式典の日
ややグロ注意。
目覚めると、口に違和感を覚えた。
まるで俺の舌先を撫でるように、暖かい何かが口の中を弄った。寝起きの俺はなすすべもなく、その心地よい動きに身を任せている。
次に息遣いが聞こえた。唾液と唾液の絡み合うねっとりとした音も耳につく。
この声、この匂い。
乃蒼?
唇を動かすと、乃蒼は驚いたように顔を離した。
口の中に、彼女の味が残っている。
ワイシャツを着た乃蒼は、四つん這いになって俺の上にいた。その綺麗なピンク色の舌を口の中にしまう。口から垂れた唾液が、ぽたり、と俺の唇に落ちた。
「寝顔、見てたら……その、キスしたくなって。ご、ごめんなさい……私……」
乃蒼が顔を赤めてうつむいた。
俺はそんな乃蒼の体をぎゅっと抱きしめた。
「謝らなくていい。なんというか、その、目が覚めたから」
俺は乃蒼の首筋にキスをした。
「乃蒼、いいよな? 続き……」
「……ダメ、だよ匠君」
「の、乃蒼……俺、もう……」
「今日、式典」
うっ。
いや、分かってたさそんなこと。でもちょっと雰囲気に流されて続きをしたくなってしまうことは悪いのだろうか?
でも今日の式典を無視するわけにはいかない。
我慢、我慢。
俺は着替えることにした。
俺は乃蒼と一緒に、式典の会場へとやってきていた。
グラウス共和国首都、中央広場。
かつて国王が特別な演説を行う際に使用されていたこの広場は、共和国になっても様々な式典が催されている。つぐみの独立宣言や大統領就任演説もつい最近の出来事だ。
広場の南側には特設された演説スペース。その台には鈴菜が立つ予定だ。
俺はその近くに設置された特等席に座っている。
ま、まずい、なんか緊張してきた。別に俺が何か発表するわけでもないんだが、特等席というのはやたら目立つ。俺の隣はつぐみ、そして偉そうな教授とか商人みたいな人ばっかりだし、場違いにもほどがある。
実はつぐみは俺に嫌がらせをしたいんじゃないだろうか? だとしたら性格悪すぎる。
ちなみにここに乃蒼はいない。彼女はこの〈プロモーター〉と何のかかわりもないからだ。今頃は一般席で一紗と一緒にこの式典を眺めているのだろう。羨ましい。
広場へ特設された壇上に上がったのは鈴菜。今日は白衣を脱ぎ、ブレザーの制服だけを身に着けている状態。
壇上に立つ制服姿の美人、中々写真映えする光景だと思う。
「皆さま、本日はお忙しいところお集り頂きありがとうございます」
鈴菜が開式の言葉を言う。
始まった。
「このたび、僕は精霊誘導型魔法促進ブレスレット――通称〈プロモーター〉を完成させました」
これほど人数が多くはないが、彼女は大学で教授や学生たちを相手に何度も議論をしている。声の張り方や身振り手振りは手慣れているといってもいいだろう。
鈴菜は〈プロモーター〉の仕組みについて話し始めた。精霊の利用法、誘因機構に関する解説、弱点である光精霊の問題点、そしてその解決法。
もちろん俺には何を言ってるか分からない。話のところどころを拾ってなんとなく流れを理解してるだけだ。俺の隣にいる教授っぽい人々は「ふむふむ」とか「なんとっ」とか言って理解を示しているが……。
「魔法科学科、チャールズ教授。精霊学科、ジェームズ教授、リチャード助教授。そしてこの実験を手伝ってくださった皆さま方のご協力に心より感謝を申し上げます」
どうやら、前口上の技術説明は終わったらしい。
「新機能として光精霊を扱うこととなりましたこちらのブレスレットですが、使用法はこれまでと何ら変わりがありません」
そう言って、鈴菜は持っていたブレスレットを装着した。
「清き天使ミカエルよ、純白の光、天使の御業、この世に光をもたらしたまえ」
魔法の詠唱。
「――〈白の光球〉」
第一レベルの光魔法。周囲に光り輝く球体を出現させ、暗い部屋などを照らす魔法だ。
鈴菜の周囲に光の球体が出現し、それが宙を踊るように舞う。こうやって一種のパフォーマンスを行う。
――予定では、そのはずだった。
ポン、ということが聞こえた。
「……え?」
鈴菜はきょとんとした表情をしている。何が起こったか分かっていない人間の顔だ。
光魔法は完成せず、光の玉は出現していない。魔法は失敗だ。でもそれ自体は大した問題ではない。
そう、俺は一部始終を見てた。失敗した魔法、爆発音、そして……その結果こちらに飛んできた……異物。
俺は震える体と落ち着かない呼吸を整え、眼前の地面に落ちているソレを見た。
そこに、手首があった。
「……ひっ」
俺は……情けない話だが驚きのあまり椅子から転げ落ちてしまった。
赤い血に覆われた、白く美しい手首。それはつい昨日まで、俺の手を握ったり肩を叩いたりしていた……鈴菜の手だった。血の通い、赤みを帯びて暖かかった彼女の柔らかい手が、まるで死に化粧をしたかのような白と血の赤によって彩られている。
血に濡れた、白い手首。
「あ…………」
鈴菜は自分の手首を見た。肩、上腕、ひじ、その腕の先にある……手がなくなっていた。
ブレスレットが、爆発した。
爆発の衝撃が内部にある手首を貫通し、切断した。
「ぼ、僕の……手? 手? 手……は?」
未だ鮮血の垂れる腕の先には、むき出しの肉と骨、そして皮膚の焦げた跡が残っている。爆発の高温、そしてその威力をうかがわせる。
鈴菜は呆然と自分の腕を見ていた。手首の先に、あるべきものがないいびつな自分の体。人はあまりの予想外な出来事が起こると、その思考を停止してしまう。それは才女ともてはやされる鈴菜にしても同じことだったらしい。
「……う」
流れ出る血液と、少しだけ黒く焦げたその腕は、やっとのことで鈴菜を現実へと引き戻したらしい。驚愕と苦痛に顔を染めながら、一歩、また一歩と台の後ろへと下がっていく。
傷ついた手。当然ながら、痛みは存在するはずだ。到底、10代の少女に耐えられる重荷ではない。
つまりは――
感情が決壊する。
「う……あ、あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
鈴菜の絶叫が周囲に木霊した。普段冷静で知的な彼女とは思えない狼狽ぶりだった。爆発と切断。誰がどう見てもその痛みは相当なもの。
「鈴菜あああっ!」
彼女の声で正気を取り戻した俺は、駆け出した。
式典は大惨事へと変わった。
革命の功労者、鈴菜の絶叫は多くの人の心に刻み込まれた。
人々は、この日を『血に濡れた手の日』と呼んだ。
この物語には今のところ三か所ぐらいグロい話がある予定。
そのうちに一つがこれです。