小鳥が残したもの
レグルス迷宮内部、とある部屋の中にて。
一紗や魔族たちが倒れたその部屋の中で、俺は小鳥と話をしていた。
彼女を刺激してはいけない。何がきっかけになり暴れだすか分からないからだ。
現に一紗たちは、友達であったにも関わらず襲われている。
小鳥は強い。魔剣・聖剣を持った一紗ですら後れを取ってしまったほどの強者だ。今の俺では……逆立ちしても勝てないと思う。
だから戦ってはならないのだ。
小鳥はスキップして俺に駆け寄ると、ぽふん、と腕に抱き着いた。
「えへへへ、仲良しさん~」
彼女は人懐っこい性格だった。こうしたスキンシップは、まだこの世界に転移する前からいつもやっていたこと。
懐かしい、教室での記憶を思い出す。一紗がいて、俺がいて、小鳥がいて。普通に話をしていた……あの時のこと。
小鳥はじゃれついている子犬みたいに、俺の腕に顔をすり寄せている。それ以外は何の異常行動も示さない。
普通……だな。
その狂気の矛先が、俺に向かうことだけは避けたい。
「あのねぇ、匠君」
「お、おう、何だ?」
「私ね、謝らないといけないことがあるのぉ。匠君からもらったメイド服、破れちゃったよぉ。ごめんね、せっかく匠君からもらったのに」
目をウルウルとさせ、大げさに涙を流す少女。まるで大切な宝物をなくした子供のようだった。
「あ、ああ、残念だったな。でもあれ、俺がプレゼントしたっても言い過ぎだけどな。変な格好させて、ごめんな」
「……え?」
瞬間、小鳥からどす黒いオーラを感じた。そう、それはこの部屋に最初やって来たとき、一紗たちがくらっていたあの攻撃に似た……プレッシャー。
こ、ここはあまりこの子を刺激しない方がいいのか? あのメイド服は俺の趣味じゃないんだが、気に入ってたのかな?
「あ……えと、小鳥。に、似合ってたぞ? メイド服の小鳥、可愛かった、すごくかわいかった!」
「えへへ~、可愛いかぁ。嬉しいなぁ~、匠君にそう言ってもらえると」
どうやらこの回答で正解だったらしい。
「ねえねえ匠君」
「どうした?」
「一紗ちゃんは~、どこにいるの?」
冷汗を堪えるのが精一杯だった。
魔剣の力は人を狂わす。
一紗は目の前で倒れている。そして彼女を攻撃したのは小鳥自身。知らないはずがない。
要するに、頭がおかしいのだ。誰を攻撃して誰を攻撃しないか、その区別がついていない。
「さあ、どっかに行ったんじゃないのか? ついさっきまで一緒にいたんだけどな」
「ふーん、残念。お腹減ったから、食料分けてもらおうと思ったんだけどなぁ」
小鳥は手を動かした。
「……んぅ、ふぅはぁ、美味しいよぉ」
今までずっと彼女が持っていた……骨。それをしゃぶっていた。未だ肉の付き血がしたたり落ちる、魔族の骨だ。
舌を這わせ、唾液を垂らす。その姿は妙に艶めかしくて……違和感があった。
「匠君も食べる?」
「ば、馬鹿言うなよ。間接キスになっちゃうじゃないか」
俺は、震えを隠すのが精いっぱいだった。
骨。生の血と肉。人間の食べ物じゃない。小鳥は狂っている。でも彼女にそれを言っても伝わらないし、言い争いが戦いに発展すれば……こちらが倒される。
彼女を……刺激してはならないのだ。
どれだけ、その体勢でいただろうか?
ずっと機嫌よく鼻歌を歌っていた小鳥は、不意にゆっくりと立ち上がった。
「久しぶりに匠君と会えてぇ~、嬉しかったよ。私、そろそろ行くね」
「行く? どこに行くんだ?」
「どこ? どこ? だって、魔王倒さないといけないし~、一紗ちゃんにも会わないと。それからそれから、元の世界に帰って、パフェやアイスをいっぱい食べて~」
「そ……そうか」
支離滅裂だ。でも変に反論して機嫌を悪くされたら俺の命に係わる。適当に流しておかないといけないんだ、この会話は。
「じゃ、じゃあな小鳥。またいつか」
「うん、じゃあね」
小鳥は魔族の死体を切り刻みながら、奥の扉へと去っていった。
「…………」
た……助かった。
生きた心地がしない、というのはまさにこの事。呪われた少女が過ぎ去り、敵である魔族も戦闘不能状態である今、身の安全は保障されたといってもいいだろう。
でも、問題は残っている。
一紗、りんご、雫を連れて戻らないといけない。戦力にならない彼女たちを抱えてもといた場所まで戻るのはかなりの難題だ。だがいくら何でもこんなところに放置しておくわけにはいかない。
幸いなことに、俺は聖剣と魔剣を使える。一紗から二本借りれば、相当戦闘力が強化されるだろう。魔剣や聖剣は魔法みたいに熟練度なんていらないからな。
俺は一紗の近くに落ちていた魔剣と聖剣を拾って、気が付いた。
「ぐ……ぐ……」
声が、聞こえた。
俺の背後、小鳥が出て行った出口付近から聞こえてきた声は、その近くで倒れていた魔族が発したものだった。青い肌と角を持つ、例えるなら青鬼のような姿をした奴だ。
……こいつ?
俺はそいつを見て気が付いてしまった。
脚が、再生してる? ぶよぶよした細胞のような塊が、切り取られたひざあたりからゆっくりと盛り上がっている。
そして、男は何かの瓶みたいなものを持っていた。
こいつ、まさかっ!
