子猫失職
グラウス共和国、首都。
かつて悪魔王イグナートによって危機的状況に陥り、市民たちが流出したこの都市であったが、戦争の終結とともに多くの人材が戻ってきた。
だが彼がこの国へと残した爪痕は、多かれ少なかれ人々の生活に深い影響を残してしまった。
「ふにゃぁ……」
須藤子猫は、深いため息をついた。
彼女は首都の大通りに立っていた。目の前にある白い看板が目印のこのお店は、かつて子猫がウエイトレスとして働いていた酒場――ラ・ネージュ。
在りし日のままであれば、この時間帯なら大繁盛で大忙し。客足が絶えず、料理人たちは目の回る忙しさに労働の汗を流していた。
だが今、この店には誰もいない。客だけではなく、料理人もウエイトレスも誰もいないのだ。
臨時休業、と張り紙がされているが、もはや再開のめどが立っていないことを子猫は知っている。要するに閉店だ。
すべては、魔族という災禍が残した後遺症。
ラ・ネージュはグラウス共和国の各地域から仕入れた地酒・あるいは食料品によって高品質な飲食店として名声を誇っていた。
しかし南方の素材はダークストン州を経由して入荷されたものがほとんどであり、究極光滅魔法によってあの都市が壊滅してしまった今となっては、供給が完全に断たれてしまっている。
そして、難民となって戻って来なかった料理人だっている。
結果として、店は閉店となってしまった。
仕事場がなくなってしまえば、子猫には何も残らない。一応、今のところはつぐみによって災害時における失業対策がされているため、飢えて死ぬことはない。だが、この手当もいつまで続くか甚だ疑問である。
結果、子猫は無職と言うふらふらした状態のまま、この地に戻ってくる結果となってしまった。
「困ったにゃぁ、私、料理できないし魔法も使えないし聖剣も魔剣も使えないし、もう完全な詰みにゃ。このままホームレスまっしぐらにゃ……」
感情に呼応するかのように、ネコミミと尻尾がしなびた植物のように垂れている。これは特殊なマジックアイテム――魔具であるため、装着者の感情に応じて状態が変化するのだ。
「…………」
失意の子猫は、これまでわが身に起こった出来事を思い返していた。
何の前触れもなく、授業中にこの世界へ召喚されたこと。
奴隷にされそうになったこと。
匠のもとで庇われ、勇者の屋敷で暮らしたこと。
そして彼のもとから自立したこと。
(匠君は、今何してるかにゃ……)
かつて命を救ってくれた下条匠とは、ここ最近顔を合わせていない。前はよくこの店に来ていたのだが、懐事情が怪しいのか最近は会うことがない。
聞くところによると、彼は勇者として多くの業績を残しているらしい。国家転覆を狙う貴族を退け、魔族と闘い、そしてつい最近は戦争を勝利に導いている。
郊外に新しい勇者の屋敷があることは、子猫も聞き及んでいる。最初の与えられただけの屋敷とは違い、匠の行いが功を奏し手に入れた……彼の建物だ。それはとても誇るべきことであり、子猫は素直に感心していた。
屋敷はかなり広く、庭まであるらしい。きっと多くのメイドや執事が働いて――
「んにゃ?」
そこまで考えたとき、子猫はあることを思いついた。
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官邸、大統領執務室にて。
俺と一紗たち勇者パーテーィーは、つぐみに呼ばれてこの部屋に訪れていた。
多忙でこの部屋を離れられない彼女が呼び出すほどの理由。大抵は国がかかわってくる重要な要請だ。
部屋の前に立っていた璃々が扉を閉めた後、つぐみはゆっくりと口火を切った。
「これから、私はマルクト王国に向かうことになっている。すまないが、匠たちにも来て欲しい」
「観光ってわけじゃないよな? 俺たちが護衛をすればいいのか?」
「それもあるが、魔族たちの件もある……」
マルクト王国。
グラウス共和国の北西にある大国。革命で逃げ込んだ貴族たちが囚われてたり、優や御影の件もある……無関係とはいえない国だ。
悪魔王イグナートを倒したことによって、グラウス共和国の魔族たちはほぼ一掃された。
しかしそれはあくまでこの国だけの出来事であり、周辺の国々では未だ争いが絶えていない。あの国も、今は魔族と戦っている状況なのだ。
「……俺たちに魔族退治を手伝って欲しいってことか?」
「聖剣・魔剣の貸し出し、他の兵による援助も行う予定だ。その一環として、匠たちにも手伝ってもらいたいらしい」
「……俺は別に問題ないんだが、つぐみの方はそれでいいのか? 別に同盟国ってわけでもないのに、無理してこの国から人材を派遣する必要があるのか?」
「他国といっても国境を接する国だ。このまま座視していれば、やがてはこちらの国にも難民や魔族たちが流れ込んで来る。恩を売り、世界平和に貢献し、この国のためにもなる。もちろん、どうしても無理だと言うなら、断ることもできるが……」
強制ではない、ということか。
……考えるのは、聖剣のこと。
聖剣・魔剣はかつて魔族によって剣に変えられてしまった人間。つまり俺の持つ聖剣ヴァイスにも意思があるのだ。
一度、対話をする必要があるが、未だにその機会が訪れない。
もしかすると、この剣が戦いを嫌がっている可能性だってある。
だが座して待っていても、マルクト王国の国民が魔族に殺されるだけ。かわいそうだとか、話を聞いてないとか、そんな理由で戦うのを先延ばしできるような状況じゃない。
決断をする必要がある。
「わかった。迷宮に行く意味がなくなった今となっては、それが俺たちの仕事なんだろうな。一紗もそれでいいよな?」
「問題ないわ。それがあたしたちの仕事だもの」
魔剣を構えてニヤリと笑う一紗。
こくり、と無言で頷く雫とりんご。満場一致だ。
「現地に着いたら咲のところへ顔を出すぞ。彼女と、そして国の重鎮たちに挨拶をしなければならないからな」
「咲はともかくとして、他の偉い人も一緒なのか。緊張するな。何か言われたりしないのか?」
「こちらは援軍に来てるんだ。悪いようにはならないだろう。そう気負いする必要はない。どうしても不安だと言うなら、道中で簡単な礼儀作法について教えておこう」
「ああ、それがいいかもな」
咲に挨拶か。
久しぶりに会うよな。他国で王妃になったクラスメイト、ってどんな生活してるんだろうか?
こうして、俺たちはマルクト王国へと向かうことになった。




