デビル・カルテット
草壁小鳥。
彼女は俺のクラスメイトであり、一紗たちの友達でもある。ある日呪われた魔剣ベーゼによって心を侵食され、狂ったまま行方不明になってしまった少女だ。
彼女は人を傷つける。魔族を殺す。そして……ちぎれた魔族の腕を食べていたのを見たことがある。
とても恐ろしいことだ。魔剣の呪いとは、人をここまで狂わせてしまうのか?
だが今回、俺は彼女によって救われたように見える。
俺はイグナートの魔法をくらっていた。そしてついさっきまで体験していた、元の世界に戻った話……。おそらくあれは精神系の魔法で、悪夢を見せる効果があるのだろう。
隣でうなされているエリナは目覚めていない。俺だけ運が良かったのか、小鳥の善意が俺だけに向いていたのか、それはよく分からない。
「あはぁ、下条君。久しぶりぃ、元気にしてた?」
無邪気に剣を振り回しながら近づいてくる小鳥。刃物なので危ないとは思ったが、驚きのあまり回避するのを忘れてしまった。
いつかと同じように、ぽふん、と俺の腕に抱きつく小鳥。
「えへへへへへ、よかった無事で、私、匠君が心配だったの~」
「俺を、助けてくれたのか?」
「うん、匠君はね~、特別、なの」
特別?
何か俺は、彼女に特別扱いされることをしただろうか? まったく心当たりがないのだが……。
「ところで、一紗ちゃんは……」
と、小鳥が言いかけたちょうどその時。
「くくっ、かかかかっかかかかかっ!」
悪魔王イグナートが笑った。
忘れていたわけではないが、今は戦闘中。イグナートは腕を切断されたとはいえ、未だその力は健在のはずだ。
「――ここで逃げ出しては、悪魔王の名折れ。いかに黒き災厄とて、わしの邪魔をするものは敵」
イグナートは血に濡れた腕を押さえながら、後方に飛びのいた。
違う。
これまで俺やエリナと対峙していた時とは明らかに異なる動作。焦り、集中力、ありとあらゆる感情で極限まで高められた技術。
その指が、空中に血の魔法陣を描いていく。
「――前方の大亀、後方の鳳凰、右方の昇竜、左方の猛虎。我が命に応えよ!」
宙に浮かんだ赤黒い魔法陣が、闇色の電流を放ちながら発動している。こんなおどろおどろしい魔法は見たことがない。
「いでよ闇の四柱神、四方悪魔獣っ!」
そして、巨大な魔法陣からそいつらが現れた。
山のように巨大な岩の塊――闇亀。
空からふりそそぐ火砕流の如き――闇鳥。
天にとぐろを巻く巨体――闇龍。
世界を崩壊させるような遠吠えを放つ――闇虎。
圧巻だ。
そしてその大怪獣たちを完全に手懐けているイグナートは、俺がこれまで出会ったどんな敵よりも圧倒的に見える。こいつは本当に魔王の配下なのか? むしろ魔王だと言われた方が納得できるぐらいだ。
「ゼオンには悪いがのぅ、わしにはわしの都合がある。お前たち、この女を殺すのじゃ!」
「「「「御意!」」」」
四体の闇魔獣たちが、一斉に動き始めた。
それはさながら、怪獣映画。
対するのは小鳥一人。彼女は俺よりほんの少し背が低いぐらいのどこいでもいる少女であり、ウルトラマンでもなければゴジラでもない。
勝てるわけがない、そのはずだった。
まず小鳥に迫ったのは闇龍。雲を貫く細長い巨体を持つこいつは、その鋭い牙を強調しながら彼女のもとへと自然落下していく。
その速度はまるで雷。光のように、俺が理解したときには目前まで迫っていた。
「あっははははははははははははははっ!」
魔剣ベーゼを構えた小鳥が、跳躍。
そして、空を飛んだ。
小鳥の背には、黒い翼。一つ一つの羽根が、魔剣ベーゼの放つ黒い刃に似たそれをはためかせながら、彼女は鳥のように空を駆ける。
「はっはははは、馬鹿な人間め。我の牙で貫いてくれるわ!」
何を思ったのか、小鳥は敵の口へとそのまま突っ込んでいった。これじゃあ、そのまま牙を突き立てられ食べられてしまうんじゃないのか?
