二つの魔法陣
魔族、ダグラスの手紙は俺たちに衝撃をもたらした。
三日後、この都市が滅ぶ。魔族イグナートが放つ究極光滅魔法によって。
俺は逃げることができる。つぐみだって、一紗だって璃々だって、何も言わずにここから立ち去れば一時的に危機は回避できるかもしれない。
だがそんなことはできない。
つぐみはこの世界で革命を起こした。今となっては大統領だ。そのつぐみが逃げると言うことは、国を見捨てることに等しい。
俺だってそうだ。魔族たちに対抗するためには、今のところ聖剣・魔剣の存在が必須。それを持ち逃げすることは、残された人が無抵抗で虐殺されることを意味する。
責任重大だ。
屋敷に戻った俺たちは、すぐにこのことを他の女の子たちに伝えた。
乃蒼は何事もなかったかのように、屋敷で仕事をしている。
鈴菜はこの話を聞くと、考えながらどこかに歩いていった。
雫とりんご……そして一紗は、決戦に向けて魔剣や魔法や弓の練習を始めた。
ちなみに、璃々とつぐみはいつも通りだ。あいつらは変に騒ぐと、それが国民に伝わってしまうからな。
俺は何をしようか? 雫たちに交じってトレーニングでもするか? できるならイグナートとかいう奴に奇襲を仕掛けたいが、さすがにあの高さじゃあ、どうにもならないよな。
俺は自分の部屋でぼんやりと時間を過ごしていた。窓の外には雲一つない快晴が広がっている。
でも、あそこには魔法陣があって、三日後には光の矢が降り注ぐ……かもしれない。
「少し、時間をもらえるか?」
と、考え事をしていた俺に声をかけたのは、鈴菜だった。
部屋のドアがいつの間にか開いている。
「何か用か? 時間ならいくらでもあるけど」
「これを見てくれ」
鈴菜が手に持っていたのは、筒の形をした金属質の重たい何か。先端にガラスレンズのようなものが取り付けられている。
「これは……望遠鏡か?」
「大学から借りていたものだ」
鈴菜はそう言って、部屋の窓を開けた。
ふわっ、と外の空気が入ってきた。近くの森を吹き抜けた風は、いかにもな自然の香りがして心地よい。
「匠、こっちに来てくれ」
外からなら空が良く見える。俺は鈴菜の言葉に従い、窓の外に出た。
望遠鏡を手に取り、空を見る。
「……っ!」
視界に映ったのは、魔法陣だった。
雲一つない大空に広がっている魔法陣が、なぜか、この望遠鏡を通して見えてしまったのだった。
「嘘……だろ……」
自分の頭の上に、今までこんなものがあったなんて……。あの魔族の話を全く信じていなかったわけではないが、こうして目に見えると恐怖が増してくる。
「ダグラスの言ってた通りだな。魔法陣が……本当に存在するなんて。なあ、この望遠鏡はどういう仕組みになってるんだ? 中に精霊か何か閉じ込めてるのか?」
「人型魔族の死体から角膜や虹彩を摘出し、レンズの部分に重ねてある。君の話を聞いてもしやとは思ったが、その魔族が言ってたことは真実だったらしい」
……思ったより、グロい話だな。
ともあれ、あれが脅しでもなんでもなくて真実だということが分かってしまったわけだ。
俺は再び望遠鏡を覗いた。
でかい魔法陣だ。この都市をすべて覆って……。
「……ん?」
そこで、俺はその違和感に気がついた。
「なあ鈴菜、俺の見間違いだと嬉しんだが、魔法陣が……二種類あるよな?」
そう、最初は興奮しすぎて気にも留めていなかったが、魔法陣が二種類あるのだ。
一つ目は白い魔法陣。これはおそらく、都市全体を覆っていると言っていいと思う。
そしてその魔法陣の上にあるのが、赤い魔法陣。
こいつはでかい。白い魔法陣が都市を覆っているのに対し、赤いのは空の果てまで広がっているように見える。
対象はこの国、否、ひょっとすると世界そのものかもしれない……。
「それは僕も不思議に思っていた。だけど何分、こんなことをするのは初めてだからね。この世界ではもともとそうなのか、それとも誰か強大な魔族が用意したものなのか……」
「――それは魔王陛下の魔法陣です」
背後からの声に、俺は思わず振り返った。
執事服の魔族、ダグラスだった。
まるで屋敷の使用人のような出で立ちではあるが、俺たちの明確な敵。例の手紙がなかったのなら、この屋敷にいれることすら全力で阻止していただろう。
今となっては魔族側の大使であり情報源。むやみやたらに攻撃はできない。
それにしても心臓に悪い。いるならいると言って欲しい。
「魔王の? でもあいつは死んで……」
「魔法は死後も残ります。あの方は生前、この魔法陣を残していたのです。どのような魔法かは、私も知りませんがね」
「死んでも……残るのか?」
「ご安心ください。イグナート様の究極光滅魔法は死ねば消滅します。手紙にもそう記されていたはず」
いや、それは分かったけどさ。
魔王の魔法陣? 聞いてないぞそんなの?
俺たちみんな勝利して幸せに暮らしてました、って時に大魔法が発動して世界が滅んでしまうとか?
「魔王の魔法陣は……何をする魔法陣なんだ?」
「それは魔法を組んだ本人にしか分からないことです。あの方は魔法の達人。複雑な発動条件、広い範囲、そして未知の効果。あらゆる可能性を想定することができるでしょう……」
不気味だな。
不安が増したことは否定しない。でも俺たちにとって当面の目標は、やはりまず魔族イグナートを打ち破ることだ。
「あの魔王の魔法陣、お前らも巻き添え食うかもしれないだろ? なんとかならないのか?」
「……それは、否定しきれませんね」
魔族、ダグラスは口をまごつかせた。彼もこの件をそれほど快く思っていないのかもしれない。
「匠君!」
不安に心を暗くしていた俺のもとに、明るい声が聞こえた。
金髪のツインテール、つぐみと同じように軍服っぽい飾緒付き制服を身に着けた少女。
西崎エリナ。
エリナは剣を構えて、こちらに走ってきた。
「共和国の英雄、西崎エリナここに参上! 魔族、覚悟おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
エリナの聖剣ゲレヒティカイトが、正義を主張するように白く発光した。




