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ROSA  作者: 藤 子
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赤い天使2

「ポール! もっと急いでちょうだい!」


 草原を走るように、豊かな木々が生い茂る森を巨大な蛇が疾走する。

 ミシェルの異変を感じてから、ずっと胸騒ぎが治まらなかった。不安は募る一方で、フィーナはしきりにポールを急かした。


「そっちじゃないわ! もっと北よ!」


 刻々と弱まっていくミシェルの気配を辿り、顔を歪めて声を張り上げる。


「大丈夫。ミシェルはそう簡単には死なねえさ」


 力強い口調で言い聞かせ、肩を抱き寄せてくれた兄の手をぎゅっと握り締めた。


「……当然よ。死なせないわ。死なせてたまるもんですか!」


 ミシェルの代わりなんてどこにもいないのだ。何が起きたか知らないが、自分のいない場所でこんなにも早く死ぬなんて、受け入れられるはずがなかった。




 ◇◇◇




 「アドリアン」


 リビングに戻ると、アドリアンはクレアおばさんに呼び止められた。


「ティティーヌはどうなんだい?」

「……妖魔を擁護するようなことを言ってる。やっぱり洗脳されてるみたいだ。それ以外は姉さんのままだから、話はできると思うよ。とりあえず今見た感じだと、あの蛇が姉さんを殺す危険はなさそうだから、俺は少し出てくる。悪いけど、しばらく姉のことを頼めるかな」

「そうかい……。可哀相にねぇ…。分かったよ。ここのことは任せてちょうだい」


 親身になって一つ返事で引き受けてくれたおばさんに感謝した。


「よろしく頼みます」


 深々と頭を下げると、後は任せて家を出る。


「アドリアン!」


 とたんに声をかけられた。親しいハンター仲間だ。


「待たせて悪かったな」

「大丈夫なのか?」

「あの蛇はもう虫の息だ。毒もないし、手当てをしようとする姉を襲うことはないだろう」

「手当てって、それじゃあやっぱり……」


 察した彼に、肯いた。


「妖魔を庇ってる。正気に戻るには時間がかかりそうだな」

「そうか……」

「ところで状況はどうなった?」


 気持ちを切り替えて尋ねると、友人も表情を引き締めて詳しく話してくれた。


「ニール地方は制圧した。ウダルスクは黒い人狼に手こずってる。標的のヴァンパイアを仕留めるのはもう無理だろうな。人狼との戦いで犠牲が出てる」

「犠牲者の数は?」

「今のところ分かってるのは五人だ。ユラとグレゴリーは即死だ。ジョルジュも結局死んだらしい。ヒューイさんとモーリスは重傷で戦闘不能だ」


 先日ウダルスクに向かったグループは、標的のヴァンパイアを仕留め損ねた。あのグループには、何人か腕の立つ者もいたのだが、あと一歩というところで逃げられてしまったらしい。あきらめきれずに後を追ったものの、途中で好戦的な人狼族と出くわして被害が出ている。逃げたヴァンパイアのとどめを刺すのはもう無理だろう。


「……そうか」


 できれば援護に行ってやりたいところだが。今は無理だ。姉のティティーヌは洗脳されていて、何をするか分からない。洗脳したヴァンパイアも、そのうちここに現れるだろう。今この町を離れることはできなかった。


「……いっそのこと、全部ここにおびき寄せるか」


 姉を洗脳したヴァンパイア、地方で暴れている人狼族、姉をさらおうとしていたメデューサ。全部まとめてこの地で駆除する。一度にそれだけの妖魔が消えれば、さすがに奴らも牽制するだろう。今までのように、迂闊にこの町をうろつくことはできなくなるはずだ。


