魔剣フルス
〈――蒼き氷槍〉。
フェリクス公爵の放った魔法。
魔法はその強さに応じて10段階のレベルに分けられている。その中でも〈蒼き氷槍〉は第四レベル。
戦闘では使える。まあそれなりに弱い魔物は倒せる。でもある程度魔物が強くなると使う意味すらなくなる。その程度の位置づけ。
対して俺が使用した〈裁きの光剣〉もまた第4レベル。つまりは互角。
交錯する剣と槍。光の剣はその輝きを増し、氷の槍はドライアイスのように白い霧のようなものを生んでいく。
光の剣と氷の槍は、煙と輝きを残して消失してしまった。
フェリクス公爵は武人ではない。王国ではかなり偉い方だと聞いているが、武術や魔物退治に関する話はまったく聞かなかった。つまりはその程度の実力なのだ。
まあ、フェリクス公爵は良くやっている方だと思う。普通貴族が魔法なんて使えないからな。そういう意味では十分に強い。
対して、俺の使える中で最も強い光属性魔法、〈十字聖域〉は第7レベル。3段階もレベルが上がれば、力の差は歴然だ。
魔王と戦ったり迷宮潜ったりするのには全然足らないのだが、今、この場で公爵を圧倒するには十分だ。
「なるほど、これでは到底及ばないか」
まだ強い魔法は使っていないのだが、公爵は力の差を理解したらしい。魔法の残滓を見ながらそう呟く。
「では……こういうのはどうだろうか?」
フェリクス公爵はそう言って、腰に掛けていた剣を手に持った。
青色の宝石によって彩られた、美しい長剣だ。
あの剣は、まさか……っ!
「解放、魔剣フルス」
言葉とともに、公爵の剣が青い光を放つ。その剣先からは渦を巻く水が発生し、周囲へと広がっていった。
この世界には、特殊な二種類の剣が存在する。
魔剣と聖剣だ。
その力は絶大。
あらゆる魔法を超越する、人類最強の力としてこの世界に君臨している。
だが魔剣や聖剣はその存在自体が希少で、適性を持つ者はさらに希少。しかも、適正を持つ者が剣を持っているとは限らない。
貴族が魔剣や聖剣を保持しているという話はよくあることだ。使えもしないのに見世物のように飾り、その強さを自慢するらしい。
「公爵、あんた魔剣を使えたのか?」
「まあ持っているのは魔剣の適性だけだよ。聖剣は扱えない」
貴族が魔剣を使えるなんてレアケース。公爵に魔剣の適性があるなんて聞いてないぞ。
「すべてを流せ、〈濁流〉」
公爵が魔剣を振るうと、その背後から一気に水が押し寄せてきた。
それはまるで、洪水のように。圧倒的な水量が公爵の背後から押し寄せてくる。
決して小さな建物ではない公爵邸を、完全に押し流しながらだ。
「……あ」
避けられない。
今更どれだけ足掻いたところで、津波のように押し寄せる水を防ぎきることは不可能。
俺は死を覚悟した。
すぐさま距離を取り後退。正面の木へともたれかかり、水に背を向ける。
避けられない洪水。この身に受けるしか道は残されていない。
「ああああああああああああっ!」
剣を地面に突き刺し、必死に流されないようにと踏ん張る。濁流に巻き込まれた木や、建物の残骸、そして大岩が木にぶつかっているのを感じる。
「…………」
俺は耐えた。必死に流されないように我慢した。そしてどうやら、嵐は過ぎ去ったらしい。
ゆっくりと、目を開く。
周囲は水浸しだった。草や木からは泥水がしたたり落ち、いたるところで小さな木の抜けた跡がある。
なんとか、耐えることができた。
圧倒的物量。
おそらく俺だけでなく、公爵邸近くの村にまで被害が出ていることだろう。俺の戦いに罪のない村人を巻き込んでしまったことは、とても申し訳なく思う。
一方の公爵は服どころか髪の毛一本濡れてさえいない。これは魔剣フルスが生み出した水。公爵にとっては味方も当然だからな。
汚い水を口から吐き出す。飲んでしまった分はどうしようもないから、吐き気を催すような気分を押し殺す。
病気が気になるところではあるが、とりあえず攻撃に耐えることはできた。家に帰って水浴びをしたいところではあるが、未だ戦いは終わっていない。
俺は再び公爵に剣を向けた。
「……ぐぅ」
苦しそうに呻き声を上げたのは、俺ではなくフェリクス公爵だった。震える手から、青き魔剣――フルスが零れ落ちる。
これは……。
「……限界が訪れたみたいだな」
魔剣の適正には高低が存在する。高ければ使用時間、威力ともに高く、逆であれば低い。
適性を持ち魔剣を扱えるだけでもレア。フェリクス公爵は適性がそれほど高くなかったようだが、それでも10万人に1人程度の逸材だ。
時間切れ、ってわけか。なんだかしっくりこない結末だったな。
「頼みの魔剣は時間切れ、魔法では俺に敵わない。観念しろフェリクス公爵。つぐみに引き渡すから、大人しく俺について来い」
「……いいやタクミ殿、時間稼ぎはもう終わりだ」
こちらを見据える公爵の瞳は、未だ余裕を携えている。とてもではあるが、観念して捕まってくれるようには見えなかった。
なんだ、この自信? 時間稼ぎ? この状態で、どうやって俺に勝つつもりだ?
わずかに警戒感を強めた俺は、すぐに気が付いた。
「公爵様、ご無事ですか?」
俺の背後に、人が立っていた。
一人ではなく、その数は7人。
つぐみの取り巻きのうち、武術に優れた少女兵士たち。俺のクラスメイトもいる。
俺はつぐみと仲が悪いから敵意を向けてくるのは分かる。しかし彼女たちにとって、公爵は俺以上の敵であったはずだ。
それが今や、まるで忠誠を誓うかのように片膝をついて公爵に従っている。
「公爵様にたてつくなんて、絶対に許しません! 下条匠、あなたはもう死んでくださいっ!」
一団を代表して前に出たのは、ポニーテールの少女だった。
柏木璃々だ。普段はつぐみを姉のように慕っている子で、公爵のことを毛嫌いしていたのをよく覚えている。
それが、このありさまだ。犬歯をむき出しにして、剣先を俺に向けている。
つくづく〈操心術〉の威力を思い知らされる。
「紹介しよう、タクミ殿。〈操心術〉によって従う――我が配下たちだ」
まるで自慢のコレクションを紹介するかのように、公爵は高らかと宣言したのだった。