御影の狂気(後編)
加藤のしびれ薬によって、止められてしまった優。
「加藤……いつの間に、匠のスキルを……」
「当然、僕が加藤君を治したんだ」
時間を操る御影に、『いつの間に?』という問いは愚問だった。おそらく、どこかの段階で瞬間移動して加藤を治したのだろう。
そして加藤が〈創薬術〉で作った薬は、スキルではなく現実に存在する物質だ。たとえ例のバッジが存在しなかったとしても、その効果を発揮することができる。
加藤は優が倒れるのを確認すると、すぐに御影の方を向いた。
「お前、さいっこーだなおい! 頭のネジぶっとんでやがるぜ! いままでいじめて悪かったな」
「う、うん?」
「もっとだ、もっとお前の狂気を俺に見せてくれ! 最高にキレた展開をよおおおおおおおおおおおおっ!」
「き、狂気だなんて失礼だな加藤君は。僕はただ、この子と愛を育みたいだけだよ」
狂ったように笑う加藤と、冷静な御影。これで御影の方が狂ってるわけだから、悪い冗談みたいだった。
「じゃあ、前座はもういいよね」
御影は乃蒼の子宮を机の上に置いた。
「行くよ?」
〈時間操作〉、起動。
雷鳴のような光が、周囲を覆った。
それはまるで大魔法のように、なにか起きてはならない事件が起こる前触れのような気がした。
白い煙のようなものが立ち込める教室に、一人の人間が立っていた。
「あ……あああぁ……あああああああああああああああっ!」
優はその人の姿を見て、絶望した。
「フヒッ、フヒヒヒヒヒヒヒヒ! やったぁ、やったぞ! 生えてないいいいいいいいいいい! 女の子だああああああああああああああああああっ!」
御影が歓声を上げた。
そう、そこには一人の幼女が立っていた。
年齢はおそらく十歳前後。黒く長い髪は腰あたりまで生えそろい、顔立ちはただでさえ背の低い乃蒼をさらに幼くしたような感じ。そして凹凸の少ない体は子供のそれだ。
せめてブスであったなら、御影が興味を失ったかもしれない。だが目の前の女の子は誰がどう見てもかわいらしく、とてもではあるが御影が無視するとは思えない。
もう、すべての希望が潰えた。
「や、ヤバイ……ヤバイよ。な、なんてかわいさだ。処女だった時の乃蒼以上だ。僕は……当たりを引き当てたんだ。は……ハァハァハァ」
息の荒くなる御影を見ていると、ただでさえひどかった嫌悪感がさらに増してくる。視界に収めることすら苦痛ではあるが、優は最後まで抵抗するつもりだった。
「は、裸はまずいよね。く……く、……クマちゃん柄のパンツとか、買ってあげようかな。ぶ、ブラジャーはまだ早いよね。フヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
御影は、まるで恋人がそうするかのように、目の前の子供を抱き寄せた。彼の卑猥な手が、穢れなき少女の体を手垢で汚していく。
「ね、ねえ、喋れる? お兄ちゃんはね、君の恋人だよ。さ、僕の家に帰ろうか。あ、抱っこしてあげるね。フヒ、いい匂い。それに柔らかい、柔らかすぎるよ……フヒ、フヒヒヒヒヒヒ」
下劣な感情を隠そうともしない御影の様子を見て、思わず優は目を背けた……。
その時。
ポン、と何かの弾ける音が聞こえた。
次に、何かが優の足元に落ちてきた。靴を履き、ズボンの一部が張り付いたそれは……脚だ。
御影の脚が爆ぜた。
「あぎゃあああああああああああ、ぼ、僕の脚が、脚があああああああああああああああああああああああっ!」
突然のことでスキルを使うことすら忘れているのだろう。御影は煙を出しながら出血する脚を手で押さえながら、地面を魚のようにのたうち回った。
「下衆が……汚い手で我に触れるな」
乃蒼の子供は、そのあどけない姿からは想像もできないような冷たくそして恐ろしい声で、苦しみに喘いでいる御影を見下ろした。
優は察した。おそらく先ほど御影を攻撃した『魔法』っぽい攻撃は、この子供が発したのだろう。
