聖剣ハイルング
…………。
どれほど、眠っていたか分からない。
目覚めると、そこはベッドの上だった。
アスキス神聖国首都、セントグレアム近郊の空き家だ。決戦の前に泊まっていたところと、同じ場所だった。
「…………」
体の節々が痛む。
俺はゆっくりと体を起こして、周囲を見渡した。
窓の外は明るく、周囲には誰もいない。太陽の傾きは朝を示している。あれから、少なくとも半日以上が経過しているということだ。
「お目覚めですの?」
木製のドアを開いて部屋の中に入ってきたのは、修道服を着た亞里亞だった。
手には白いタオルが握られている。
改めて自分の体を見ると、こびりついていた血や泥が綺麗になくなっている。着ている服も新しい。
どうやら彼女が俺の世話をしてくれたらしい。
「あれから何日経った? ゼオンは? 首都は?」
亞里亞へ駆け寄ろうとしたが、体に激痛が走った。この短期間でゼオン戦の傷が癒えるはずもなく……当然の結果だった。
「今は匠様が魔族を倒されたあの戦いの翌朝ですわ。セントグレアムは現在、赤岩さんとアウグスティン国王が共同で対応しております。都市の方々が非協力的な事もあり、あまり上手くはいっていないようですが……」
「…………」
俺たちはアスキス神聖国を制圧した。
しかし征服戦争でこの地を制圧したわけではないから、常識的に考えるなら元の状態に戻すべきだ。
といっても、亞里亞や農夫たちの件もある。死んだ教皇以外の枢機卿・司祭たちをそう易々と復権させれば、また同じ過ちを繰り返してしまう。そこだけは見過ごせない。
そして何より厄介なのはこの都市の住民たちだ。俺は亞里亞を助けたとき以外彼らと接触を持ったことはないが、明らかに教皇のやり方に賛同していた。女であるつぐみに命令されることを、果たして快く思うだろうか?
この混乱した状況だから、軍の力で捻じ伏せるのは容易いと思う。しかしただでさえ互いに疲弊した状況で、余計な争いは生まない方が良い。
何か良い落としどころはないだろうか?
「匠様……これを」
亞里亞が俺に差し出してきたのは、一本の剣だった。
「赤岩さんから預かりました。……島原さんの聖剣だと聞いていますわ」
乃蒼……。
こんな姿になってしまって……。
まずは、話を。
「亞里亞、そこに立てかけてある聖剣を持ってきてくれるか」
「はい」
俺の剣とぼろぼろになった防具は、近くのテーブルに置いてある。この体では立つことすら厳しいから、申し訳ないが亞里亞にお願いすることにしよう。
亞里亞は俺の頼み通り、一本の聖剣を持ってきた。
聖剣ゲミュートは感情を高ぶらせる。俺が聖剣・魔剣と話すための能力――〈同調者〉としての力を簡単に発揮するためには必要な剣なのだ。
「……匠君」
聖剣を使うと、まるで幽霊のような白くぼやけた乃蒼が現れた。
「え? 島原さん?」
亞里亞が手に持っていたタオルを落とした。どうやらこの状態での乃蒼の姿は、俺以外にも見えているらしい。
「すまなかった……」
開口一番、俺は乃蒼に謝った。
「俺にもっと力があれば、乃蒼を守ることができた。こんな姿にされて……」
「ううん、またこうして匠君のところに帰ってこれたんだもん。私、嬉しいよ」
「乃蒼……」
彼女の優しさに、胸が詰まる思いだった。
「ぐ……」
胸に激しい痛みを覚えた。肋骨がやられてるんだ。あまり長く会話をしていると、骨に響く……。
「匠君、私……使って」
「乃蒼? いいのか?」
「匠君、私のためにいっぱい頑張ってくれたんだよね? 怪我して、苦しそうな匠君を見てられないよ……」
「乃蒼、俺は……」
あの日彼女を守り切れなかったことは、今でも後悔している。そんな俺がこの力の恩恵を受けていいのかどうか? そんな資格はないと思う。
でも――
「わかった、それが乃蒼の望みなら……」
彼女の懇願を、断り切れるわけがない。
俺は乃蒼の剣を構えた。
「解放、聖剣ハイルング」
瞬間、緑色の風が俺を包んだ。
「おお……おおお……」
これが瀕死のゼオンを蘇らせた、乃蒼の力か。
体が全快している。
痛いところはどこにもない。それどころか、激戦で疲弊していた筋肉まで元通りになっている。
「すごいな、乃蒼の力。俺の体が――」
と、そこまで言って俺は気がついた。
手に持っていたはずの乃蒼の剣が、なくなっていたのだ。
そして、目の前には乃蒼が立っていた。先ほどまでの幽霊調の姿ではなく……いつものはっきりとした存在感のある彼女。
剣にされる前、そのままだった。
「の、乃蒼? その体どうしたんだ? だって、今まで剣になって……それで」
「あの、ね。私も……治せないかと思って、それで……」
「あっ……」
これは盲点だった。
乃蒼の聖剣、ハイルングの能力は癒し。それはただ単純に体力を回復させるだけでなく、剣にされてしまうという魔法……いや呪いの力すら回復させてしまうことができるのか?
