主役の亞里亞
会談が始まった。
グラウス共和国北西部。都市の中央、役所にある会議室を借りての会談。
建物の周囲は参加国の兵士が取り囲み、魔族や不審者から要人を守っている。またマルクト王国やグラウス共和国側の平野部には、援軍のための軍が控えている。
四角いテーブルの三方に腰掛ける三か国要人。
アスキス神聖国、外務大臣扱いの司祭。
マルクト王国、アウグスティン八世。
そしてグラウス共和国、赤岩つぐみ大統領。
教皇こそいないがそうそうたる顔ぶれだ。つぐみの背後に控えている俺ではあるが、矢面に立たされてないのに冷や汗をかいている。
アウグスティン八世とは一度会ったことがあるが、印象はあまり変わらない。あまりこういった会談には向いていない、気の強くない人間に見える。
対する神聖国の司祭は中年男性。こぎれいに髪を整えた司祭服の男。メガネの奥に鋭い視線を潜ませているその顔は、どことなく同級生の時任春樹を思い出させる。
いかにも切れ者と言った感じだ。
まず最初に口火を切ったのはつぐみだった。
「今回、刀神ゼオンの神聖国侵攻は他人事ではない。これは人類に対する挑戦であり、これを打ち破らないことには……真の平和は訪れない」
「…………」
「そこで我々は貴国へ援軍を申し出たい。私たちのグラウス共和国軍、そしてアウスグティン陛下のマルクト王国軍。世界の力を一つに集め、魔族の脅威を完全に駆逐する」
こくり、と頷くアウグスティン八世。
ここに来る前に話はまとまっている。すでに二か国の軍が国境周辺に控えているからな。いつでも援軍は出せる状況だ。
この申し出を受けた神聖国大使は……困惑しているように見える。ハンカチで額の汗を拭きながら、ゆっくりと言葉を選んでいる。
「……しかし、それは高くつきそうですな」
高くつく。
大規模な援軍だ。費用の事を心配しているのかもしれない。
この懸念に答えたのはつぐみだった。
「相応の金銭や領土を……と言いたちところではあるが、今回は無償で援助をする。魔族が駆逐されれば速やかに撤兵することを約束しよう。もちろん戦後に領地を奪ったりはしない。すべてはこの世界の恒久的平和のため。どうか協力を……」
そう言ってつぐみは頭を下げた。
援軍を出す側が頭を下げるなんて、おかしな話だ。あまり弱気なところを見せるのはよくない事かもしれないが、この危機的状況とあっては仕方ないと思う。
「…………」
大使は両目を瞑って、ゆっくりと思案している。
悩む必要があるのか? タダで魔族退治をしてもらえるなんて、これ以上にないほどの譲歩なはずなんだが……。
俺は嫌な予感がした。
「……ご厚意は感謝いたしますが、大統領閣下。その申し出をお受けすることはできません」
……場が、沈黙に包まれた。
俺たちと、そしてマルクト王国国王は信じていた。この申し出であれば、必ず受けるであろうと。だからこそ、この男の言っていることが信じられなかったのだ。
いち早く混乱から脱したつぐみが、努めて冷静に返答した。
「……理由を聞かせてもらえないだろうか、司祭殿。我々は破格の好条件を出しているつもりだったが、何が不満なのか?」
「我々は憂慮しています。友好的とはいえ他国の軍が、わが国の領地に侵入することを。大事の前の小事といいますか、万が一のことがあってからでは遅いので……」
「…………」
俺たちの軍がそのまま領地を侵略するかもしれないと思っているのか? どうやって説得すればいいのだろうか?
「そもそもアウグスティン陛下はこのままでよろしいのですが? 再びあの女……おっと失礼、王妃殿が帰ってくればまた国政に口を挟まれますよ?」
「……え?」
「これは陛下に再び主権を取り戻させるようにと、神が与えてくれた奇跡なのでございます。あなた様の国にとってもっと良きことは、王妃殿のことを忘れ国の発展に尽力すること。戦争は野蛮人の行うものです」
……なんだこの司祭、変な話始めたぞ?
