戦争の勇者
聖剣、ゲレヒティカイトの力によって元の世界へと戻った俺たち。
森の中。魔法に囚われる前と違って霧が完全に晴れている。これは……閉じ込められている状態が解除されたのか?
エリナは目を覚ましていない。が、顔色が良くてうなされてないところを見ると、悪夢脱出は間違いなく成功しているようだ。
俺は敵である悪魔王イグナートに視線を移した。
「…………っ」
そこで、俺は驚愕のあまり言葉を失ってしまった。
悪魔王イグナートはそこに、いた。切り株に深く腰掛け、こちらを見ているその姿は、俺たちを見物すると言っていた彼の宣言そのものだ。
ただ、その瞳に光は宿っていない。
死んでいる。
むろん、俺は魔族の医者でもなんでもない。首だけで生きていたレオンハルトの例もある。だから100パーセント死んでるとか、そういう断言はできない。
だがその容態は明らかに死者。顔は真っ青、血という血を絞りだしてミイラに近い形になった老人だ。
人間でいうなら、失血死の後ミイラ化といったところだろうか。地面に残された血だまりは、小鳥に切られた腕が原因とみていいだろう。
周囲の様子はそれほど変わっていないように見える。俺がエリナの悪夢へと入った、その時のままだ。
第三者の強襲を受けたなら、もっとその痕跡が残っているはず……。
「こ……これは?」
やや警戒をにじませながら、俺はイグナートに近くの小石を投げつけた。遠距離から飛んでいったその小石は、干物のように枯れあがったその老人の頭部を軽々しく砕いた。
「死んで……る?」
回避はない。反撃もない。人間で言えば確実に大けが、魔族だから大丈夫だというレベルでもない。
聖剣ゲレヒティカイトの白い老人、アントニヌスは俺に言った。もう大丈夫だ、すべて終わったと。
意味深な台詞だと思った。でももし彼がこの光景を見ていて、イグナートの死を確信していたとしたら、すべてが繋がる。魔法が簡単に壊せたのだって、あいつの抵抗がなかったからと解釈するのが一番自然だ。
あの老人が、こいつを倒したのか?
いや、それは考えにくい。ゲレヒティカイトは近距離で攻撃するタイプの聖剣だし、自身が自動で魔族と闘うことなんてありえない。そもそもそんなに強いんだったら、俺やエリナが悪夢に陥ることはなかったはずだ。
じゃあ、なんでこいつは死んでるんだ?
小鳥の攻撃をくらって、瀕死だった?
それが一番自然な解釈だと思う。もっとも、だったら俺との会話は何だったのかという新たな疑問も生まれてしまうが……。
「匠っ!」
深い思考に身を委ねていると、森の奥から声が聞こえてきた。
焦ったようにこちらへ走ってる来るのは、勇者一紗。体は汗と魔族の体液で汚れ、自慢のツーサイドアップ金髪は乱れまくっている。
「もう、どこいってたのよ! 探したんだからね!」
「悪いな、少し込み入った事情があって……。そっちはどうだ? 敵は倒せたか?」
「大・勝・利よ! 今日はりんごのケーキと乃蒼ちゃんの鍋で戦勝パーティーね!」
手でVサインを作りながら、決めポーズをする一紗。この喜び具合を見る限り、よほど大勝だったようだ。
「……闇鍋で魔族の肉とかやめてくれよ。つぐみたちは大丈夫か?」
「だーれも死んでないし怪我してないわ。 まあ、その……最前線の兵隊は亡くなった人いるみたいだけど、それでも……この規模を考えれば十分よ」
「そうか……」
良かった。
俺の時間稼ぎは、無駄じゃなかったってことか。
「そっちの干物みたいな魔族は?」
「悪魔王イグナート、一応、ここに来てる魔族たちのリーダー的存在らしい」
「炎で蒸し焼きにでもしたの?」
「自滅したっぽい。魔法から脱出したらこうなってた」
「何よそれ。罠じゃないわよね?」
一紗はイグナートに近づくと、燃える魔剣グリューエンを突き出した。
まるで枯れ枝のようによく燃えたイグナートは、灰になって宙へと飛んでいった。
安堵する一紗。そして改めて、俺も理解した。
終わった。
イグナートの件は若干の不安が残るものの、戦争とういう観点では大勝利だった。
「ん?」
ふと、俺はイグナートがいた地面を見て気がついた。
赤く丸い宝石が一つ、草の上に落ちていたのだ。
あの幻に囚われた時、イグナートの目が赤く光ったのを覚えている。
ならこの赤い宝石は、奴の目か?
