ゼオンの傷跡
夢を見ている。
刀神ゼオンとの戦い。倒される仲間たち、剣にされた乃蒼。そして、俺は奴の技をくらって空高くに吹っ飛ばされた。
激しい空気抵抗に身を任せて、自然落下していく。
どうすることもできないまま、やがて地面に叩きつけられそして――
「……はっ!」
死に至る激しい衝撃を覚えて、俺は目を覚ました。
夢……だったのか?
体をペタペタと触ってみる。節々が筋肉痛であまり力も入らないが、特に異常はなさそうだ。
俺……は?
「目を覚ましたか?」
隣には白衣姿の鈴菜。
「心配したにゃ……」
その後ろにはネコミミを付けた子猫が控えていた。
そうだ。俺は魔族ゼオンの攻撃を受けて、遥か空の彼方に吹き飛ばされた。そのあとそのまま地面に落下して死んだんじゃないのか?
「み、みんなに知らせてくるにゃ!」
そう言って、子猫は部屋の外へと飛び出した。どうやら、みんなに心配をかけてしまったらしい。
いや、それも当然か。というよりも、なぜ俺が……生きているんだ?
「何があった? 俺は……死んだんじゃないのか?」
「君と魔族との戦いを、子猫がずっと見ていてね。僕と、彼女と、それから屋敷の人間を全員集めて魔法を使った」
「魔法? 俺を回復させたってことか?」
「魔物召喚だ」
魔物召喚?
「空を飛ぶ魔物、イービルバード。柔らかくクッションになるスライム。この二つをかき集めて、空から落ちてきた君を助けることに成功した」
イービルバードを使って空から落ちてくる俺の衝撃を緩和し、さらに即席でスライムの巨大マットを作り上げて着地の衝撃を吸収した……ってことか?
それでも衝撃を吸収するのが精一杯だったらしい。俺は体の節々が痛いし、今までこうして寝込んでいたわけだ。
「そう……か」
運が良かった、ということだろう。
子猫が俺の様子を見ていなければ、助けることはできなかった。屋敷にいた人間が少なければ、あるいは魔族の魔法を訓練しなければ、この作戦は成功しなかった。
あの刀神ゼオンがそこまで計算していたとは思えない。つまりあいつは間違いなく俺を殺すつもりだったということだ。
完敗だった。
情けない限りだ。魔族が本気を出しただけで、こうもこっぴどくやられてしまう結果になるなんて。
無気力に項垂れていると、ドアを開く音が聞こえてきた。
さっき出て行った子猫が戻ってきたのかと思ったが、そうではなかった。
「……一紗か」
入ってきたのは、一紗だった。左目に眼帯、右手を包帯でまとめて松葉杖を突きながら歩いてくる。痛々しい光景だった。
「一紗、生きててよかった」
「そっちもね」
一紗は近くに置いてあった椅子へと腰掛けた。額にうっすらと汗をかいているところを見ると、やはり重労働だったのかもしれない。
「その様子じゃ、しばらく戦えそうにないな。ま、残りは俺に任せて、また剣を振り回せるようになるまで休んで――」
「……腕、力が入らないのよ」
……と、一紗が言った。
「…………力が?」
「痛みや感覚はあるんだけど、物を持とうとすると震えて……」
「おそらく神経が傷ついたことが原因だろう」
隣にいた鈴菜が補足する。
「……障害として残る可能性がある」
その時、俺はどんな顔をしていたのだろうか?
よく、スポーツ漫画とかである展開だ。事故でボールが投げられなくなったとか、車いす生活でサッカーができなくなったとか、そんな悲劇。
凛々しく美しく剣を振るう彼女の姿が、もう二度と見られないという……現実。それは俺の心を絶望の底に叩き落とすには……十分だった。
そして俺は、ずっと口に出せなかったあることを口にする。
「……雫と、りんごは?」
一紗はここにいる。なのになぜ、りんごと雫がいないのか?
