謎の甘いシロップ
勇者の屋敷、キッチンにて。
俺はホットケーキを作っていた。
りんごが用意したホットケーキの粉に、卵と牛乳を加えて一生懸命混ぜる。ひたすら混ぜる。混ぜたらフライパンで焼く。ただそれだけ。
この程度の料理だったら俺だってできる。時間を調節しておかないとホットケーキが焦げてしまうのが難点だが、そこさえ注意すれば難易度Eランク。
りんごは俺のことを怒っているかもしれない。
ここで一緒に料理を作って、媚を売っておくのだ。
「俺と雫のせいで、りんごには苦労かけてるよな。これからも手伝えることがあったら何でも言ってくれ」
「ううん、たっくんも大変そうだってわかったから、もう何もいわないよ。頑張ってね」
……う、うん。
一昨日ぐらいは本当にヤバかったよね。女の子に迫られた俺は、干からびたミイラのようになっていた気がする。
だが俺のその苦しみがりんごに伝わったらしい。あの日から、少し俺に対して優しくなったような気がする。
どーでもいいけど、りんごってケーキばっかり作ってるような。太らないのかな? 本人に聞いたら機嫌を損ねそうだから、あえて聞かないが。
「ねーたっくん、メープルシロップってこの家にないのかな」
「俺は見たことないな。たぶん、ないんじゃないのか?」
「じゃあハチミツは?」
「…………」
メープルシロップは見かけたことない。
ハチミツは……どうだろう? ありそうな気はするんだが、それ自体が料理として出てきた記憶はない。
乃蒼って普通に料理はするんだけど、なんというかな、あまりこういう体に良くなさそうなお菓子類って作らないよな。ヘルシーといえばそれまでなんだけど、手堅すぎて……。
なんて、作ってもらっておいて上から目線過ぎるか。
「……いや俺に聞かれても困る。この辺の事なら乃蒼に聞くべきじゃないのか?」
「島原さん? どこにいるの?」
「…………知らない」
この時間帯、乃蒼は掃除をしている。それは屋敷の空き部屋だったり、外の庭だったり、鈴菜の研究室だったりする。要するにどこかにいるのだが、それがどこかは分からないのだ。
「俺が今から探してこようか? この辺にいるのは間違いないと思うんだけど……」
「……ううん、いいよたっくん。島原さんに気を使わせたくないし」
りんごはそう言って棚の中を探し始めた。
俺も周囲を探し始めた。
しかし、ここは乃蒼の縄張りで俺にとってフロンティアも当然。軽い手伝いに入ったことはあるが、どこに何が置いてあるかなんてさっぱりだ。
「あれ……?」
「見つかったか?」
「うん、これ?」
そう言ってりんごが棚から取り出したのは、透明な液体の入った瓶だった。
「いやその色、明らかにハチミツとかメープルシロップじゃないだろ」
りんごは瓶を開けると、指を入れて舐め始めた。
「うん、この甘い味は……メープルシロップっぽい。あれ……でも違うような。でもいいや、これをかーけよ!」
「大丈夫かそれ、毒じゃないだろうな?」
「何言ってるんだよたっくん! ここキッチンだよ。毒なんておいてあるわけないじゃない。チャレンジ! チャレンジ!」
「……それもそうか。最初に毒見してくれよ」
見ず知らずの調味料を振りかける、りんごはチャレンジャーだな。
闇鍋とか喜んでやりそうだ……。
*********
「ふふ……」
森村りんごは笑っていた。
ホットケーキはほどよい出来だった。これならしずくだって喜んでくれるだろう。
(しずしずも元気になったし……)
りんごが来てから、明らかに雫の機嫌が良くなった。
いいことずくめだ。
(たっくんがあんな人だなんて、思ってなかったな……)
りんごは、一昨日遭遇した匠とクラスメイト達の情事を思い出す。
はっきりって赤面ものだ。以前教室で過ごしていた時期には考えられないような……痴態。
それを一人ではなく複数の女子。それも同意の上にしているのだから始末が悪い。友人である一紗も、雫も、彼のもとに身を寄せてしまった。
(……りんごも、あんな風にされて……)
と、そこまで考えて思いっきり首を振った。
いやらしい妄想はダメだ。りんごはエッチな女の子じゃない。
匠のことは嫌いじゃない、むしろどちらかというと好きなぐらいだ。好きな男子のいないりんごにとって、今一番近くにいる異性と言える。
だが、それだけだ。
それ以上のことを考えては、ならない。
「お、できたか?」
「にょわっ!」
急に声をかけられたので、りんごは思わず背筋を伸ばしてしまった。
「う、うん」
キッチンの片隅、簡素なテーブルと椅子の置かれたその場所に、りんごと匠は座った。
目の前には、バターと例のシロップで彩られたホットケーキ。もうすでに完成している。
だが、テーブルに並べられたのは二皿、二枚。
「俺とりんごの分だけ?」
「うん、今はね」
乃蒼は仕事中、鈴菜は実験室、つぐみと璃々はそもそも屋敷にいない。
「あれ、雫は?」
「昼寝中」
「あいつ、やることがないからといって自堕落な生活を……。でも、緊張がなくなってるのはいいことか」
「島原さんと大丸さんにはりんごが持ってくよ。しずしずは起きたら食べるでしょ」
「五時ぐらいに起きても夕食気にせず食いそうだな。りんごはそうやってあいつを餌付けしたんだな。太ったらどうするんだよ」
「りんごは太っても痩せててもしずしずのことを好きだよ? たっくんはそうじゃないの?」
「HAHAHA、ご冗談を。無理にでもダイエットさせるさ……」
二人で適当に笑い合った。
「いただきまーす」
りんごはホットケーキに口を付けた。
おいしい。
「大丈夫か例のシロップ。吐血したいのを我慢したり?」
「もーたっくんなにそれ? 映画とか漫画の見過ぎだよ。早く食べなよ」
「ははっ、さすがにネタを引っ張りすぎたか」
そう言って、匠はホットケーキに口をつけた。
その瞬間。
「…………」
「たっくん?」
匠がフォークを床に落とした。
最初りんごは、それが不注意によるものだと思った。しかし彼はそのフォークを拾おうともせず、りんごに迫ってきた。
「え? たっくん?」




