咲の来訪
共和国に咲がやってきた。
元クラスメイトであり、隣国マルクト王国の王妃である阿澄咲。彼女を結婚式に招待することは外交的にも重要であるし、俺たちとしても彼女に祝福してほしいと思っていた。
言うまでもなく、文句なしの国賓扱い。
そのため道中は貴重な聖剣使いを護衛に付けていた。今更魔族に襲われることはないとは思うが、野党や強盗の類がいないとは限らない。念には念を入れて、ということだ。
勇者の屋敷、大食堂にて。
俺とつぐみは咲について話をしていた。もうすぐこの屋敷にやってくる彼女は、俺たちにとって予想外の者を連れてやってきたのだ。
「まさか……国王までやってくるとは思ってなかったな、招待状を出したのか?」
そう。
国王、アウグスティン八世もまた、この地にやってきていた。
かつてこの国がまだ王国と呼ばれていた時代、マルクト王国はライバルであり、時には戦争する仲でもあった。
建国の歴史は長いが、マルクト王国の国王がグラウス国の首都にやってくることは初めてだ。
「……よろしければいらっしゃいませんか、と社交辞令程度の文面だったのだが。まさか本当にやってくるとは思っていなかった」
つぐみが頭を抱えた。
国家元首クラスの要人となっては、対応一つで外交問題に発展しかねない。俺と縁が深く話も通じる咲であるならともかく、国王は言ってしまえば赤の他人。今回の宴における実質的なホストはつぐみだ。段取りを乱されて随分と困惑しているらしい。
「あれほどの要人ともなると、一度挨拶の場を設けた方がいいのか? しかしアウグスティン八世は口下手と聞く。なら歓迎のためマルクト王国の国歌を演奏して……いや、私たちが祝われる側なのだから……」
ブツブツと今後の予定を練っているつぐみは、本当に大変そう。お腹の子供を考えるなら無理はさせたくないが、俺に協力できることは少なそうだ。
咲の出迎えは俺がやっておくか。
そう思い食堂を出ると、そこには咲がいた。
屋敷のエントランスに当たるここは、かなり広い区画だ。二階へと続く階段や、玄関、それに食堂など主だった部屋へとつながっている。
本来ならメイドたちが何人かいるはずなのだが、結婚式の準備をするため屋敷の人手は少ない。俺たちの知り合いなんだから、俺たちが出迎えるべきだ。
それにしても早いな。もうやってきたのか?
「あら、匠君じゃない。お久しぶり」
黒と赤で装飾されたパーティードレスっぽい服を身に着けた咲が、微笑みながら手を振っている。
ほっ、よかった。今日は良識的な服装をしているな。
以前マルクト王国で裸同然のヤバい衣装を着ていた彼女を思い出す。あんな姿でこの国を歩かれたら困る。今のドレスは少し胸元が開いていて派手だが、良識の範囲内だ。
「元気だったか?」
「ええ。こうしてわたくしが元気なのは、下条君が魔族を倒してくれたおかげ。うふふ、どれだけ感謝しても感謝しきれないわね」
「あれは俺だけの力じゃない。マルクト王国の兵士たちだって頑張ってたじゃないか」
「そう思ってるのは下条君だけよ」
神聖国レベルなら俺も鼻を高くしていいと思うけどな……。
「はぁ」
妙に色っぽくため息をついた咲は、二階へと続く階段に腰かけた。
ドレスの中から覗く生足が妙に生々しい。
ついうっかり凝視してしまったが、すぐに目線を逸らした。
「……ねえ」
「な、なんだ?」
「長旅でとっても疲れちゃったわ。それにさっき脚を捻っちゃったみたいで、痛い……かも」
「何っ!」
咲はこう見えても王妃であり国賓。そして国王であるアウグスティン八世の寵愛を受ける、マルクト王国そのものと言っても差し支えない。
もし、ケガが悪化したら?
逆恨みされて、俺たちのせいにされたら?
ばかばかしい話だが、彼女ほど国王に愛されている人間ならそれも心配しなければならない。理屈は通用しないのだ。不安の芽は摘んでおかなければならない。
「大丈夫か? 少し患部を見せてくれないか?」
多くの戦いを走り抜けてきた俺にとって、軽い捻挫や擦り傷は日常茶飯事だ。もちろん簡単な応急処置も理解している。
医者ほどではないが、多少は役に立てるはず。
「ここ……」
咲は俺の手を握ると、そっと太ももあたりまで誘導する。
「このあたりか?」
「あんっ!」
「ああ……すまん変なところ触ったかもしれない。もっと下だ――」
と、膝のあたりまで手を下ろそうとしていた俺だったが、咲が強引に俺の手を引っ張ってきた。
「ああんっ、そこ……そこ……いい」
あ……あれ、下着、穿いてな……い?
「うふふ……下条君、意外と攻めてくるわね。お互い伴侶のいる身で、ヒメゴト。背徳感でゾクゾクしてこない?」
ふー、と俺の首筋に息を吹きかける咲。その腕は蛇のように俺をからめとっている。
ドレス越しに彼女の胸が当たる。E……いやFだろうか?