彼女たちだって俺のことが好きなはずだ。俺が目覚めればうれしいだろうし、顔を出してくれたっておかしくない。
いやそもそも……彼女たちは……生きて……。
「りんごは目を覚ましてないわ」
「生きているのか? 怪我は?」
「あたしたちの中では一番軽傷ね。足の骨が折れてるみたいだけど、それだけみたい」
「そ……そうか」
りんごは安心ってことか。
「じゃあさ、し、雫……は?」
「……落ち着いて聞きなさい」
それは俺に向けた台詞だったのか、はたまた自分自身に言い聞かせる言葉だったのか。一紗は唇を軽く噛み締めた。幼い子供が泣くのを必死に堪えているような、かわいそうで見ていられない顔だった。
「左肩から先が……なくなってたわ。顎と頬の骨が砕けて、肉が露出して顔が歪んで。上手く……喋れないって」
「…………」
あまりに生々しい単語を聞いて、俺は言葉を失った。
一紗の障害は、本人にとっては辛いだろうけど……生きていくことには問題ないと思う。でも雫は? 喋れない? 腕がない? あの子は……これからどうやって生きていくんだ?
「あ……あの子もああいう口の利き方をするけど、女の子なのよ。好きな人に……あんなところ見られたら……。お、お願い、しばらくそっとしておいてあげて……。ううぅ……」
一紗が泣き崩れた。抱きしめて、慰めてやるのが伴侶としての務めなんだと思う。でも目覚めたばかりの俺は……まだ、体を思うように動かせなかった。
いや、正直に言おう。俺だって……ショックを受けていたんだ。
歯が、がちがちと震えていた。
気を引き締めていなければ、胃の中のものを戻してしまっていたかもしれない。
どこかで……安心していたのかもしれない。
勇者だからと、まるで物語の主人公にでもなったかのように……安心していた。
顔は治せるか? 顔面移植とか、整形技術で?
いいやこの世界にそんな技術なんてない。生物学も医学も未発達で、多くの薬品が存在しない。
じゃあ雫は、ずっとこのまま生きていくのか? あのどれだけ毒舌を吐いても許されるほどかわいくて愛らしい姿が……もう二度と戻ってこないなんて……。
乃蒼の子供は死んだ。
次がいつ来ても、おかしくなかった。
俺たちは、常に死と隣合わせにいたんだ。
しばらく無言のまま過ごしていると、新たな来客が現れた。
「……つぐみ」
来訪者はつぐみだった。どうやら、俺が起きたという話は彼女のもとにも伝わったらしい。
やつれているように見える。俺のことで心をすり減らしていたのかもしれない。
だが俺がどれだけ心配でも、友人がどれだけ傷ついても、彼女ほどの権力では休むことすらままならない。それが大統領の……義務ってことか。
「体は大丈夫か?」
「目覚めたばかりであまり力が入らないし、ところどころ痛いところもあるが問題はない。すぐに元通りになるはずだ」
「そうか、それは良かった」
微笑むつぐみ。彼女の心労を、少しは和らげることができたんだろうか?
「……何か、話すことがあるんだろ? 聞かせてくれ」
「……乃蒼の事だ」
乃蒼。
あの時、ゼオンによって剣にされてしまったことは今でも生々しく思い出せる。夢であったと思いたいが……ここに彼女がいないことが何よりの現実証明だ。
「兵士たちの報告によると、刀神ゼオンは剣となった乃蒼を連れて北の方に向かっていったらしい」
北か。
グラウス共和国北は、アスキス神聖国とマルクト王国両方に国境を面している。ゼオンがどちらに向かったかは、大体想像がつく。
アスキス神聖国。
未だ魔族の侵攻を受けている国。それに刀神ゼオン配下の魔族たちは神聖国を攻めているはずだ。仲間たちのもとに戻ったと考えるのが、一番自然。
「……神聖国の大使がこの国に来ている」
「大使? この戦時に……いや、戦時だからか」
「用件は聞いていないが、おそらくは魔族侵攻の援軍に関する話だろう。マルクト王国と同じように、勇者の話題が上がる可能性は高い。もちろん、匠の体調が振るわないなら断るつもりだが、どうする?」
俺は以前この地にやってきた亞里亞のことを思い出す。
あれは、女のつぐみが話をして通じるような感じではなかった。男であり、勇者である俺が前に出ないと、交渉もままならないはずだ。
幸いなことに、この様子ならしばらく休めば体調は戻りそうだ。馬車に揺られながら体力を回復して、そのまま神聖国入りすることは不可能じゃない。
「……そう、だな」
心を決める。
「何もしていないと気が狂いそうだ。まずは刀神ゼオンの行方を捜すため、その会談を成功させたい。俺も参加して……いいんだよな?」
「もちろんだ」
アスキス神聖国と協力して、刀神ゼオンを捜索。
それが現状俺にできる。唯一の戦いなのだと信じて。




