女子と一緒に寝るのは無理だと悟っていた。もちろん、俺は最後まで彼女に付き添うつもりだ。
その後、しばらくして子宮が開き、鈴菜はいきみ始めた。
俺は鈴菜の手を握りながら、何度も応援の声をかけた。彼女は俺の呼びかけに応えることもあり、応えないこともあった。どの程度励ましになったかわからないが、役に立ったと信じたい。
いざという時のため、近くには乃蒼が控えている。彼女のハイルングを使えば、ケガレベルなら直すことができるはず。とはいえそれで出産の苦痛が軽減できるわけでもなく、あくまで緊急時の保険。基本的には助産師が仕事をしている。
鼓膜が破れそうな声と鈴菜の表情を見て、俺は激しい不安に駆られた。まさかこのままお腹が裂けて死んでしまわないか? お腹の子は果たして無事なのか? かつて強敵魔族と戦った時以上の不安を、この屋敷で感じてしまうことになるとは……。
とめどなく流れる汗と苦しそうな顔。これは本当に死んでしまうんじゃないのか? 俺が代われるものなら代わりたい……。
夜、つぐみが官邸から戻ったころに鈴菜は出産した。
母子ともに異常なし。
子供は元気な女の子だった。
俺も、そして屋敷にいるすべてのクラスメイトも彼女の出産を祝福した。




