〈時間操作〉の調整
ややショッキングな展開かもしれない。
だがやる。
壁に張り付くように座り込んだ俺。
俺を庇うように両手を広げる乃蒼。
そして、絶望のあまり立つことすらできない御影。
奇妙な膠着状態が生まれた。
「う、嘘だ……」
初めに、口火を切ったのは御影だった。
深く絶望に染まったその瞳は、俺たちのことを捉えていない。まるで幽霊に話しかけているかのように、何もない宙へと視線が向いている。
「嘘だ嘘だ嘘だっ!」
激しく、受け入れがたい真実を否定する。
だがその叫びが、嘆きが、現実を証明する何よりの証拠だ。
「こんなの絶対間違ってる! 僕がいじめられっ子でクラス転移の主人公なんだ! お、お前みたいな勘違い陽キャは惨めに敗北するはずなのに、おかしいよ!」
「み、御影……君、落ち着けって」
「も……もう一回!」
「は?」
「もう一回! 少し時間を進めるんだ! そ、そうだよね、少し時間を戻し過ぎたんだ。僕と乃蒼は出会ったばかりで、互いのことを知らなかった。だったらクラス転移の直前まで記憶を持ってくれば、きっと乃蒼は僕のことを好きになれる! こんな奴のこと好きだなんて、言わない!」
何を血迷ったのか、御影が良く分からないことを言い始めた。
いや、俺多分御影君と一緒の時期に乃蒼と出会ったんだけど? 単純に生物の授業受けてるか受けてないかの差もあるし、時間をどれだけ弄ったところで……。
「た、タイミングが悪かったんだよね? 待ってて、今治すから」
いや待て。
また?
また、乃蒼の脳にスキルを使うのか?
人の体を何だと思ってるんだ? モノや道具じゃないのに、勝手に改造して都合のいいように仕立て上げて……。
「馬鹿っ! 止めろ御影!」
怯えて、混乱して震える。そんな乃蒼をまた見るなんて……辛すぎる。
まずは御影を止めなきゃ! そして、可能なら……乃蒼を元に戻してもらうんだ。時間を進めるとか遅らせるとかじゃなくて、完全に元の彼女へ。
だが、御影が早い。例の瞬間移動技を使って、目にも止まらぬ速さで乃蒼の前まで来た。
「止めろおおおおおおおおおおっ!」
これ以上、乃蒼を苦しめさせるわけにはいかない。
俺は御影を突き飛ばした。
「ば、馬鹿っ! 僕のスキルは調整が……」
え……?
調……整?
そういえば御影のやつ、さっき言ってたな。『何度も何度も練習した』って。ひょっとしてこのスキル、俺や加藤みたいに簡単には使えないのか?
範囲も時間の進み具合もあるスキルだ。もしかすると、そういった細かい調節は難しい感覚で制御しているのかもしれない。
もし、もしだ。御影のスキルが失敗したら?
上半身だけ歪に成長した乃蒼とか、足だけ老人になった乃蒼とか、そんな恐ろしい姿を……想像してしまった。
お、俺は……なんてことを。
御影は確かに邪悪なことをしようとしていた。だがだからと言って、感情に任せて横やりを入れるべきではなかった……のか?
「の……あ」
俺は、震える口を押さえながら、ゆっくりと乃蒼の方を向いた。
「匠君」
その呼び方は、この世界で過ごしてきた乃蒼そのもの。
どうやら、少なくとも記憶に関しては最近までのものに戻ったらしい。
体も大きな変化は見られない。ただ一つ、お腹のソレを除いては。
乃蒼の……お腹が大きくなっていた。
「……は?」
出産が近い、と言っても違和感がないほどの大きさだ。もちろん御影の攻撃を食らう前はこんなに大きくはなかった。服を着ていれば分かりにくいレベルだったはずだ。
俺が御影を突き飛ばしたせいで、スキルの調節が失敗した?
