御影の狂気(中編)
夜の教室は、恐怖に包まれていた。
御影が取り出した生々しい器官、子宮。それが恐るべき緊張感をこの教室にもたらしていた。
御影は子宮から片手を放すと、懐から財布を取り出し、唐突に空中で拳を打ち付けた。
財布は御影のパンチを受けて、教室の隅に吹っ飛んでいった。
そして御影が拳を開くと、そこには銀貨が握られていた。異世界の銀貨。優たちも使ったことのある、あの世界での通貨だ。
「僕のスキルは対象の時間を操ることができる」
銀貨を床に落とした御影が、自慢げにそう言った。
「さっき、この財布の中身を一秒前に戻した。あっちに飛んでいった財布は、一秒前に僕の手元にあった。だから中に入っていた銀貨は、今、僕の手元に移動した」
「…………」
「僕はあの時、こうやって乃蒼の子宮を抽出したんだ」
思い出すのは、御影が島原乃蒼の腹部に拳を打ち付けたときの事。先ほど財布で起こったのと同じ出来事が、彼女のお腹の中で起こったとしたら?
優はその瞬間を想像して吐き気を催した。とても常人が行えるようなことではない。
御影は鬼だ、悪魔だ。これならば、加藤にいじめ殺されていた方がよかったかもしれない。
「……それで、お前はその子を……どうするつもりなんだ?」
「僕はこの子を蘇らせるんだ」
御影が笑う。若干声を押し殺して、ニヤニヤと唇だけを釣り上げているその姿は、陰湿で嫌悪感を催すものだ。
「この子は、乃蒼に裏切られたかわいそうな僕のために、神様が用意してくれたプレゼントなんだ。赤ちゃんだから当然処女! 僕は〈時間操作〉スキルを使ってこの子を成長させて、恋人として迎え入れるんだ!」
背筋に悪寒が走った。
御影の思考は常軌を逸している。そして何より恐ろしいと思うのは、これほどのことをやりのけておいて、自分がまだ被害者だと思っていることだ。
「止めろ! だ、だいたい、その子はもう手遅れだ! 死んでるに決まってるだろ! 時間を進めても腐るだけで……」
「死ぬってさ、どういうことなんだろうね?」
「え……?」
「確かにこの子は息をしてないだろうし、たぶん心臓も動いてない。下手をするとどこかが腐り始めているかもしれない。でもそれってさ、死んでるってことなのかな?」
御影の言葉に、優は答えることができなかった。
「僕は幾度となくスキルの練習をした。からからに乾いた虫も、死んだように見える小動物も、僕が時間を巻き戻せば生き返ることができた。逆にね、死にかけの小動物を成長させても……息を吹き返した。生き物の魂はね、そう簡単に消えないんだ」
「死にかけの小動物が、息を吹き返したのか?」
「『良き未来の法則』って僕は呼んでる。下条君だって、五体満足のまま老人になってたでしょ? あれと同じだよ」
確かに、と優は思った。
人の死とは何なのだろうか?
棺に入れられた後で息を吹き返した、という事例は少なからず存在する。
呼吸が止まっていても、人工呼吸器をすれば生きることができる。
心臓が止まっても、マッサージや電気ショックで息を吹き返すことがある。
そして現代の死の概念すら、二十~五十年後には蘇生可能とされてしまうかもしれない。
死とはあいまいな概念だ。乃蒼の子供が絶対死んでいるのか? と問われればそうだと言いにくい。医学に精通していない優であればなおさらだ。
今、ここでこの子宮の赤ちゃんの時間を加速させたとしよう。確かに、普通に考えれば死んでいるから腐るだけだ。
だが御影の主張を信じるなら、この子にはまだ魂が残っている。それならば、万が一にも生き残る可能性があるのなら……死なないのではないか?
かつてスキルを受けた匠は百歳以上の老人に変身したように見えた。ごく一般的な男性の寿命は八十歳前後であることを考えると、随分と長生きだ。それに頭もしっかり回っていたところを見ると、痴呆のような病気とも無縁だったようだ。
これこそ、御影の主張する『良き未来の法則』の証左なのではないか? どれだけ劣悪な状況だったとしても、この匠の子供は……正常な形で生き返る可能性が高い。
「……浅はかと言わざるを得ないね」
これまでずっと話を聞いていただけの春樹が、唐突に割り込んできた。その顔には優と同じように、怒りの感情が刻み込まれている。
「その子供、仮に男だったらどうするのかね? それにもし女性だったとして、君の悪行を快く受け入れてくれると? バカバカしいことはやめたまえ。ひどく罵られるのがオチだ。また振られるぞ」
「言ったでしょ。これは神様が僕に与えてくれたプレゼントなんだ。だから絶対女の子に決まってる。これは運命なんだ……」
キラキラと目を輝かせる御影を見ていると、もはや何も言うことができなかった。完全に女の子であると疑っていない。確率的には約五十%であることを考慮すると、それほど分の悪い賭けとも言えないが……。
「でも、女は年を取ると劣化するからね。乃蒼と同じ年齢にしたら頭の悪いビッチになって僕のことを罵るかもしれない。だから年齢は十歳ぐらいにするよ。純真な子供なら、きっと僕のことを理解してくれる! 手取り足取り、恋人として愛を育んでいくんだ。ぼ、僕も……ロリの方が好きだし」
優は唇が震えて声を出せなかった。
信じられなかった。これが本当に自分と同じ人間なのだろうか?
このままで、匠の子供は御影の慰み者にされてしまう。
「御影ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」
優は駆け出していた。
手には魔剣。しかし勝てるとは思っていない。御影の強大な力を前にしては、魔剣などただのおもちゃだ。
だがそれでも、感情が許さなかった。匠の子を悲惨な未来から解放するため、御影を止める以外……道などないのだから。
「う……」
だが、優はすぐにその足を止めてしまうことになる。
御影は何もしていない。その隣に立っていた彼が、しびれ薬を使って優を足止めしたのだ。
「はっ」
加藤達也。
薬瓶を構えた加藤が、御影をかばうように立っていた。
後編も今日投稿予定




