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ROSA  作者: 藤 子
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微笑の仮面1

 浅い森に囲まれたウィケット邸の前で、一台の馬車が止まった。

 御者人がすぐに飛び降りて、頭を下げたまま扉を開ける。すらりと、長い足が地に下りた。上等の鹿皮で作った革靴が、小石を踏んで小さな音を立てる。ヴァンパイア特有の漆黒の髪が、夜風に触れてさらさらとなびいていた。リュシアンよりも切れ長な目は、瞳というより高価な宝石が埋まっているようで。一切の感情を持たない黒曜石のような瞳だ。目の前に佇む屋敷を見上げ、クレメンス・シュヴァルツ、通称クレイはわずかに口元を上げた。


「天気が良くて良かった」


 一人でつぶやくと、続いて降りようとしていた女性に振り返り、優雅に手を差し出した。


「ありがとう」


 琥珀色の瞳を細め、女性はにこやかに微笑んだ。体のラインに沿ったスレンダーなドレスの裾を持ち上げ、馬車から降りる。その拍子に、ゆるやかにウェーブがかかった橙の髪が、軽やかに揺れた。首元には、一匹の小さなヘビがネックレスのように巻きついている。赤と黒のまだら模様が、装飾のない首元に花を添えていた。彼女に続いて最後に男が降りると、御者人は静かに扉を閉めた。そこに突然、一人の男が現れる。


