元の世界、野に放たれた巨悪
日本、とある学園にて。
園田優は教室で悩んでいた。
一週間半前の悲劇。親友である匠の子が魔王として蘇り、いなくなってしまったことに端を発する。
優も、そして彼の友人である春樹も何もできなかった。あまりの出来事に、動くことができなかったのだ。
すでに警察には話した。しかし異世界、魔王、スキルなどといった単語を出して説明するわけにもいかなかったので、『行方不明の御影新か、同じく行方不明の加藤達也によって無理やり攫われているところを見た』という拉致、誘拐に関する情報提供を行っただけ。まったくの嘘ではあるが、奴らを探してもらうために不自然さが低いエピソードを考えた結果だった。
時任春樹も全力で彼らの行方を追っている。彼の方は政治家である父親にも話しを通しているらしいが、それもどう転ぶか分からない。春樹の主張が信じてもらえるかどうかすら曖昧だ。
そもそも見つけたからなんだというのだ? 加藤、御影は強力なスキルを持っているし、魔王に至って純魔法と呼ばれる強力な力を行使できる。そして匠の話によると、魔王は魔物を呼べる可能性すらある。十人、否百人の警察官が彼らを囲ったところで、とてもではないが逮捕できるとは思えなかった。
何もできない、何も成せない状況。優も春樹も教室で授業を受けるようにはしているが、その件が気になって集中できたためしがない。
しかし悩んでいても仕方ないと思い、優は気分転換に周囲を見渡した。
匠と、そして女子全員がいなくなったこの教室。休憩時間ということもあり、男子数人が机を囲って話をしているのが見えた。
「なあ、この子さ、四組の林に似てね?」
男子たちは、机に座りながらスマホを眺めている。どうやら、動画を見ているようだ。
一人が、優の視線に気がついた。
「優、気になるかこの動画? お前も見るか?」
「みんなで集まって一つの動画見てるなんて、珍しいな。なんだそれ?」
「お前はまじめだからな、ちょっと刺激が強すぎるかもしれないが、ま、同じ男だ。隠すつもりはねーよ」
男子一人が、スマホに刺さったままのイアホンを差し出した。
優はそれを耳元に近づける。
〝アヒィイイイイィィイィィイ、ンギモチイイイイイィイ!〟
瞬間、女の嬌声が優の鼓膜を貫いた。
スマホの動画に目を落とすと、そこには一人の女が映し出されていた。男に突かれて白目をむき、病気のようにがくがくと体を震わせている。演技にしては少々真に迫りすぎだ。
優は興奮や恥ずかしさを通り越して、恐怖を覚えてしまった。それほどまでに、女の様子が尋常でなかったのだ。
「悪趣味だな。こういう動画を見るな、とは言わないけどさ、この教室で見るものじゃないだろ。それとこの演技してる女優さんが他のクラスの女子に似てるとか……」
「演技じゃねーよ、マジだっつーの!」
「…………」
優はあきれて言葉を失った。
この男は作り物と現実の区別ができていないのだろうか? だとするとそれはとても愚かであり、危険なことだと思う。
「……夢を壊すようで申し訳ないんだが、こういうのはみんなやらせで作り物……」
「おまっ、俺を馬鹿にしてんのか! そうじゃねーよ! この動画はちげーんだよ!」
顔を真っ赤にして否定する男子を見て、優は不思議に思った。
どうやら、信じてもいいかもしれない、と思える程度の根拠がある話らしい。
「俺の兄貴さ、警察官なんだけどよ。ついこの間、偶然聞いちまったんだ。最近この地域で、新種のドラッグが流行り始めてるって。麻薬とか覚せい剤とか、そんなレベルじゃない強い薬だ」
「物騒な話だな」
「売人たちの間じゃ、〈イシュタル〉っつー呼び名で呼ばれてる薬でさ、つい一週間前に流行り始めたらしいぜ。少し嗅いだだけで、女が発情して男の股間に群がってくる……そんな薬だ」
「……一週間前?」
「この動画の最初に出てくる。ビンに入ったピンク色の液体。あれがそうらしい。だから隣の四組の林もさ、あの薬嗅いだせいで発情しまくって……」
