聖アントニヌス
アスキス神聖国首都近郊、とある森の中にて。
俺たちはセントグレアムから逃げることに成功した。門を聖剣で破壊し、少女たちを引き連れての逃避行。追手はもはや来ていない、完全に撒いている。
おかしい……。
いくら何でも、上手くいきすぎだ。俺たちの進行速度はそれほど速くなかったし、馬で追いかけられればすぐに追いつかれたはずだ。なぜ誰も追手が来ないんだ?
まさか情に目覚めた教皇が俺たちを見逃してくれた? いや、あの変態に限ってそれはない。むしろ激情に駆られて追ってきそうな感じだ。
「勇者様、本当にありがとうございます」
「勇者様……」
「勇者様……」
俺自身が拍子抜けなほどあっさりとした逃亡劇だったが、どうやら彼女たちにとってはそうでないらしい。俺が苦労して脱出した、という認識のようだ。
俺を見上げるその瞳は、まさに神か救世主を眺めているかのよう。無計画で偶然上手くいっただけなのだから、若干申し訳なくなってしまう。
「……日も傾いてきた、今日はこの近くで野宿をするか……」
そう言って、俺は進行方向に見えてきた洞窟を指す。
なるべく距離を稼いでおきたかったが、俺が連れている少女たちはそれほど体力がある方ではない。休息が必要だ。
ここなら雨風もしのげる。俺が入り口に立てば兵士たちの相手もしやすいしな。
洞窟は暗かった。奥までよく見えないが、それほど広く快適でないように見える。
暗い洞窟の中で、俺は火魔法を使った。たいまつ程度にしかならない、低レベルな魔法だ。
近くに落ちていた枯れ枝を拾い、火を移した。
「俺はしばらくここで見張ってる。みんなはそっちの辺りで休んでてくれ」
「匠様、お気をつけて」
心配する亞里亞を尻目に、俺は入り口近くに立った。
今のところ追手がくる気配はないが、果たしてこの状況がいつまで続くのだろうか? 深夜にでも移動を再開した方がいいのか? いや、やはり体力的な問題が……。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」
考え事をしていた俺の耳に、突然響いてきたその声。
この声は……まさか。
外に出ると、そこには剣を振り回しながら疾走中のエリナがいた。
「悪の教皇! 成敗! 成敗! 成敗!」
「エリナっ!」
まるで早送り動画のように高速移動中だったエリナが、俺の声に反応してすぐに引き返してきた。
「匠君っ! 無事だった?」
「ああ、間一髪だったけどな。亞里亞も助けれた」
俺はこれまでの経緯をエリナに話した。グラン・カーニバルの様子、亞里亞と少女たちの悲劇、そしてここまで運よく逃げ出してきたこと。
話を聞いたエリナは、正義感からなのだろう……激しく怒っていた。
「同意もなしに襲い掛かるなんて、なんて卑劣な! 悪の教皇はやっぱり成敗! 成敗! 成敗!」
…………同意もなしに襲い掛かってくる奴もう一人知ってるんだが、俺は突っ込まないぞ?
「匠様!」
と、エリナと話し込んでいた俺に駆け寄ってきたのは、洞窟の奥で休んでいたはずの亞里亞だった。
「どうした? まさか、奥に誰かいたのか?」
「あちらを……」
そう言って、亞里亞はたいまつを持ったまま壁沿いを歩き始めた。
「これは……」
そこには、岩をくり抜いて彫られた石像があった。
「石像?」
「アスキス教における聖人様の姿ですわね」
ぐ……なんてことだ、ここは祠か何かだったのか? だとすると何かの拍子に近隣住民が拝みにくるかもしれない……。
でも今更別の場所を探すわけにもいかないし、今日はもうこの時間だ。肝試し気分で訪問する奴がいないことを祈ろう。
「みんなは?」
「奥で祈ってますわ」
祈り、か。
ゆっくりと奥に進むと、そこには石像の前に跪いた少女たちがいた。亞里亞も近寄りこそしないものの、手で十字を切って祈りを捧げている。
彼女たちは敬虔なアスキス教信者。あんな目にあってもなお、自分の信じる神を捨てきることができないらしい。
まあ、あの教皇が悪いんであって宗教自体は悪でないのかもしれない。悪いのは神でなく人間。アスキス教の神様たちも、きっとお空の上で現状を嘆いているに違いない。
ふと、気がついたことがある。
石像の数は全部で五つ。しかし少女たちが祈りを捧げているのは、洞窟の中央に配置されたものだった。
「あの中央の石像な何か特別なのか?」
「聖アントニヌス様の石像ですわ。聖人筆頭で、この国の創始者と言ってもよい方ですわ」
ん?
アントニヌス?
その名前、どこかで……。
俺はゆっくりとその石像に近づき、その姿を間近で見た。
あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!
これ、このおっさん! エリナの聖剣ゲレヒティヒカイトの白い老人じゃないか! ちょっと若々しい感じだけど、名前も一緒だし間違いない!
「……そ、そのアントニヌスさん、何をした人なんだ?」
「匠様お忘れですの? アントニヌス様は100人の嫁と結婚して全員に子を産ませた聖人ですわ」
うわぁ……マジかよじいさん。ちょっと引いた。
「え? 何? 何?」
ガタガタガタ、と激しく揺れるエリナの聖剣。
なんだなんだ、自分の行いが俺にバレて恥ずかしくなっちゃったのかな?
まあ、この国について詳しそうだからな、少し話を聞いてみようか。
「エリナ、少しその聖剣を貸してくれないか?」
「むむむ、匠君? あたしの聖剣をどうするつもり? はっ、まさか二刀流に目覚めた? かっこいい!」
「なんだか俺を呼んでるような気がしてな。すぐに返すからさ」
「わかった。でもそのあと匠君の聖剣貸してね。あたしも二刀流ごっこしたい!」
エリナは快く聖剣を貸してくれた。
この聖剣はエリナに自分の姿を見せることを嫌がってたから、どこか離れた場所で話をするのがいいだろう。
俺は洞窟の外へ向かうことにした。