「の、乃蒼? 大丈夫なのか?」
「あのね、お腹の赤ちゃん。動いてる……」
優しそうに、お腹をさする乃蒼を見て、俺は安心した。
良かった。またスキルのせいでおかしなことになっていないか不安だったけど、とりあえず命に別状はなさそうだ。
たぶん、俺がされたのと同じように時間を進められたんだろうな。今の乃蒼よりも、3か月前後たったくらいだと思う。
「え、の、乃蒼……」
こいつ、俺たちの子供に何かあったら、どうするつもりだったんだ?
「う……あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 僕のおおおおおおお、僕の乃蒼がボテ腹にいいいいい、ひいいいいいいいいいいあああああああああああああっ!」
御影の精神が崩壊した。
リアルでこんなに泣き叫んでいる奴を見たのは初めてだ。
「僕の、……処女天使が……。こんなのおおおおお、あんまりだあああああああああああああ!」
そのまま魂でも吐き出してしまいそうなぐらいに、御影が叫んでいる。
俺も乃蒼も、何も悪くないはずなのに。こいつなんでこんなに被害者面してるんだろ。俺らに謝るべきだろ。
「あっひゃははははははははははははっ!」
少し離れたところから、加藤の下品な笑い声が聞こえた。どうやら御影のこの様子は、彼にとってとても愉快なものだったらしい。
「あ、あの、御影……君? 大丈夫?」
乃蒼……。
俺なんかと違って心優しい乃蒼は、御影の様子を見て心を痛めたらしい。懐から取り出したハンカチを、彼に差し出した。
「さ、触るなああああっ!」
「痛っ!」
み、御影の奴、乃蒼の手を叩いた! な、なんて奴だ!
「このビッチ! 淫乱! アバズレ! 男に媚びた汚い手で、僕に触るなあああ!」
「そ、そんな……。ひどい」
こいつ……ホント、いい加減しろよ。俺は加藤じゃないけど、なんだか御影にイライラしてきた。
「御影、言っていいことと悪いことがあるだろ! いい加減にしろよ!」
「黙れこのヤリチ〇がっ!」
…………。
「俺の悪口はいいさ。でも乃蒼まで悪く言うことはないだろ。お前、乃蒼のこと好きだったんだろ?」
「いい加減にするのはお前たち二人だ! よ、よくも僕を裏切ったな! 馬鹿にしたな! 許さない! 絶対に、お前たちに天罰を与えてやる!」
……御影のことは警戒していた。何かやらかす、乃蒼を守らなきゃとずっと心に決めていた。
でも、奴のスキルは、あらゆる攻撃・防御を無効化する最強の能力で、俺にはどうしようもなかった。
「きゃあああああああああああああああああああっ!」
「御影えええええええええええええええええっ!」
瞬きするほどの一瞬で、御影は乃蒼に肉薄。右ストレートで彼女のお腹に拳を打ち付けた。
「な……」
なんてことを! の、乃蒼のお腹には、俺たちの子供がいるんだぞ!
悲鳴を上げる乃蒼と、乃蒼を守ろうとする俺。
態勢を崩した乃蒼を、俺は抱き留めた。これ以上大切な体を傷つけられるわけにはいかない。
俺は剣を構え、彼女を守ろうとした。
「あ……?」
だが、すべては手遅れだった。
乃蒼のお腹は……引き裂かれていた。
「あ……あぁ……あ」
おびただしい量の血が、周囲に飛び散った。力を失い、目を開いたまま倒れた乃蒼は、まるで死にかけの虫のように……体を痙攣させている。
さーっと頭から血の気が引いていくのを感じた。そのまま倒れてしまわなかったのは、御影への怒りが強かったからかもしれない。
あれは……さっきの御影の攻撃は、ただのパンチなんかじゃなかった。
「まさか……これは、おっお前のスキルかっ!」
ついさっき考えていた、脳を宇宙空間に飛ばす方法。あれと同じように、お腹の中の臓器を……吹き飛ばしたとしたら?
「ふ、ヒヒ、ヒヒヒヒヒヒ! ざまぁ! ヤリチ〇とビッチの穢れた子供を、ぶっ壊してやったぞ!」
返り血を浴びたままの御影が、座り込んだまま笑っている。
御影と、それに加藤の笑い声が……、この狭い部屋の中に木霊した。




