小鳥と冒険者
翌日、俺たちはレグルス迷宮へと入った。
俺と一紗が前と後ろに付き、間にはりんご、雫、乃蒼。前後からの攻撃に対応できるようにした布陣だ。
かつて迷宮に何度も辛酸を舐めさせられた者として、探索には細心の注意を払ったつもりだ。しかしそんな俺たちの努力は杞憂だったようで、これまで雑魚魔族としか出会っていない。
やはり先の大侵攻は魔族の総力戦だったということだ。かつて人類に恐れられたこの迷宮は、もはやただの冒険者レベルでも十分攻略可能なまでになっている。
そして――
「このあたりか」
すでに目撃情報の入っていた地点に突入している。
以前にこの迷宮を踏破したことのある俺と一紗。『結晶宮殿』と呼ばれる魔族の総本山へと至るまでの過程は、未だに覚えている。
そんな俺が判断するに、ここは迷宮の上層のやや下寄りといったところだろうか。まだ通路の造りが荒く、ところどころブロックではなく土が見えているのが特徴だ。
「どうする? 正確な場所は聞いてないけど、この辺りにいるのは間違いないと思う」
「手分けして、ってのは危険よね。今のままこの辺りをしらみつぶしに探すのがベストじゃないかしら?」
「地道に探すしかないよな。慎重に進んでいこう」
これといった目標があるわけではないが、ここにいるのは間違いないと思う。あたりの様子に警戒を強めながら、俺たちは通路を進むことにした。
と、まさにその時。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
突然、通路に男の悲鳴が響いた。
瞬間的に俺は剣を構えた。後ろでは一紗たちの身構える気配がする。
しかしその緊張とは裏腹に、とりあえず身の回りには何も起きていない。
あの声は少し離れたところから聞こえてきた。
「通路の先に誰かいるのか?」
「行ってみましょう!」
俺たちは駆け出した。
魔族たちがほとんどいなくなったレグルス迷宮は、無人にも等しい。走り抜ける俺たちは何の障害もなく、大きな扉の前までたどり着いた。
中から人の気配がする。
「……開くぞ」
身構えたままの俺たちは、その石の扉を慎重に開いた。
広い部屋だ。
おそらく、まだ地上侵攻が始まる前は爵位持ちの魔族が居を構えていたのだろう。干からびた果物やぼろぼろになった服のようなものが置いてある。
その、片隅で。
「ひ、ひい……」
男が、泣いていた。
それなりに筋肉質の男だ。腰にはショートソード、金属質の腕当てを身に着けている。
街中を歩いていればそこそこ強そうだと思えそうなその男は、腰が抜けたように地面へと座りこみ涙を流している。
そしてそんな彼の首元に黒い剣を当てる一人の少女がいる。
小鳥だ。
浮浪者のようなぼろぼろの制服と、セミロングの赤い毛、赤い瞳。
魔剣ベーゼの呪いによって正気を失った少女。血と肉を求めさ迷うその姿は、まさに死神。今回もあらたなターゲットを見つけ、その剣に血を吸わせようとしているのかもしれない。
この冒険者、おそらく懸賞金に釣られて小鳥を探していたのだろう。運よくその場を離脱して報告できたものと違って、彼は見つかってしまったわけだ。
「ゆ、許してくれ。お、俺は金が欲しかっただけなんだ。あんたに危害を加えたりなんかしない。ここで見つけたことは誰にも言ったりなんかしない。だから殺さないでくれ! 頼むっ!」
最初の悲鳴ですでに争いがあったのだろうか。男は苦しそうに右手を押さえていて、そこから赤い血がぽたぽたと滴り落ちている。
よく見ると男のものと思われるロングソードが遠くに落ちていた。争いの末、小鳥に飛ばされてしまったに違いない。
かつての俺たちでさえ手を焼いた小鳥。魔族たちから『黒き災厄』として恐れられたその実力は、ただの冒険者程度ではどうにもならないほどだ。
最初の争いで力量差を痛感したのだろう。男は必死に命乞いをしている。
「あはぁ」
だが男の命乞いを聞いた小鳥は、笑う。
瞬間、何かが動いた。
俺の目には、赤いレーザーか何かが投射されたかのように見えた。それほどの小さく一瞬の出来事。
「ぎいいいやああああああああああっ!」
男の左腕が、切れた。
男は痛みに耐えかね地面をのたうちまわった。肘から上が存在しないその断面から、おびただしい量の血があふれ出す。
「あっはははははははははは! 血、血血血血血血血血血血血血血血血血、肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ!」
鮮血に塗れた小鳥が笑う。おぞましくもむごたらしいその光景に、後ろにいた乃蒼が絶句している。
狂気の小鳥は再び剣を振り上げた。冒険者の男にとどめを刺し、さらなる殺戮を求めての行動だろう。
小鳥は剣を振り下ろした。その狙いは男の首。
対する冒険者は恐怖と痛みによって動くことすらままならない。
このままでは男の死は確実。
だが、小鳥の剣が当たることはなかった。
俺だ。
俺は聖剣ヴァイスで小鳥の剣を受け止めた。
「早く下がれ。乃蒼、あとは頼む」
正気を取り戻したらしい男は、這うようにして後ろへと下がった。そこには雫とりんご、そして乃蒼がいる。
聖剣ハイルングとしての乃蒼の力は癒し。彼女の力をもってすれば、出血の激しい腕を治すことができるはずだ。
「あはぁ、匠君、匠君だぁ~」
小鳥が俺に気がついた。なぜだか分からないが、狂気に彩られても俺には優しい気がする。
だが禍々しいオーラは、いかにもラスボスといった感じ。小鳥が放出する黒い霧のような物質に触れるたび、寒気と恐怖感が増してくる。
小鳥から殺気を感じる。俺にではない。後ろの一紗、りんご、雫、小鳥、そして弱った冒険者に対して。やはり……戦いは避けられないか。
とうとう、この時が来てしまった。
俺たちは小鳥と戦う。
彼女を助け出し、改めてこの平和な世を楽しみたい。
これが、最後の戦い。




