腐乱ゾンビと俺
世界が割れた。
聖剣の老人が地面に剣を突き刺すと、文字通り世界が二つに割れた。
地面が割れただけじゃない。その先にある建物も、青い空も何もかもだ。まるでこの星がそのまま真っ二つになってしまったかのようだ。
「……さあ、早く」
白い老人、アントニヌスはその言葉を最後に消えてしまった。力が限界だったのか、それとも〈同調者〉としての俺の力が未熟なのかは分からない。
彼の残したこの状況を、無駄にしないようにしよう。
俺は二つに引き裂かれた地面の奥を覗き込んだ。正直、このままの状態で何をすればいいかなんてわからない。様子を伺うことしか、俺にできることはなかった。
地面の裂け目の奥は、漆黒の空間が広がっている。光が届かないというより、まるでその先が存在しないかのようだ。
ここは悪魔王イグナートが用意した幻想世界。あの先には、本当に何も存在しないのかもしれない。
「…………」
注意深くそこを観察していた俺は、気がついた。
地面の裂け目、ちょうどその中心に光り輝く金色の宝石。
否、それは陽光に照らされ僅かに輝いていた……エリナの金髪だった。
「エリナっ!」
遠目からで分かりにくいが、彼女は気を失っているように見える。
土から突き出した黒いとげのような物体が、エリナを囲んでその場に拘束している。 そして彼女の後頭部、背骨のあたりにかけて、土から生えた黒いロープのようなものが突き刺さっている。まるで、ロボットを操るケーブルか何かのようだった。
「うう……うう……ぅ……」
エリナがうめき声を上げた。直接声が聞こえるほど近いわけではないが、あの口の動き方はたぶんそうだろう。
あの黒いケーブルみたいなのが、変な薬品でも流しこんでるのか?
……そうかこれは、エリナの夢。彼女が見ている悪夢なんだ。
これまで、俺はずっと町の中でエリナを助けようと四苦八苦していた。だがその行為自体を、あの白い老人は無駄だと切り捨てた。
エリナに何を言っても無駄だった。まるで俺の声が届いていないかのように、些細なことで悲しみ恐慌状態に陥る。
本物はずっと、この地面の下で悪夢にうなされていたということか。町を歩いていたのは彼女の本物じゃない。夢の中に出てくる偽物。
本当のところはどうだか分からない。ただ、目の前に囚われたエリナを助けることこそが、この状況を打破するカギになると思った。
俺は裂けた地面の底へ、慎重に進んでいった。この先はすべてを飲み込む黒い闇。もし足を滑らせてその中に落ちてしまったら、俺だってどうなってしまうか分からない。
適当な足場を見つけ、時には剣を使って無理やりぶら下がったりする。そうして俺は、とうとうエリナの所までたどり着いた。
「こいつが、悪夢の元凶?」
俺は、そのいかにも悪そうな黒いロープのような物体を切り裂いた。さして抵抗もなく切り裂かれたそれは、二つに裂かれるとともに空気中に解けてしまった。
「お、おい、エリナ、大丈夫か?」
「……匠、君」
ぼんやりとしてはいるが、エリナは返事をした。
「怖い、夢を見た」
怖い夢。
さっきまでこの世界で起こっていた出来事を、覚えてるってことか?