「小鳥っ!」
だが、俺のそんな心配は全くの杞憂だったようだ。
小鳥が敵に魔剣ベーゼを突き立てると、牙も、口も、顎も、その強力な切断力によって一刀両断されていく。
それはまるで、魚を二枚卸するかのような鮮やかな一太刀。止まらない、止められない。龍は悲鳴すら上げることもできず……絶命した。
「ば、馬鹿な……闇龍が……」
「こやつ、まことに人か?」
「あな恐ろしや……」
残った闇亀、闇虎、闇鳥も、彼女の活躍を前にうろたえ始めている。
次に小鳥が向かったのは、闇亀。魔剣ベーゼを躊躇なく振り下ろす。
が、不発。耳を切り裂くような金切り音がしたが、亀の甲羅は小さな小さな傷をつけた以外何の変化もない。
「無駄よ、無駄。小娘よ、わしの甲羅は鋼よりも固い」
「…………」
固い岩に全力で肩を打ち付けたようなものだ。その振動はかなりのものだし、仮に小鳥がただの人間だったら衝撃に耐えられず剣を手放していただろう。
はた目から見ていても分かるその強度。体の外に出ている手や足を叩けば、何とか行けるか?
「あはぁ」
だが、小鳥の考えは全く違っていたらしい。
彼女はがむしゃらに剣を叩きつけた。
一つの傷が、二つになり。三つになり、四つになり。線が重なり円になり、その中心はさらに深く抉られていく。
まるで工事現場のドリル音のようなけたたましい音が周囲に鳴り響く。
そして。
ぱりん、とまるで鏡の割れるような音が響いた。闇亀の甲羅が砕けてしまったのだ。
中のドロドロとした汚い液体をまき散らし、大亀は大地に帰っていった。
強い!
「虎よっ!」
「承知っ!」
残った闇虎は地、闇鳥は空から小鳥に迫る。
闇鳥の羽ばたきは暴風の如く、虎の牙は小鳥なんて簡単に殺してしまいそうなほどの勢いがある。
だが、それでも……。
小鳥は、強い。
案の定、二体の大魔獣は小鳥の剣によって難なく切り裂かれてしまった。そこには戦略も戦術もない、ただ純粋な強さだけが存在するのみ。
要するに小鳥が強かった。ただそれだけのことだ。
魔剣の呪いとは、こうも人を強くするものなのだろうか?
切り裂いた虎の生き血をすすりながら、小鳥がゆっくりとこちらを向いた。
「下条く~ん」
「小鳥、危ないっ!」
敵を倒して若干緊張が揺らいでいたのか、小鳥は気がつかなかったようだ。
自らの脚に迫った、黒い影に。
黒い影は長いロープのような形を取り、小鳥の足を捕らえた。引っ張られるその力に彼女は抗うことができなかったようで、俺から見て左側、すなわち森の奥に思いっきり放り投げられていった。
戻ってくる気配はない。苦し紛れに魔剣ベーゼの黒い刃を放ったが、イグナートは難なくそれをかわしている。
「……ふう、とんだ災厄じゃのう」
倒した、と言うよりはこの隔絶空間から追い出したといった方が適切だと思う。
あの小鳥にしてはあっけない終わり方だったように思える。俺が何となく感じている以上に、あの黒いロープが強力なものだったのかもしれない。
これでここにはエリナと俺の二人。
また、最初の状況に戻ってしまったわけだ。いや、俺が目覚めているだけまだましか……。
俺は剣を構えた。