「お待ちしておりました。クレメンス様。メディチフィーノ様。デュサーガ様」


 深々と頭を下げ、にっこりと微笑んだのはフランクだった。

 クレイはかすかに苦笑した。


「相変わらず、気配を消すのがうまいな。フランク」

「光栄でございます。立ち話もなんですから、中へどうぞ」

「ああ。そうさせてもらおう」


 早速フランクを先頭に屋敷のロビーへ足を踏み入れると、だるそうな面持ちで主が待っていた。クレイは無邪気な笑顔を浮かべ、リュシアンへと駆け寄る。


「久しぶりだね、我が従兄弟」


 再会の抱擁を交わそうと両手を広げたが、あっさりとリュシアンにかわされた。


「いつもいつも、突然来るのはやめてくれ。こちらにも都合というものがあるんだ」

「いいじゃないか。ここは私の別荘のようなものなんだ」

「勝手に決めるな」

「まぁまぁ、会って早々、縁戚喧嘩はよしてくれ。それより、ヴィドックもいるんだろ?」


 ぐちぐちと始まったヴァンパイアのじゃれ合いに、待ったをかけたのはクレイの連れの男だった。リュシアンは、ちらりと彼を一瞥すると、その隣にいた女性に礼をとる。


「久しぶりだね、フィーナ。会えて嬉しいよ」


 彼女の右手に優しく口付けると、わざとらしいまでに穏やかな微笑みを浮かべた。

 一方、フィーナの方も、いつものこととばかりに微笑んで受け入れ、見目麗しいヴァンパイアにため息をこぼす。


「あなたも、相変わらず美しいわね。クレイと並ぶと、一対の彫像みたいだわ」

「それよりヴィドックは?」

「ありがとう。美しい君に認められるなんて、嬉しいよ」

「ヴィドックは」

「とんでもないわ。ヴァンパイアの美しさは種族の中でも突飛したものだもの。私もヴァンパイアに生まれたかったくらいよ」


 懸命に尋ねる男を完全に無視し、リュシアンとフィーナはにこやかに会話を楽しんだ。そこに、くつくつと噛み殺した笑い声が響き、一同の視線が一点に集まる。


「相変わらずだな。サーガ」

「ヴィドック!」


 サーガと呼ばれた男は、先ほどのクレイのように目を輝かせて駆け寄った。


「毎度のことながら、お前の苦労には同情する」

「ありがとよ、ヴィドック。お前だけだ。そんなことを言ってくれるのは」


 周囲も気にせず泣き言をこぼすサーガに、ヴィドックは軽く肩を叩いて労った。仲間内の挨拶が済んだところで、リュシアンがクレイに声をかける。


「ちょうど昼食の時間になる。話は食事をしながらしようじゃないか」

「ああ。そのつもりでこの時間に来たんだ」


 和やかに会話を楽しみながら、一同は幅の広い階段を上っていく。目当ての部屋に向かって歩いていると、ふとクレイが素朴な疑問を投げかけた。


「今日は一段と薔薇の香りがいいね。新種の栽培でもしてるのかい?」


 一瞬、リュシアンとヴィドックの表情が凍りつく。互いに目を合わせることもなく、次の瞬間には二人共元に戻っていた。


「まぁな。暇潰しに、新しい香水でも作ろうと思ってる。まだ始めたばかりだ」

「それはいいね。屋敷に香りを撒くというのはなんとも優雅だ。華やかになる」


 うまく言い逃れられたらしい。今にも冷や汗を掻きそうな気分で、リュシアンは密かに胸を撫で下ろした。従兄弟とはいえ、クレイは信用も油断もできない男だ。目的のためなら、家族や恋人も平然と裏切ってのける。ささいなことでも、不審は避けておきたかった。





 ダイニングテーブルには、豪華な食事が並べられていた。種族ごとに献立は様々だ。昼食のヴァンパイアには少し軽めのものを、人狼のヴィドックにはいつでも肉料理を、そして『メデューサの兄妹』には夜食となるものを。

 ヴァンパイアや人狼と違い、昼間活動するメデューサにとって今は真夜中だ。本当ならとっくに眠っている時間のため、食事は淡白であっさりした、軽めのものが出されていた。

 ただし、全員のグラスにはワインが注がれている。酒は、どの種族にも共通して好まれる飲み物だった。


「そういえば」


 柔らかいコッペパンにジャムを塗りながら、クレイが口を開いた。


「アンリはどうしてる?」


 ヴァンパイアハンターに身内を殺され、一人彷徨っていたアンリを拾ってから二年が経つ。屋敷に招き、リュシアンは養子のように彼を育てていた。同じヴァンパイアとして、彼が路頭に迷って堕落していくのは見逃せなかったのだ。時折この屋敷に遊びに来るクレイも、アンリのことはよく可愛がっていた。