「ねえ、匠君、正義って何かな……」
「話はあとだ、とりあえず上に戻るぞ」
俺は弱々しいエリナの体を抱きかかえ、地面の裂け目から地上へと戻った。あんなところでのんきに話をしていたら、何かの拍子に奈落の底に落ちてしまうかもしれないからな。
「……暖かいな」
そんな言葉が、エリナから聞こえたような気がした。
すぐに地上へと戻った俺は、エリナを離した。彼女はややふらついてはいたが、自分の足で立っている。
「匠君、こここは?」
「敵の魔法が生み出した世界だと思う。エリナは……どの程度記憶がある?」
「あたしは……」
と、そこまでいったところで、俺たちは周囲の異変に気がついた。敵が現れたのだ。
それは、端的にいうならゾンビだった。
肉が爛れ、骨まで見えるその姿は、どう見ても生きていない。ここからやや距離があるにも関わらず、その死臭が鼻につくのは気のせいじゃないと思う。
土から生えてくるゾンビたちは、3、6、10体……と、どんどんその数を増していく。
「ウ……ウ……ウウウウ」
「ア……アア……アアアア」
生理的嫌悪感を増大させるその容姿。俺は思わず口を塞いでしまった。
心配になって、隣のエリナを見る。
「エリナ、どうした?」
体を震わせたエリナが、地面にしゃがみ込んでいた。普段であれば『うおおおおお』とか言いながら突っ込んでいく彼女を知っている俺は、その様子に首を傾げるばかりだった。
「あの人……あたし……」
「……?」
エリナが何を怖がっているのか分からなかった俺は、改めてその迫りくるゾンビたちに目線を移した。
「ナゼ……殺シタ?」
ゾンビが、そう言った。
……ちっ。
また精神攻撃か。
よくよく見ればこのゾンビ。エリナや俺が今までさんざん殺してきたあの男に似ている。
俺からしてみればアニメやゲームでよく見るありがちな精神攻撃だとしても、悪夢によってその精神力を大いに減衰させてしまったエリナには効果覿面だったようだ。
「あたし、人……殺して……。あ……う……ああ……ああ……」
剣を持つ手が震えている。この様子じゃあ、魔物一匹殺せないかもしれない。
仕方ない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
彼女が駄目だと言うのなら、俺がその代わりをしよう。
目の前のゾンビは、誰がどう見ても人間じゃない。こんな奴に同情する理由なんてどこにもないんだ。仮に本物のゾンビだっとたとしても、早く土に返してやるのが一番の供養だと思う。
俺は普段よりも余計に掛け声を上げて、ゾンビたちに切りかかった。そうすることで、エリナに元気だったころの自分の姿を思いだしてもらいたかったから。
俺は迫りくるゾンビたちを切り伏せた。耐久力はそれほどないらしく、切ればすぐに土へと帰っていく雑魚たち。
「やめろっ!」
だが、俺の大活躍は、ほかならぬエリナ自身によって妨げられてしまう。
震えるエリナが、俺の太ももに抱き着いて離れない。これじゃあ満足に剣を振るうことができない。
「エリナ、どうして止めるんだ! このままじゃあ、こいつらに殺されてしまうぞ!」
「だって、この人……あたしが、殺して……」
しどろもどろになりながら、その手を離さないエリナ。
駄目だ。
あの黒いロープを切ってなんとかなったと思ったが、事態はそう甘くないらしい。
もともと感情が先行して動いていた彼女だ。その心を砕かれるような悪夢には、よほどこたえてしまったらしい。
どうする?
優しく、時間をかけてゆっくり諭していくのがベストなんだと思う。でも、この戦場でそんなことをしている時間はない。
なら……。
エリナ、少しきつくいくぞ。許せ。
「いい加減にしろっ!」
「あうっ!」
俺はエリナを蹴り飛ばした。倒れた彼女の首回り、ブレザーの制服を掴み上げ顔を近づける。
鼻と鼻が接触するほどに近い距離。キスするわけじゃない。彼女を……目覚めさせるための儀式。
「正義の味方なんだろ! あんなに待ち望んでた敵が現れたんだ。どうして戦ってくれないんだ!」
「でも……あの人、あたしが殺して……」
「エリナにとって俺はなんだ! クラスメイトが襲われてるんだぞ! どうして助けてくれない! 友達を助けてくれるのが、エリナの好きなヒーローなんじゃないのか!」
「でも……でもぉ……」
「俺とあの腐乱ゾンビ! どっちが大切か今すぐ決めてくれ! 俺とエリナが、あのゾンビみたいにぼこぼこにやられる前になっ!」
その言葉が、効いたのか。
震えを止めたエリナが、ゆっくりと立ち上がった。その手に握られているのは、聖剣ゲレヒティカイト。
その瞳には、ついさっきまでの迷いは微塵も見られない。
「……匠君の方が、好き」
「エリナ……」
エリナは両手で握り締めた聖剣を、天に掲げた。
「――〈解放〉」
瞬間。
聖剣ゲレヒティカイトが、まばゆいばかりの白い閃光を放った。




