後宮の侵入者
アスキス神聖国首都、セントグレアム礼拝堂にて。
教皇、ホーリーランド三世は激しく憤っていた。
つい、一時間前の話だ。
国をあげての一大祭典、グラン・カーニバルの中で起こったハプニング。グラウス共和国にいたはずの勇者、下条匠が贄としてささげられる少女を連れて逃げ出してしまったのだ。
建国以来一度も起こらなった一大事だ。
結論からいうと、その場では逃げられてしまった。
民衆や警備の人間だけではどうしようもなかったのだ。
グラン・カーニバルは神聖な性の祭典である。そこに武骨な軍人たちを入れることを……教皇は躊躇してしまった。
だからあの場には戦闘慣れした軍人がいなかった。それはここが安全だ、というアピールも兼ねていた。
しかし、もはや祭りが失敗した今となってはその制約も無意味。現在は門番や軍人たちに厳命を下し、全力で下条匠たちの捕縛へと向かわせている。
むろん、聖剣を使い数々の困難を切り抜けてきた勇者相手にどこまで戦えるかどうかは疑問が残る。しかし彼も勇者と称えられる善人。いくらなんでも魔族ですらないただの兵士を虐殺したりはしないだろう。戦いに手心が加えられるなら、付け入る隙はいくらでもある。
ましてやあれだけの人数を連れての逃走。いかに祭りの混乱に乗じたとは言え、とてもすぐ逃げられるものではない。
そんな打算を、頭の中で思い描いていた。早ければ今にでも、下条匠捕縛の連絡が来るだろう。
そう、教皇は考えていた。グラン・カーニバルの再開はいつにすればよいかと、未来の予定を考えてすらいた。
「…………」
適当に悩んで、すぐに考えるのを止めた。イライラしているときは何事も捗らない。
「後宮に向かいますか……」
教皇は礼拝堂を立ち去り、後宮へと向かった。
ストレスのはけ口には女が一番だ。
今日はどんなプレイを楽しもうか? 玩具を使うか、獣を使うか、縛るか、首を絞めるか?
気がつけば、自然と舌が口元を這っていた。妄想だけで快楽が増していき、下半身の息子が激しく存在を主張し始める。
教皇は後宮の扉を開いた。
「…………?」
最初に感じたのは、違和感。
女が一人もいないのだ。
グラン・カーニバルに数人が差し出されたといっても、まだまだ女たちは数多く残っていたはずだ。この位置から後宮をすべて見渡せるわけではないが、それでも出迎えてくれる女が何人かはいてもおかしくないはずだ。
「何をしているのですか女どもは! 満足にもてなしもできないとは!」
「――そなたがこの国の王か?」
憤る教皇の耳に届いたのは、男の声。
柱の陰に隠れていたのは、奇妙な姿をした男だった。
見たことのない服装だ。腰に剣を携えているところを見る限り、おそらくは傭兵かなにかだろう。
見ると木の枝のようなものを口元に咥えているではないか。おそらくは空腹を紛らわすためだろう。路銀が尽きて満足に物すら食べれていないらしい。
ともあれ、男でこの場にいていいのは高位の聖職者のみだ。
教皇はこの不法侵入者に文句を言うことにした。
「見たことのない服ですね。地方の傭兵ですかな? ははっ、下々の者は口の利き方がなっていませんね。余の顔を知らないのですか? いかにも、余はこの国の王! 教皇ホーリーランド三世」
どんな田舎者であろうと、教皇の名を知らぬはずがない。
男はひれ伏し、自分に謝罪する。
……そんな光景を想像していた教皇だったが、事態は予想をはるかに超えていた。
「それがしの名はゼオン。この国を攻める魔族たちの頭。魔王陛下や悪魔王、大妖狐亡き今となっては……王と言っても差し支えない」
「……は?」
教皇は、思わず固まってしまった。
理解できなかった。
確かに、魔族の中には人間の姿をしている者がいるとは聞いていた。しかしそれにしても、なぜ、いま、ここにその敵がいるのだろうか? 教皇にはそれが信じられなかったのだ。
「な、何を言っているのですか? 魔族? ははっ、見張りの兵士はどうしたのですか? 門番は?」
「…………」
無言のまま、ゼオンは足元のそれを蹴飛ばした。
裾の長くゆったりとした衣服を着ているから気がつかなかったが、彼の足元には何かがあったらしい。
赤黒い塗料のようなものに濡れたそれは――後宮を見張る兵士の首だった。
「ひぃっ!」
教皇は思わずしりもちをついてしまった。
兵士が、死んだ。あの逃げ出した下条匠とてここまで残虐な人殺しはしていない。ならばこの男の正体は……本当に……。
「そ、そんな馬鹿な! 有史以来、魔族が首都へ攻め入った記録など存在しません! 歴史に学ぶ余は賢者なのです。共和国や王国の愚者とは違う……。そんなことが……起こるはずが……」
「過去の出来事に固執した頑固者。本当の愚者は、果たしてどちらであったか? 問うまでもあるまい」
「……あぁ」
ここで、教皇は理解した。
今、兵士の多くが下条匠を探すために駆り出されている。おそらくここに新しく助けが入ることはないだろう。
……というよりそもそも、なぜ下条匠の捜索が長期化しているのか? それは、この侵入者にして最大の脅威たる魔族が……原因ではないのか?
「あああああ……ぁ……ああああああっ!」
教皇は逃げ出した。今、逃げなければ間違いなく自分は殺される。肉欲のためではなく己の体のために動くことは、彼にとって久しいことだった。
が――
「ぎぃやあああああああああああああああああああああああああああっ!」
するどい痛みが下半身を襲った。
後宮に入るにいたり露出されていたソコが、ゼオンの剣によって切断されてしまったのだ。
もう女の相手をできない、と思うより以前に恐怖が勝った。教皇は激痛に悶えながらも、肺に力を込めた。
「誰か、誰かいないのか! 余を助けなさい!」
「我欲は刃を鈍らせ、愚者を生み出す。王よ、それがしが言うことでもないとは思うが、まずは民のために兵を集めるべきであったな」
「よ、余を許しなさい魔族よ! 金も女もいくらでも渡しましょう! 余は神に愛されし偉大な王。聖人の血を引くこの身は、何者には代えがたい珠玉の――」
「――醜き男よ。ならばその血と神の愛で、それがしの刃を防げるか?」
「待――」
ゼオンが刀を振り下ろした。
神の愛も、聖人の奇跡も存在しない無慈悲な出来事。
教皇は視界がぐるぐると回っていくのを感じた。出血多量で意識が朦朧としているわけではない。比喩ではなく、本当に360度で何度も回転している。
首が、回りながら落ちているのだ。
(これが……余の、人生)
ごとん、と地面に自らの頭部が落ちる音を感じた。隣には無残にも陰部を切り落とされた自分の体が落ちている。
(……余は、聖アントニヌスの……神聖な、子孫。この……国の……王……)
そこまで考えた後、教皇の意識は深い闇の中に落ちた。
教皇、ホーリーランド三世はゼオンに殺された。
誤字報告ってやつを設定してみた。
機会があれば使ってみてください。