「何あの宝石。上級魔族のドロップアイテムかしら?」
「……少し怖いな。とりあえず、今は手を出さず放置しておこう」
「止めてよ、この宝石が本体で後から復活とか? 洒落になんないわよ」
「一応、兵士の監視はつけておくことにするか」
目から生き返る魔族なんて聞いたこともないし、多分大丈夫だとは思うが……。
これまでいろんなことがあったからな、慎重になることに越したことはないと思う。
「エリナどうしたの? 気絶してるの?」
「ああ、敵の魔法に囚われてしまってな。寝てるだけだから、とりあえずつぐみのところに戻ろうと思う」
「あたし手とか服とちょー汚れてるから、手伝わない方がいいわよね? 匠一人で大丈夫?」
「元から俺が持つつもりさ」
「おっけー」
背が低い方のエリナだ。こうしてお姫様だっこすることに、それほど抵抗を感じない。
ちょうどエリナを持ち上げ、これからつぐみのもとに戻ろうとしていた矢先、森の奥からぞろぞろと集団が現れた。
兵士たちだ。
「お探しいたしたしました、勇者様。大統領閣下が本陣にてお待ちで、至急のご帰還を」
「ああ、すまないな」
この人たちも、戦闘終わって俺達を探してたのか?
よく見ると、その集団は負傷者らしき人を抱えていたりしている。戦争後の怪我人回収か。
そして、そんな負傷兵士の中に紛れて、明らかに容姿の異なるものがいた。
コウモリっぽい羽をもったけが人。魔族だ。
どうやら、捕虜として囚われたらしい。聖剣持ちの兵士が何人か警戒している。
捕虜魔族は、俺たちの近くにある赤い宝石を見て、こう言った。
「イグナート様……」
なるほど、奴の配下か。この宝石のことを知っていたのかもしれない。
目に埋め込まれていた宝石がここにあるんだ。奴自身の体がどうなったか、火を見るより明らかだ。
「お前が、イグナート様を倒したのか?」
ん?
「俺だけの力じゃない。俺たちが倒したんだ」
と、答えておくのが無難だと思う。
確かに、俺はイグナートを倒したのに一役買っている。まったく関係ないとはいわないが、俺が激戦の末に倒したみたいに扱われるのは筋違いだ。
エリナ、小鳥、聖剣の白い老人。いろんな人間がかかわっているからな。
「最近のあの方は、何を考えているか分からなかった」
「翼を使うなって、例の命令か。リーダーからあんなこと言われて、あんたたちも大変だったんだ」
「指導者は死に、我々は敗北した。だがこれで……良かったのかもしれない」
戦闘を好むのが魔族の性。しかしだからといって、死にたいわけではない。
彼らもこの戦争を通して、平和への理解が深まってくれたのだろうか?
そんな未来に思いをはせてぼんやりとしていた俺は、ふと、兵士たちがざわついていることに気がついた。
「主? リーダー?」
「勇者様が、こいつらの指導者を倒した?」
別に俺だけの手柄というわけでもないから、自慢しているつもりはなかった。しかしよほど衝撃だったらしいその話は、俺が何か声を上げる前に、周囲の者たちへと伝播していく。
混乱、理解、喜び、そして……。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
兵士の一人が、獣の雄たけびさながらの声を上げた。
そしてその一人が二人に、そして幾人もの大人数に変化していく。
「「「「勇者様万歳! 共和国に栄光あれ!」」」」
盛り上がる兵士たちに囲まれ、俺たちはつぐみのもとへと帰っていった。