 リュシアンは、小さくため息をこぼしながら答えた。


「監禁中だ。規律を五千回。写し終わるまでは出さんと言ってある」


 その言葉に、クレイがおかしそうに笑った。


「またかい? 今度は何をやらかしたんだ?」


 一瞬、リュシアンの脳裏を様々な考えが巡った。事実を話せば、ティティーヌのことがバレてしまう。リュシアンはワインを飲み、ひと呼吸置いてから話した。


「一人で人間の町に行こうとしたんだ。すぐに見つかったから良かったものの、一歩間違えば今頃ハンターに殺られてる」


 極力不機嫌を装ってみせれば、クレイはおかしそうに笑みをこぼす。


「相変わらず好奇心旺盛だなぁ。あいつはきっと大物になるぞ」

「反省もろくにせず、いつになっても同じことを繰り返す。アンリには我慢が欠けてるんだ。それを克服しない限り、一人前にはなれん」

「リュシアンもちょっと厳しすぎるんじゃなくて?」


 憤然と話すリュシアンに、フィーナが鶏肉のサラダをつつきながら口をはさんだ。


「まだ子供でしょ? 家族をなくして、きっと寂しいのよ。だから人の気を引きたくて悪さをするんじゃないかしら」


 軽い口調で話した彼女に、リュシアンはにっこりと微笑んだ。


「さすがはフィーナ。女性はやはり言うことが違うな」


 確かに、彼女の言葉にも一理あった。


「私も子供の扱いには手を焼いてるんだ。時々、どう扱えばいいのか分からなくなるよ」


 下手に出て煽てると、フィーナは気分を良くしたのか、ころころと笑う。


「女の扱いはお上手なのにねぇ。子供には包み込んであげる愛情が必要なのよ。飴だけじゃ駄目。鞭だけでも駄目。飴と鞭、両方をうまく使わなくちゃ」


 優雅にワインを飲みながら、彼女は饒舌に話した。その傍らで、ひそひそとヴィドックにささやいているのはサーガだ。


「自分には子供もいねえくせによく言うぜ。ヴィドック。お前もなんか言ってやれよ」

「女にしかできないことというのは、確かにあるだろう」

「フィーナは別だ。ありゃ女じゃねえ。女の面を被った男なんだ。特に子供なんざ、一番無縁の女だぜ?」

「お前がやられるくらいだからな」

「っぐ……。おい、そりゃねえよ、ヴィドック」


 とたんに苦い顔を見せたサーガの前で、ヴィドックは淡々と食事を進めていた。

 派手に兄妹喧嘩をして、見事にサーガが打ちのめされたのは、まだ彼らが幼い頃のことだ。フィーナを石化してやろうとして、反逆をくらったらしい。全身を石化され、彼女の大蛇に丸呑みされたとかされてないとか。サーガはそれ以来すっかり妹に頭が上がらず、都合のいい使いっ走りとなっている。今勝負をすれば、間違いなくサーガの方が強いだろうが、大人の喧嘩となると、今度は相手が女性ということで彼は不利になる。もし勝てたとしても、周囲から非難の声を浴びることになるだろう。結局、サーガが兄の威厳を取り戻すことは、あり得ないということだった。

 ヴィドックは切り分けた肉を口に運びながら、別の場所に意識を運んだ。

 今頃、ティティーヌはどうしているだろうか。フランクの部下を呼び寄せ、護衛につかせてはいるものの、どうも心配が拭えなかった。アンリは監禁されている。ミックス達がフランクの部下を倒し、主に逆らってまで襲うとは考えにくかったが、なぜか胸騒ぎがしていた。

 ちらりとリュシアンを流し見ると、彼は何事もなかったようにクレイやフィーナと会話を楽しんでいる。彼のことだ。ティティーヌのことは当然頭にあるだろうが、そんな素振りを少しも見せない彼には感服していた。


(こいつらが寝静まったら、様子を見に行ってみるか)


 内心ではそんなことを考え、ヴィドックは最後の一切れを飲み込んだ。

 そして食後、そろそろ寝ようと思っていたメデューサ兄妹の元に、クレイが足を運ぶ。


「何かおかしいと思わないかい?」


 いつもより少しだけ早めに食事が終わると、リュシアンはさっさと自室に戻っていった。普段なら、フィーナと中庭の散歩にでも出るところだが。まあ、この時間帯を考えれば、メデューサは就寝の時間だ。明日にしようとする考えは分かる。しかし、屋敷内のミックス達が妙にそわそわしている。それがどうも気になった。

 何がというわけではないが、クレイはいつもと違う雰囲気を感じ取っていた。


「なぁんか気になるんだよねぇ」

「何よ。リュシアン達のこと?」

「そう。何か隠してるような、そんな気がしないかい?」

「あら。おもしろそう」


 フィーナの目がうっとりと細められる。悪巧みを考える顔だった。

 それを横目に、サーガが投げやりな言葉を吐く。


「友人を疑って何がおもしれえんだ。性格悪ぅ」

「うるさいわね。じゃあ兄さんはいいの? その友人が隠し事をしてても」

「誰にだって知られたくねえことのひとつや二つ、あるもんだろ」

「兄さんにはないけどね」

「うっせえ」


 こと妹に関しては全て暴露されているサーガは、憎々しげな視線を送るに留まった。


「なんにしろ、俺は関わんねえからな。やりたきゃ勝手にやれ。友を探るなんざごめんだ」


 そう言うと、彼は着替えもせずに布団に潜り込む。一分と経たずに本格的ないびきが聞こえてきた。気持ち良さそうに眠る兄を呆れ顔で見つめ、フィーナはため息をこぼす。


「我が兄ながら、本当に情けないわ。頭のつくりが幼稚すぎるのよねぇ」

「それがサーガのいいところでもあるさ」


 くすくす笑うクレイに、彼女は妖艶な眼差しを向けた。


「私はやるわよ。こんな楽しそうなこと、見逃せないもの」


 クレイの両肩に手を乗せて、にやりと歪んだ笑みを浮かべる。


「何を隠してるのか分かったら、今後の弱みとして握れるわね」


 上目遣いに意味深な眼差しを向けられ、クレイは嬉しそうに微笑んだ。


「君もつくづく(したた)かな女性だね」


 フィーナは、彼の耳元でささやいた。

「女は男が思っているより強いものよ」

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