司祭は国王に王妃を捨てるようにと話をしている。国王の方は全く乗り気ではないようだが、気弱なためか強く否定することができていないように見える。
余計な話が進む流れに嫌気がさしたのか、つぐみが軽く咳払いをして無理やり会話に割り込んだ。
「……司祭殿、多くの農夫が魔族によって殺されているはずだ。これについてはどのようにお考えか……」
「農夫? 知りませんな」
「とぼけても無駄だ。すでに多くの難民がこちらに流入している。我が国としても早急に対策を願いたいところなのだが、それについてはどのようにお考えか?」
「ははっ、対策? 対策と申されましたか大統領閣下。では何を、どのようにすればよいとお考えで?」
「我々の援軍を受け入れ、あなた方の国の兵を用いて挟撃するのが上策だと思うが」
「ご冗談を、上位魔族は人間に倒せません。現にそちらの勇者殿も魔族に敗れたと聞いております。正面切って戦えば誰も勝てないのは自明の理。これまでのあなた方の活躍は、ただ単に魔族が油断していただけ。追い詰められた今となっては、二度と通用しないでしょう。農夫を犠牲に時間を稼ぐ。これが最上の策です」
痛いところを突かれてしまった。
つぐみも言葉を詰まらせてしまう。そう、確かに俺たちは本気になった刀神ゼオンに負けてしまったのだから。
「俺は……確かにあの魔族に倒された」
俺がネックになっているなら、俺が話をするしかない。
「でも俺は仲間を見捨てなかった。この国の人々を守るためにも戦った!」
負けはした。でも、逃げ出せばよかったなんて……思ってはいない。
「でもあんたたちは何なんだ! 多くの人が死んだ! 今も農家の人々が殺されてる! それなのに言い訳ばかりして、国民に対して恥ずかしいとは思わないのか!」
「戦争に多少の犠牲はつきものだ! 勇者殿、あなた政治家としての資質に欠けている! もっと広い視点で物事を判断するべきなのです! 農夫は死んでも代わりがいる。しかし神の教えを伝える聖職者はそうでない」
「あんたたちにとってはそうかもしれない。でも俺にとって乃蒼は、それに咲も代えはいない大切な存在なんだ! 死んだの農夫だって、兵士だってきっとそんな人がいたはずだ! 農夫だから死んでもいいなんて、そんな話があっていいはずがない!」
「ぐ……」
司祭が押し黙った。いくらでも反論は浮かんではいるだろう。しかし俺の声に気圧されて言葉を詰まらせたように見える。
「勇者殿……」
と、国王が声をかけてきた。
「余は……咲を救えなかった。魔族と戦っても、相手にすらされなかった。勇者殿のように……強くあることができれば……」
「……国王様」
「勇者殿、咲を……助けてくれ」
涙を流す国王に、そう依頼されてしまった。
「安心してくれ、国王様。咲は国王様の伴侶である前に、俺のクラスメイトだ。国王様ほどじゃないけど、俺だってあいつの心配はしてる。乃蒼と同じように全力で探すから、協力してくれ」
「……ね、願ってもないことだ」
俺は国王と握手をした。
それはきっと、信頼の証。志を同じくする、仲間になれたんじゃないかと思う。
神聖国とは違う。この隣国は……信用出来ると思った。
……と、仲良く握手する俺達を前に、つぐみが立ち上がった。
「これより、マルクト王国とグラウス共和国の軍は、魔族を征伐するため神聖国に侵入する! よろしいですね、アウグスティン陛下」
「も……もちろんだ」
頷く国王。
「なっ……。閣下、わが国としてそのような無法を認めるわけには……」
「司祭殿、話し合いはもう終わりだ。民の命の勝る法はない! 我々の行動を疎ましく思うなら、貴国も軍を出して我々を迎え撃つといい。もっとも、魔族に蹂躙された南部を、易々と通れると思えるなら……ではあるが」
確かにそうだな。南部は魔族が徘徊してるんだ。迎撃の兵を出すことだって簡単じゃない。
最初からこうすればよかったんじゃないか? とは思うが、最低限国としての手順を踏みたかったのかもしれない。
「……ふふふ」
共同出兵に沸く俺たちを前に、不穏な気配で笑うのは神聖国の司祭。これまでの政治家としての表情を完全に崩した……悪人の顔だった。
「政治を知らぬ青二才どもが! 同郷の女が大切だと言ったな! ならば一つ、不幸な事実を教えてやろうっ!」
司祭が笑う。
「今年のグラン・カーニバル。主役の一人はお前たちと同郷の女――聖女アリアだ」
「……なっ!」
その言葉に、俺たちは完全に虚を突かれた。
「馬鹿なっ! 亞里亞は聖女なんじゃないのか!」
「ふ……くくく。あの女は教皇聖下のお気に入りだったからな。あの方もなかなか味な真似をしなさる」
「ふざけんなこの糞野郎! あんたたちは何考えてるんだ!」
俺は司祭の胸倉をつかみ上げた。そのまま殴ってしまいたかったが、これが国際会談であることを思い出し寸前で拳を止める。
「グラン・カーニバルまで残すところ一週間か。そのころには聖女アリアは……ふふっふふふははははははははっ!」
俺に胸倉をつかまれたまま。司祭は笑う。
俺は彼を床に投げ飛ばした。
……嘘だろ? 主役? 前に大使から話を聞いたけど、あの祭って確か……。
俺と同じ結論に達したのか、つぐみも青い顔をしている。
「つぐみ、ここからアスキス神聖国の首都までって遠いのか?」
「この地に国境を接すのは南部。首都は北部。馬を飛ばしても二週間……とても間に合う距離ではない……」
「……冗談、だろ」
俺たちは、亞里亞の未来を想像し……そして絶望した。