「おい」
俺は聖剣の刃を魔族の首に這わせた。
この魔族がどの程度の強さなのかは知らない。だが、これだけ血を流し瀕死の状態にあった男だ。それ相応に消耗しているはずだし、ましてや魔剣と聖剣持ちの人間とは絶対に戦おうとはしないはず。
魔剣持ちの恐ろしさは、さっきこいつが身をもって思い知ったはずだからな。
「ひ、ひぃ」
俺の予想通り、魔族は怯えた声を上げた。どうやら今の状態ではそれほど戦闘に自信がないらしい。
「正直に答えろ。そうすれば見逃してやる。お前が使ったその瓶みたいな魔具は、体を再生させる効果があるのか?」
正直なところ、これは当てずっぽだ。この魔族自体が再生力の強い種族である可能性があるからな。
「あ、ああ、そうだ」
だが、魔族の答えは俺が望んでいた通りのものだった。
小鳥の凶行。それがもたらした、意外な結果だった。
「そいつを俺に寄こせ。そして出口からさっさと出ていけ……」
「わ、分かった、こいつは置いていく」
「待て、他にも隠してないだろうな? それ一個だけか?」
「そ、そんなレアなものが何個も揃えられるわけがないだろう! それももうあと一回が使用限度っ! 次はない!」
魔族はそう言い捨てて、足早に逃げ去っていった。
使用制限……。
正直なところ、俺はこんな魔具が手に入るなんて思ってなかった。今までずっと、そうなったらいいなという夢を追っていただけに過ぎない。
だから、考えなかった。『数が少なかったら?』とか、『回数制限があったら?』とかいう懸念に関しては。
一回。
鈴菜の手首は治るかもしれない。俺はそのために来たと言っても過言ではないのだから、それでいいように思える。
でも、本当にそうか?
事態はそう甘くない。手首が切断されたのは鈴菜だけじゃない。地方、そして首都の決して少なくない女性たちが被害にあっているのだ。
鈴菜だけ手首が治ったらどうなる? 他の怪我をした一般市民たちが激怒しないか? つぐみは暴動が起こっていると言った。五体満足の彼女を見た被害者が何を思うか……想像に難くない。
悩んでいても仕方ない。どのみち、俺以外の三人が倒れている今、もはや悠長に迷宮探索をしている余裕なんてない。新手が来ないうちに、一刻も早くこの場を離れるのがベスト。
そう思い振り返ると、意外にも一紗が立ち上がっていた。よろよろと、剣を杖にして老人にようにではあるが。
「一紗! 大丈夫だったか? 立てるのか?」
「立て……るわ」
「……助かった、俺一人で三人も運べないからな。少し辛いかもしれないけど、元居た場所に戻るぞ」
「……そうね」
さすがは歴戦の勇者といったところか。一紗はすぐに震えを抑え込んだ。
「りんごはあたしが運ぶわ。あんたは雫をお願い」
「お……おい、本当に大丈夫か? 無理して倒れたら元も子もないぞ。体の小さい雫を運んだ方がよくないか?」
「大丈夫、勇者だもん。これぐらい頑張るわ」
一紗は俺の助言などまるで無視して、りんごを担ぎ上げた。しばらく様子を見ていたが、全くふらついていない。
肩に負った傷は、出血の割には浅かったのか? 彼女が持つ気力のなせる業か。
本人がこう言ってるんだ。ここは甘えておこう。俺たちに一紗を楽させるだけの余裕なんてないんだから。
りんごは全く意識がない。だが、それほど顔色は悪くないように見える。時間がたてば、きっと目を覚ますだろう。
俺は雫を抱きかかえた。
「すまんな、雫。しばらく俺に捕まってくれ」
「……触んな」
どうやら、雫も目を覚ましたらしい。
だが彼女は言葉だけだ。先ほど受けた衝撃の影響で、体を動かそうとすると激痛が走るらしい。
「手つきが……やらしい。セクハラ、死ね」
「馬鹿っ、強がってる場合かっ!」
「お前……さっき、私が小さいって言ったよな? 馬鹿にしたよな?」
いやいやいや、それ緊急事態だからね。
でも大丈夫。悪いのは口だけ。今の彼女はまともに歩ける状態ではないのだ。
「下着を触ったら殺す、お尻を触っても殺す、胸を触っても殺す、殺す殺す殺す」
「はいはい、分かったから大人しくしてくれ」
俺は少し速度を上げた。一紗が意外にも足早く進んでいるからだ。彼女とはぐれた、なんて話は笑えないからな。
「……っと」
急ぎ過ぎてしまった俺は、気が付けば洞窟の段差へと足を引っかけてしまった。その影響で体勢が崩れてしまう。
太ももからずれた俺の手が、雫のスカートへと潜りこみそして――
「ひゃうっ!」
触ったら殺す、と言われた場所を触ってしまった。
なんか可愛い声だったな、と思ったのもつかの間、気が付けば俺の首筋にきらりと光る冷たい刃が……。
「……三秒やるこの犬野郎。神に祈れ」
「女神よ、無実なのです。どうかお耳を……」
「ぎるてぃー」
激痛を堪えた雫が、太もものホルスターから護身用のナイフを取り出したらしい。今、その刃先は俺の首筋に張り付いている。氷のように冷たい吐息と目線付きだ。
馬鹿してるわけにはいかないから、俺は雫を無視して前に進んだ。
もちろん、雫に殺されるなんてことはなかった。
ただ、時々思い出したように首筋をチクチク刺されただけだ。薄皮一枚程度の怪我。まったく問題ない。
痛かったけどなっ!
小鳥ちゃん「ちゅんちゅん!」
魔剣ベーゼの呪いにより獣のような鳴き声を上げる小鳥ちゃん。
※次回から2.5日投稿になります。