先ほどの聖剣の力が、乃蒼にまで及んだ結果だったのだ。
俺は思わず乃蒼を抱きしめた。華奢で、それでいて柔らかい感触。この匂いも、感覚も、全部全部……彼女そのものだった。
「良かった、もう二度と……乃蒼を抱きしめられないんじゃないかと思ってた」
「匠君、痛い、痛いよ」
「は……ははっ、ごめんごめん。ついつい、力入れすぎちゃった」
俺は乃蒼を離して、おどけて笑う。
乃蒼は恥ずかしそうに俺から目線を逸らした後、ある一点でその視線を止めた。
部屋の隅に置かれたそれは、戦いでぼろぼろになってしまった俺の胸当てだった。
心優しい乃蒼のことだ。俺とゼオンの戦いを思い出して、胸を痛めてしまったのかもしれない。
「嫌な事を思い出させたか? すまないな。こんなにぼろぼろじゃあもう使えないから、どこかに捨ててくるよ」
「待って」
と、どこかに捨てようとしていた俺の手を掴んだのは、乃蒼だった。
「……ん」
乃蒼は両手を合わせて祈るようなしぐさをした。するとそこから緑色の風が生まれ、防具を包み込んでいく。
すると、ぼろぼろに破壊された胸当てがが……元通りになった。
これは……。
「聖剣の時の力を使えるのか?」
「う、うん……」
聖剣から元に戻った人間なんて、歴史上存在しないはずだ。前例がないから分からないことも多かったが、まさか剣としての能力を自由に使えるなんて……。
待てよ。
乃蒼の力は癒し。それは人ではなく防具すらも直してしまう慈愛の力。
なら……それなら。
「乃蒼。こ、こいつを直せるか?」
俺が手に取ったのは、聖剣ゲレヒティヒカイトだったもの。防具の隣に置かれていた、聖アントニヌスの遺影。
「エリナさんの聖剣だよね? 分かった、やってみる」
もはや柄だけとなってしまったその剣を掴んだ乃蒼は、先ほどと同じように祈りを捧げた。
すると……。
「私は……」
剣が元通りになっていた。
そこには、聖剣ゲテヒティヒカイトがあった。そして隣には、幽霊のように白っぽい老人……アントニヌスがたっている。
人間に戻らなかったのは、生前『人間に戻る気はない』と言っていた彼の意思を尊重した結果か? それとも乃蒼が剣に戻したいと願ったからなのか? 詳細は分からないが、彼女の力は聖剣を完全に修復した。
「……戦いは、どうなったんだ? 私は……祖国を救えたのか?」
「じいさんっ! もう安心してくれ。あんたの国は、俺たちが救った」
「そうか……それは良かった」
じいさんは両目を瞑り、しばらくその場を動かなかった。自ら生きていた頃の祖国を思い出しているのかもしれない。
「……聖アントニヌス様っ! 信じられませんわ。聖人様がなぜここに……」
驚いた様子の亞里亞は、そのまま跪いて祈りを捧げ始めた。
あー。
じいさんは聖人で、石像とかで祭られてるんだったか? だとしたら信者の亞里亞がこの反応をするのも納得だ。
……他の信者たちも、同じ反応をするのかな?
戦いは終わりましたがもう少しだけこの章は続きます。