そこから先は、何も頭に入らなかった。
心臓がバクバクと鼓動を奏でている。恐ろしい想像をしてしまったのだ。
異世界で下条匠に聞いた話を思い出す。以前、薬によって赤岩つぐみが加藤に強姦されそうになったという話を。そこで出てきた媚薬の話が……。
(まさか……まさかまさか……)
「優っ!」
体を震わす優の元へ駆け寄ってきたのは春樹。彼もまた尋常でない様子だ。
春樹は優の手を引っ張ると、すぐに自分の席へと引き寄せた。周囲には誰もいない。
「どうしたんだ? 春樹」
「…………」
春樹はポケットから自分のスマホを取り出し、机の上に置いた。
「二時間前、動画共有サイトで掲載された動画だ……」
悩まし気に、目頭を押さえる春樹。
「大元のアカウントはすぐに運営に消されたが、コピー動画があちこちに出回っている。その一つだ」
動画を見た優は、気がついた。
「加藤っ!」
その動画には、加藤が映っていた。
おそらくはどこかの廃ビルだろう。砕けたコンクリート片と割れたガラスが床に散乱するその部屋は、妙に薄暗くそして汚い。
「よぉ、野郎ども」
ぼろぼろになったソファーに腰掛け、こちらを見下ろすようにビデオを撮っている男。 見間違えるはずがない。加藤達也だ。
そしてその周囲には、柄の悪い屈強な男たちが控えている。彼らを従えている加藤は、まるで映画に出てくるゴットファーザーのようであった。
「――俺の薬、〈イシュタル〉で楽しめたか? ハゲたジジイも、デブのおっさんも、この瓶の薬がありゃ女どもが群がってくる。いい夢、見れたよなぁ?」
加藤は手に持ったピンク色の瓶を、カメラの前に突き出した。おそらくはこれこそ、加藤の〈創薬術〉によって作り出された媚薬。
「一瓶百万だったが、売れた……売れたぜぇおい。俺らこいつのおかげで大金持ちよ。でもよぉ、この値段じゃ……そう買える奴も多くねぇよな。……今日はそんな無職や貧乏人に捧げる、ハッピーニュースを持ってきた」
パチン、と加藤が指を鳴らした。
するとカメラの位置が右にずれ、それまで見えていなかった部屋の隅が露わとなった。
そこには、瓶があった。
ピンク色の液体が入った瓶。山のように積まれたその数は、おそらく五百個を超えているだろう。
「東京、千葉、埼玉、神奈川、茨城、あちこちの駅、空港、観光地にこの瓶を隠してくる。俺からこの動画を見ている野郎どもへの、へへっ、プレゼントだぜ」
優はショックで思わず息をするのを忘れた。
加藤の言っていることが真実であるとすれば、これはもはやテロにも等しい行為だ。この数、どれだけ多くの女性が犠牲になるのだろうか? 百人や千人では済まされない。この国、否世界に類を見ないほどの史上最大の災害となる。
「運よく薬見つけたやつは覚悟しろよ。昼も夜も、女のせいで休む暇がねぇぜ。姉、妹、母親、クラスメイト、警察官、教師、女なら誰でも効く。誰でもだ! 嘘だと思うなら、薬見つけて試してみろ。……ああ、ババアのいるところで使うなよ。見たくもねぇからな。へへっ、はははははははははっ!」
スマホから、加藤の笑い声が聞こえる。
多くの日本人は、こんな薬は嘘であると嘲笑するだろう。だが優と春樹は知っている。異世界のスキルを、そして彼がしでかした悪事の数々を。
これは嘘でない。加藤は、間違いないなくそんな夢のような薬が作れる。そして御影の〈時間操作〉による支援があれば、薬を作成する時間も無視できる。
「はははははははははっ! 喜べ野郎ども。今日から楽しい楽しいパーティーだ。この国を、そして世界を……女の喘ぎ声で満たせっ!」
動画は、そこで終っていた。
「……終わり、だね」
絶望に包まれた春樹の声を、優は聞いた。
終わりだ。
もはや、どうすることもできない。巨悪は野に放たれた。
日本は、そして世界はどうなるのだろうか?
優はただ、見守ることしかできない。
ここで大侵攻編は終わりです。




