大侵攻、前触れ
結晶宮殿、中央ホールにて。
中央ホールは巨大なスペースを持つ広場だ。いくつもの細かい鉱床がさながら芝生のように床を覆い、色さえ付ければ地上にいると錯覚してしまうかもしれない。
第八階層迷宮伯爵、万壊のブリューニングは広場の隅に腰掛けていた。主である刀神ゼオンの命に従い、ここにやってきたのだ。
どうやら呼ばれたのは自分だけではないらしい。顔見知りもそうでもない者も含めて、かなりの魔族たちがこの地に集まっている。
「なんだ、今日の集まりは?」
「しらねぇぞ、例の『黒き災厄』か?」
「魔王陛下はいずこへ? 最近、姿を見ないが……」
爵位を持つ魔族は知性が高く、そして実力もけた違い。配下の統率もあるため、そう簡単に持ち場を離れるわけにはいかない。
だからこそブリューニングは不思議だった。今ここに集まっている者の多くが爵位持ち。話が分かり、そしてある程度配下を引き連れている……責任ある者たちなのだ。
「……静まれ」
しん、と静まるホール。
ここにいる知能ある魔族たち全員が、逆らうことのできない強者の命令だからだ。
彼らは魔王ではなく、主不在の宮殿を統べる魔族三巨頭。
刀神ゼオン。
大妖狐マリエル。
悪魔王イグナート。
「――時は来た」
ゼオンの冷たい声を受け、場の緊張が一気に高まった。
何か途方もない事態が始まろうとしている。誰もが、そう思ったのだ。
続いて、イグナートが前に出た。
「すべての魔族に、魔王陛下よりの勅令を下す。大戦じゃ! 本日をもって、すべての魔族は迷宮から一匹残らず外へ出よ!」
「戦い、そして死に果てろ。すべては、魔王陛下のため」
「魔王陛下に栄光あれ」
皆が、息を止めるのを感じた。
大戦。
死に果てる。
勅令。
今まで聞いたことのないような、強い言葉だ。これほど明確に人類へ宣戦布告するのは、おそらく初めてのことだろう。
「……お」
一人の魔族が、肩を震わせながら口を開いた。
「おおおおおおおおおおっ!」
雄たけびだ。
一人、二人、と立て続けに声が上がっていく。
幾重にも連なる声が、まるで洪水のように空気を震わせた。
喝采が響くその傍らで、ブリューニングは青い顔をしていた。
「おいおいおい……本気かよ。大戦だなんて、今まで聞いたことがないぞ」
ブリューニングは幾多の魔族たちの例にもれず好戦的な性格である。戦いは嬉しいし、そのためなら決して臆病になることはない。
だが、今回の戦いは何かが違う。
死ぬまで、という命令など初めてだ。
自分たちは迷宮で生まれ、迷宮で過ごしてきた。迷宮宰相亡きあとは若干物資搬入が滞ったが、その仕事もすでに何人かの上級魔族たちに引き継がれた。もはや何も問題なく生活しているといっても過言ではない。
それを、外に出て過ごせと言うのは……あまりいい気分にはならない。
「……人間」
あの日、迷宮宰相ゲオルクを倒した人間の事を思い出す。正義感溢れ、好感を持つことができた彼と戦わなければならないのだろうか……?
「柄じゃないな……」
ブリューニングは己が迷いを断ち切った。手元の巨大な斧をスクリューのように振り回し、周囲の魔族たちと同じように雄たけびを上げる。
大戦が、始まる。
この日、魔物たちは順番に地上へと侵攻を開始した。
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大統領官邸にて。
俺はつぐみに呼ばれて大統領官邸にやってきていた。
そばにはりんご、雫、そして一紗がいる。要するに迷宮へといつも向かう勇者メンバーが呼ばれたのだ。
「少し、話をしたいことがある」
椅子に腰かけながらこちらを見るつぐみは、いつになく真剣な表情をしているように見える。
俺や一紗に簡単な話をするなら、家ですればいいだけだ。わざわざりんごたちを集めてここで話をするということは……重要な内容なんだろうな。
「魔族の活動が活性化している、という報告がある」
「活性化? 迷宮の外に出てきてるってことか?」
「そうだ。……何かの勘違いであれば良いが」
珍しいな。
迷宮から魔族が這い出して来ることはかなりまれだ。奴らは地下迷宮にこもってあまり出てこないし、だからこそこの世界の人類が生きているといっても過言ではない。
俺たちはそのめったに起きない事態を想定し、時々魔族たちと戦っているわけだが……。
「俺たち、この前迷宮行ったけど特に何も感じなかったぞ?」
俺は子供を亡くし、乃蒼は悲しみに暮れている。しかしだからといって役割を放棄するわけにもいかず、少しずつではあるが、迷宮に向かうようになっていた。
「雫もそう思うよな?」
「…………」
……うっ。
そういえば、最近まともに会話してなかったな。最近俺の身に起こったこと、どの程度知っているんだろうか?
雫は無言のまま、こくり、と頷いた。俺と同じことを考えていたらしい。
短期間であるがあそこに向かった者の感想としては、それほど変化がないように思えるのだが……。
「近くの他の都市からは、そのような報告を受けている。さすがに他国の分までは分からないが……」
「きっと、あたしたちの使ってるとこが悪いのよ」
そう、一紗が言った。
「入口、転移門のことか?」
「あそこ、超遠くない? 魔族も弱い奴ばっかで、絶対誰も使ってないのよ」
「……確かに」
俺たちがいつも使ってる転移門、もしかすると魔族たちにとって使い勝手が悪いのかもしれないな。一紗助けに行くときもやたら遠かったし。
「じゃあ今度は別の転移門から向かってみるか? そうすれば違いが分かると思うけど……」
「少し離れた位置になるが、国境近くにもう一つ転移門が存在する。地図はこちらで用意しておこう」
「わかった」
「危ないと思ったら戻ってきてくれ。もし本当に魔族たちが大挙して押し寄せてきているのであれば……大事件だ」
大げさだな。
俺も一紗も魔族の本拠地まで突撃したことがあるんだぞ。並みの敵ならどうにかなる……はず。
俺たちはいつもと違う場所から迷宮へと向かうことになった。
ここからは大侵攻編になります。