女の子は近くのカーテンを引きちぎると、裸だったその身にまとった。
「久しいな少年。少々予定とは違ったが……再会できたというわけだ」
「……魔王さん? あんた、魔王さんか?」
「その通り」
魔王レオンハルト。
かつて優たちが倒したはずの……魔王。
優は驚愕した。
「な、なんだよそれ? お前、匠と乃蒼の子供じゃないのか? な、なんでここに、そんな姿でここにいる!」
「我は魂を移し替える肉体転移の魔法を心得ている。そなたが首を彼女の前にさらしたあの時、我が最後の魔法は成ったのだ」
「な……に……」
あの日。
優と春樹は自分たちが魔王を倒したと証明するため、匠たちにレオンハルトの首を見せた。その時、魔王が生きているかのように首だけで動いていたのを思い出す。
あの時、魂を乃蒼の子供に移したらしい。
「クク、ククククク、なんだよ魔王さん。初めからそういうつもりだったのかよ。ずいぶんと、かわいらしい格好になっちまったじゃねーか? そういう趣味なのか?」
「……魂は世界に縛られている。そして世界異動は元の体のままでは難しい。誰か異世界人の血を持つ者の肉体を奪う必要があった、そういうことだ」
「はっ、よくわかんねーが、この世界に来たかったってのは分かったぜ」
加藤にとって、魔王がどんな姿かなど関係ないらしい。
そして魔王もまた、先ほど御影に魔法を使ったことからもわかるように……その力は全く衰えていない。もはや魔剣一つしか手元に持っていない優では、とてもではないが太刀打ちできない相手だ。
「んで、どうすんだ? 人を殺すか? 女を犯すか。政治家ぶっ殺して国王になるか? 俺ぁあんたについてくぜ。なぁ、俺はなにをすればいい。なんでもしてやるぜ? あんたの、目的をさ、教えてくれよ」
「すべてを……」
「すべて?」
「少年、すべてだ。我はこの世界のすべてが欲しい。望むままに戦い、破壊し、蹂躙する。魔族の事など何も知らぬこの地で平和を過ごす民に、恐怖と絶望を与えてくれる」
「おもしれぇ、やっぱあんたは最高だ。じゃあ手始めに、この辺の奴らぶっ殺さないとな」
加藤は鼻歌を歌いながら、腰元の瓶を抜き取った。時間は十分にあったはず。おそらくあの薬は……とても恐ろしい効果を持つ何かだ。
「アヒィイイイ、脚がぁ……脚が……」
いまだ泣きわめく御影。どうやら痛みと驚きで自らの最強スキルを完全に忘れているらしい。
宝の持ち腐れとはこのことだ。
「魔王さん、こいつは使えるぜ。生かしておいた方がいい」
「ふむ……」
幼女乃蒼の体をした魔王は、地面に転がる御影を蹴り上げた。
「……御影殿、覚えているかな? レオン公爵だ。我に従え。そうすれば殺さないでおいてやる」
幼い子供が少年を足で踏みつけるその姿は、ひどく滑稽でアンバランスに見える。だがその実力差を考えるなら、ある意味納得できる光景だ。
そして、脚で蹴られているはずの御影は、なぜか気持ちよさそうに笑っていた。
「フヒ、フヒヒ、強気幼女に命令されるなんて……最高だよ。悪いことしないって約束するなら、力を貸してあげてもいいよ」
「……約束しようぞ」
嘘だ、と優は思った。
ただ……御影の正義はあいまいだ。これまでの彼の行動は誰がどう見ても悪人そのものなのだから。口だけで、すぐにレオンハルトと本当の意味で仲間になってしまうかもしれない。
魔王レオンハルトは立ち去った。
加藤も、そしてスキルで脚を元に戻した御影もまた……教室を出て行った。
優は絶望した。
魔王がこの世界に来た。それだけではない。〈創薬術〉を持つ加藤と、〈時間操作〉を持つ御影がその傘下に加わったのだ。
もはや匠の子の行く末を心配している場合ではない。自分も春樹も、そしてこの世界そのものが危機に瀕しているのだ。
「世界は……どうなるんだろうな」
ぼそり、と一人呟いた優の言葉に、答える者は誰もいなかった。
ここで不幸を呼ぶ四人編は終わりになります。




