ブリューニングの悩み
ブリューニングが笑う。
しかしここは戦場。俺も彼も、武器を手放さず対峙している。
ひときしり笑ったブリューニングは、再びこちらに迫ってきた。しかし先ほどまでの気迫の籠った攻勢とは違い、どこか俺を試している風である。
「――〈万壊〉」
再びの必殺魔法。
ブリューニングが駆け出した。その巨体が迫りくる光景は圧巻。まるでクマに追われているかのような錯覚に陥ってしまう。
対する俺は剣を構える。聖剣ヴァイスは優秀な俺の友人ではあるが、このままでは〈万壊〉によって破壊されてしまう。
だから、俺は一つ小細工をする。
右手には聖剣ヴァイス。
左手には……木の枝。
そう、俺は上腕の長さ程度の小枝を構えていた。普段であれば、正気を疑うような光景だ。
兵士たちが悲鳴を上げている。『勇者様は狂ったのか』とでも言いたげに涙を流す者すらいた。
だが……。
「…………」
ブリューニングの戦斧と俺の武器が接触した、その瞬間。
小枝は、確かに斧をはじいたのだった。
そう、まるで先ほど素手であの巨大な斧を対処できた時のように……。
「〈万壊〉はすべてを破壊する、か」
その言葉に、間違いはないのかもしれない。奴の魔法は、確かに魔剣を破壊したのだから。
だが俺の手はそうならなかった、それは……。
「その力は武器に接触したある一点でしか生み出すことができない。それ以外の場所は完全に無害化するんだ。だから俺が素手で弾けた」
〈万壊〉。
その正体は武器の破壊力をある一点に集中させ、巨大な破壊力を生み出す魔法。その力は聖剣すらも切り裂いてしまうほど極めて強力だが、一方でそれ以外の部分は弱体化してしまう。
一点凝縮され聖剣すら破壊するある一点。そしてそれ以外の弱体化は俺が斧を素手で持っても無傷なほどだ。
今回、ブリューニングは聖剣破壊に全力を注いだ。おそらく聖剣との接触予定箇所に刃が当たれば、まるでバターか何かのように容易に切断されてしまっただろう。しかし木の枝が当たった個所は明らかにその範囲から外れており、そのため脆弱な力だったにもかかわらず斧を弾き飛ばしたのだ。
こうなれば単純な肉弾戦で勝敗は決定する。もともと魔法による遠隔攻撃を得意としないブリューニングだ。確かに俺一人で不利なのは変わりないものの、新たな援軍が現れれば……あるいは。
「勇者様っ!」
聖剣使いがもう一人やってきた。これで形勢はずっとこちら側に傾く。
「気を付けろ、奴の魔法は――」
俺は兵士に〈万壊〉の性質を説明した。油断すれば武器を破壊されてしまうかもしれないが、それでもずっとこちらが有利になる。
…………。
…………。
…………。
それから、時間にして約一時間程度だろうか。
俺は戦った。援軍としてやってきた聖剣使いも戦った。そして時間がたつにつれ俺たちの援軍は次々と増えていき、エリナを含め共和国の聖剣・魔剣使い約半分がこの地に集結していた。
さしものブリューニングもこれだけの人数を相手にすれば多勢に無勢。とてもではないが個人で対応できる範囲を超えている。
その結果……。
「終わりだ……」
俺はブリューニングの〈戦斧〉を弾き飛ばし、剣先を首に向けた。
すでに彼にとって周囲は四面楚歌。俺たちは疲労困憊ではあるが、動けないほどじゃない。
「殺せ」
ブリューニングはギロチンの刃を待つ死刑囚のように、その場に座りこんで項垂れている。
死を覚悟したのか、……あるいは。
「ブリューニングさん」
「なんだ? 遺言なら何もない。早く勝者の役目をはたしてくれ」
「あんたさ……ひょっとして、死にに来たんじゃないのか?」
その言葉を聞いた瞬間、ブリューニングは顔をしかめた。
おかしいとは思っていた。
ブリューニングは爵位持ちであり、魔族の大軍とともにこの地を侵攻していたはずだ。仲間がいたはずで、ひょっとすると部下のような魔族もいたかもしれない。
もちろん、これまで何度かはぐれてしまった野良魔族と出会ったことはあった。しかしそいつらは総じて知能が低かったり、弱かったりとさして相手にならなかった。
少なくとも幹部クラスの魔族がのこのこと一体で大軍に突っ込んで来ることなど、今までなかったのだ。奇襲としてはすさまじい成果を出したが、仲間と連携すればもっとその効果は上がったはずだ。
なぜ、彼は仲間を連れてこなかったのか?
よほど自分の力に自信があったのか……あるいは。
「ブリューニングさん、あんた……死にたかったのか」
「……ぐっ」
この反応、やはりそうか。
「あんたが農夫を逃がしていたことは知っている。この戦争に……正義なき虐殺に苦しんでるんじゃないのか!」
そう。
俺たちは神聖国南部で魔族と戦った。多くの村を解放したが、いくつかの村人がこんな証言を残していた。
隊長らしきスキンヘッドの魔族が、自分たちを逃がしてくれたと。
兵士たちは軽く聞き流していたが、俺にはその男がブリューニングであるとすぐにわかった。
彼は……この戦争に疑念を抱いていたのだ。しかし魔王あるいはゼオンへの忠誠心がそれを許さなかった。
「上位魔族への忠誠心を示したまま、この醜い戦争から逃げ出す方法。それは死ぬこと以外ありえない。だからあんたは俺の軍に突っ込んできた。俺たちにその命を差し出すために! 違うか?」
「分からないんだ……」
ぽつり、と語りだしたブリューニンのグの声をあまりに小さく、そして弱かった。その巨体から考えられない、まるでネズミの怯える声みたいだ。
「ゼオン様は闘争にその身を置くお方。軍属の兵士や強者とであれば嬉々として戦場に赴くだろうが、民間人を虐殺する趣味はないはず。なぜゼオン様はあのような命令を下したんだ? 俺は……ずっとそのことを悩んでいた」
考え抜いた答えは違うが、彼もまたダグラスさんと同じように苦しんでいたということか。
「……ブリューニングさん。俺たちと一緒に来いよ」
「……君は、何を言ってるんだ?」
「民間人の虐殺が間違ってるというなら、あんたの力で民間人を守って欲しい。あんたには力があるはずだ。それを、犠牲になった人たちのために振るってはくれないか?」
「……いいのか? 俺は民間人を殺してはいないが、君たちの兵士を殺しはした。恨んでいる人間も多いだろう?」
「これは戦争だ。軍人にはその覚悟があったはずだ。それでも文句をいう奴がいれば、俺が黙らせる。俺は戦争で大活躍の勇者なんだ。それぐらい文句を言ったって許される」
まあ、みんな怯えてブリューニングに文句を言うことなんてないと思うけどな。この魔族に喧嘩を吹っ掛ける人間がいるのかどうかと聞きたい。
「陰口が不安ならウィッグを用意しようか? さらさらの黒髪ロングヘアだ。新しい世界が開けるかもしれないぞ?」
「ふふっ、ははははっ! 止めてくれ。そいつは俺の柄じゃない。いいさ、俺はこのままで君たちに協力するよ」
俺とブリューニングは握手をした。
こうして、ブリューニングが俺たちの仲間になった。彼の助力は百人力であり、彼以上の魔族とは未だ遭遇していない。
破竹の勢いで進むグラウス・マルクト連合軍は、いよいよ神聖国の首都近郊へと迫ったのだった。




