黒死の幻影
俺、下条匠は異世界に転移した。
そこで待ち構えていたのは、ファンタジー世界と魔王、女性を虐げる悪の王国。紆余曲折を経て大活躍した俺は、気がつけば名声を得てハーレムを作っていた。
そして、なぜか唐突に元の世界に戻った。
もともと、時間がたてば強制的に戻される仕組みだったのかもしれない。ある日、気がつけば俺とクラスの女子たちは、元いた教室に帰還していた。
そう、俺は戻ってしまった。
そこで待ち構えていたのは、異世界転移という夢から覚めた俺の……現実だった。
「下条ぉ、お前とんでもないことをしでかしたな」
体育教師、細井が凄みを効かせた声で俺を脅してきた。
ここは生徒指導室。
俺は細井によってこの場所へ強制連行されていた。
「こんなバカげたことをやらかした生徒は、お前が初めてだ……。うちだけじゃない、全国、いや世界中でもお前だけかもしれないな。校長先生はな、ショックで気絶したぞ? 信じられるか?」
そう。
異世界転移した俺は、クラスの女子とやりまくって妊娠させた。そのまま異世界に住み着いて、家族と一緒に幸せに暮らす……つもりだったのだが、なぜか元の世界に戻ってしまったのだ。
そこからは大変だった。
なんせ元の世界の俺は親の扶養下にあるただの学生。異世界とここでは時間の流れが違うから、未だに未成年だと思われている。
戻ってすぐに聖剣は取り上げられた。精霊がいないせいか、魔法も使うことができない。
いろいろなことを聞かれた。どこにいたのか? 何をしていたのか? 食べ物は? 誰にさらわれた? その服と剣は?
俺は包み隠さず事情を話した。でも異世界転移なんて荒唐無稽な話、誰も信じてくれなかった。
結局後に残ったのは、収入武器魔法スキルすべて取り上げられた脳なしの俺と、その子をお腹に宿した七人のクラスメイトだけだった。
検査薬がなかったから分からなかったが、みんな妊娠していた。
「島原、赤岩、柏木、長部、羽鳥、森村は間に合った……」
「間に合った? 何の話ですか?」
「……だが大丸は遅すぎた。もう六か月を過ぎているから堕ろせない」
その言葉に、俺は血の気が引いていくのを感じた。
堕ろす?
「ちょ、ちょと待ってくださいよ! 堕ろすって何ですか! 俺、何も聞いてないのに……、そ、そんな勝手な事を! 彼女たちは同意して――」
「ふざけるなあああああっ!」
机が壊れるほどの勢いで竹刀を叩きつけた細井は、鬼のような形相でこちらを見下ろしている。
大学時代アメフトで鍛えた屈強な体を持つ彼は、時代錯誤にも竹刀で生徒たちを威嚇する。
人を殺しかねないその気迫に、俺はただただ委縮するしかなかった。
「お前、自分のしたこと分かってんのか! 親御さんが泣いてるんだぞ! ごめんなさいとか罪を償いますとか、もっと他に言うことがあるだろうがああああああっ!」
「ち、違う、だって俺は……異世界で……」
「子供じゃないだろ子供じゃ! 何が異世界だ! 何が魔王だ何がハーレムだ! そんな言い訳は聞きたくない! 反省しろ反省を! 親御さんや被害者に謝る言葉を考えるんだ!」
「そ、そんなつもりは……」
俺はプルプルと震えて言葉がでなかった。
何もかも取り上げられた俺は、この雑魚魔物にも劣る細井という教師に恐怖しか感じられなかった。
これが、現実。
異世界と言う夢を失った俺の……真実の姿。
不意に、細井が怒りの表情を崩した。
「下条、お前……頭は大丈夫か?」
俺を見る眼差しは憐憫。まるで傷つき巣から転げ落ちた小鳥を見つめるかのようなその慈愛の瞳は、これまでとは180度異なっている。
突然の変化に、俺は戸惑うばかりだった。
「そうだよなぁ、お前も長い間行方不明だったんだ。どこかの悪い団体につかまって、変な薬を嗅がされたんだろ? 被害者の一人ってことだな。そうだよな、クラスの女子七人となんてとても正気の行動じゃない……」
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺はそんなことされてない……」
「お前は加藤とは違って普通の学生だったもんな。大丈夫だ安心しろ、先生に任せておけ」
そう言って細井は、スマホを使ってどこかに電話を始めた。病院か、校長か、警察かは分からないが、俺の未来が暗いことだけはよくわかる。
待って、待ってくれ。
俺はこのまま、頭のおかしくなった学生としてどこかの病院に隔離されるのか?
生まれるはずだった子供は全員いなくなり、もう二度と乃蒼や一紗にも会えずに……一生を終えるのか?
そんなのって……。
誰か、助けてくれ。
頼む。
なんでもする。なんでもするから。
この悪夢を……耐えがたい苦しみを終わらせてくれ。
……誰かっ!
…………。
…………。
…………。
「……はっ!」
目覚めると、そこには霧に包まれた森の中だった。
「俺……は?」
思い出した。
たしかあの魔族、悪魔王イグナートが新しい魔法を使ったんだ。その黒死の幻影とかいうので意識を失って……それからどうなった?
そうだ、まだ戦いの最中だったはずだ。
俺は周囲を見渡した。
隣にはエリナが倒れていた。冷や汗をかきながらうめき声を漏らしている。あまりいい夢を見ていないらしい。
あるいは、俺のように精神攻撃を受けている? だとすれば悪魔王が放った黒死の幻影の正体は……。
そして――
「……っ!」
前方、やや左側。
そこには、イグナートが立っていた。
しかし彼は今苦悶の表情を浮かべている。その右腕は無残にも切断され、そこから血のような赤い液体が噴き出していた。
「ぐ、が……」
「あはぁ」
そして、彼を傷つけたであろう人物が笑う。ぼろぼろの制服を身に着け、真っ赤なストレートセミロングヘアと、赤い瞳を持つその少女の名は。
草壁小鳥。
血濡れらた魔剣ベーゼを持つ小鳥が、イグナートの隣に立っていた。