おお……おおぅ。ちょっと咲さん。もうすぐ式を挙げる俺をあまり誘惑しないでくれないかな。
「何をやっている!」
ドン、と勢いよく食堂の扉を開いて現れたのはつぐみ。声が聞こえていたのか?
め、めっちゃ怒ってる!
「ち、違うんだつぐみ! 咲がケガしてるって聞いたから、俺は確認しようとして……」
「下条君があんなに激しく突いてくるから、擦り切れちゃったわ……」
「突いてってなんだよ! 俺ちょっと手で撫でただけだろ?」
「うふふ、そうね、愛撫されちゃったわ……」
俺をからかっているのかどうかは知らないが、咲は全く否定しようとしない。
「貴様! 匠はもうすぐ私たちと結婚するんだぞ! 少しは遠慮しようという気がないのか!」
「あらあら、困ったわね。もうクラスの女子が半分以上結婚するというのに、わたくしだけ仲間外れなんて……悲しいわ」
「な、仲間外れって……そんなつもりは」
「うふふ、そうよね。わたくしにも、そのクラスの十一人を虜にした体、味わわせてくれるかしら?」
ペロ、と俺の頬を舐める咲。獲物を捕らえた肉食獣のようなその瞳に、俺は思わず体を震わせてしまう。
「あ……」
と、騒ぎを聞きつけたらしい他の子たちがやってきた。俺と体を絡め合う咲を見て、あらぬ誤解をしているようだ。
「匠君……、阿澄さんのお部屋……用意したほうがいいかな?」
「わ、私は別に構わないがりんごや一紗が傷つくようなことはやめろ! 泣くぞ! りんごや一紗が……ぐすん」
「匠君は私と運命の赤い糸で結ばれてるんだよぉ。それに匠君はこれ以上増えないっていったんだよ? ね? ね? だから増えないよ。増えないふえないフエナイ……」
いやいや君たち、誤解を解いてくれ。
あと小鳥は背中からベーゼ漏らすのやめてほしい。あの咲が震えちゃってるじゃないか……。
小鳥のおかげかそうかは知らないが、咲はそっと俺から体を離した。
「うふふ、冗談よ冗談! 新郎の緊張を解す、ただのおまじない」
明らかにいたずら心があったような気もするが、あえて余計なことを言うのはよそう。
おどけた咲の反応を見て、つぐみ以外の全員が警戒を解いた。
「……これだけは聞いておきたい。アウグスティン陛下はどうしてこちらにやってきたんだ? もちろん私たちにとって大変喜ばしことだが……正直なところ完全に予想外だった」
つぐみがまじめな話を始めた。
そうだな、俺もそこが気になってたんだよ。
「うちの陛下。この前下条君に助けられたことを随分と感謝してて。あれはもう、女の子だったら今頃この屋敷で新婦になってるわね。今回も是非祝福したいと言ってたわ」
「匠つながりか、それなら納得だ」
俺が助けた? 神聖国の一件か?
国王を直接助けたわけではないが、俺はゼオンを倒した。彼にとらわれた咲を解放し、そして何より多くの兵士たちを助けたといってもいい。
まあ、感謝されるのは分かるな。
「この間のもそう、下条君を称える宗教――『勇者教』だったかしら。それに入信したらしいわ。本当なら一国の主に軽率な行動は控えてもらいたいけど、わたくしも助けられた身として止めにくくて。許してちょうだい」
へー、国王さん勇者教に入信したのか。この都市だけの弱小宗教に耳を傾けるとは……よっぽど俺のこと好きなんだな。
「あまり新興宗教が浸透するのは好ましくないのよねぇ。でも救出されたわたくしが弾圧なんてできないわ。はぁ、陛下も陛下よ……。『王よりも勇者を」なんて民が言い出したらどうなさるおつもりなのかしらぁ……」
なんだかこっちはこっちで悩み事が多いらしい。まるでさっきまでのつぐみを見ているかのようだった。
っていうかちょっと待ってほしい。
「そ……、そのカルト教団そんなに流行ってるのか?」
「うふふ、そんなに心配しなくてもいいわよ下条君。わたくしの国の信者は、陛下を合わせて両手で数えられるぐらいだと思うから。ただ陛下が入信したことで、流れが変わるかも……」
HAHAHAHA、まさかまさか! だって俺が神様ですよ? 唯一神ですよ?
ありえねぇ、ありえねぇから。
「ありえないよな?」
「わたくしも下条君に感謝はしてるけど、神様は少し言い過ぎよね。一過性のブームで終わってくれることに期待してるわ」
え……ブームは承知の上なの? このまま相手にされず消えていく運命なのでは?
「まあ、とにかくこれからよろしくね。わたくしもしばらくはこの都市で過ごすから、また時間のある時お話しましょう」
「ガルルルルル! 帰れ帰れ!」
つぐみ、キャラが崩壊するよう唸り声を上げないでくれ……。
こうして、咲がグラウス共和国にやってきた。
他国の国王夫妻がやってきたことは、合同結婚式とその祭りをさらに彩る結果となるだろう。
祭りの日は、近い。