「本気か?」


 友は驚き、正気を疑っているようだった。


「町が消えるぜ?」


 戸惑う彼に、アドリアンは不敵な笑みを浮かべてみせる。


「そうはさせないさ。俺に考えがある。ニックとアドルフを呼んでくれ。話をしよう」


 自分たちのことを無敵だと思い込み、長年に渡って人間の生活を脅かし続けた妖魔。今こそ、奴らに制裁を与える時だ。


「夜でも歩ける町を手に入れるぞ」


 自分たちの手で、人間の平穏を掴み取るのだ。




 ◇◇◇




 いつの間にか、うとうとと眠ってしまっていたらしい。ミシェルが入った木箱のそばで、ベッドにもたれていたティティーヌは目覚めた直後、部屋の時計を見て驚いた。長時間眠った感覚はなく、ぜんまいが狂っているのかと思ったが、窓から外を見ると、すでに日が傾いていた。どうやら時計の故障ではないらしい。夜型の生活に慣れているせいか、すっかり寝入ってしまったようだった。


 ティティーヌはため息をこぼし、乱れかかった髪を手櫛でまとめる。窓から離れ、再びベッドに歩み寄って傍らに置かれた木箱の布をそっとめくった。ミシェルの様子はどうだろうか。怪我がひどくとも、せめて意識が戻ってくれているといいのだが。きっとここに運ばれてから何も食べていないはず。そろそろ起こして、食事を摂らせた方がいいかもしれない。そう思ったのだが、


「……ミシェル?」


 木箱の中に、ミシェルの姿はなかった。一瞬頭が真っ白になって、直後嫌な予感がティティーヌを襲う。あんなにもぐったりして、意識すらなかったのだ。彼女が自ら出て行ったとは考えにくい。それにかぶせられた布に乱れはなかった。ということはつまり、誰かがミシェルを取り出し、布を元通りに直していったということだ。


 一体誰が。


 答えはすぐに浮かんだ。ティティーヌは部屋を飛び出し、リビングに駆け込む。


「アドリアン!」


 だが、そこに弟はいなかった。


「ティティーヌ? 起きたのかい?」


 気づいたクレアおばさんに迷わず詰め寄る。


「アドリアンはどこ?」

「あの子なら、さっき蛇を持って外に……って、ティティーヌ! どこ行くんだい!?」


 おばさんの言葉を最後まで聞かずに、ティティーヌは玄関に向かった。妖魔対策として厳重に戸締りされた木戸の押さえをはずし、家を出た。日暮れが近いせいか、もう外に人の姿はなかった。ティティーヌはぐるりと辺りを見回し、耳を澄ました。何でもいいから、ミシェルとアドリアンの手がかりを掴もうとして。


 手がかりは、すぐに見つかった。


 かすかに、人々の叫び声が聞こえてくる。メリメリという裂ける音の後、大きな木々が倒される音がした。足の裏から地響きが伝わる。ティティーヌは振り返り、目を凝らした。人間の町と妖魔の町とを隔てている豊かな森から、砂煙が上がっていた。その煙の中で、巨大な影が動いている。何かに引っかかり、のた打ち回っていた。漁師に釣り上げられた魚のようにもがき、暴れているそれは―――


「……ポール」


 胸が締めつけられ、息ができなかった。静まり返ったひと気のない町を、ティティーヌは走った。いつもならそろそろ現れるはずのミックスすらいない。おそらく優等種族であるメデューサが来ているからだろう。力のある妖魔が暴れていることで、ミックスは迂闊に近寄れないのだ。


 靄がかった煙の中で、ポールは必死に巨体をくねらせている。黒と黄色の鮮やかなうろこは、所々赤く染まっていた。


「やめて……」


 走りながら、無意識に言葉がこぼれる。近づくにつれて、地響きは大きくなっていった。息を切らし、もつれそうになる足を急かす。町を出ると迷わず森に入った。脇目も触れず、ポールを目指して走り続ける。男達の、ハンター達の叫び声が言葉として聞こえてきた。


「目玉を狙え!」

「近づきすぎるな!」


 そして辿り着いたティティーヌが見たものは―――


「……なんで?」


 涙がこみ上げて、視界が歪む。木々が薙ぎ倒され、開けたそこで大きな網に捕らわれていた。ポールと、フィーナを庇うようにして抱きしめているサーガが。


 血を流す彼らを、多くのハンターが囲んでいる。すでに石化された人も多く見られた。その中に、弟の姿を見つけた。アドリアンは右手に一本の棒を持っていた。彼の身長の倍はある長い棒の先には、何やら紐がぶら下がっている。さっ……と、全身から血の気が引いた。目に入ったそれを素直には認められず、更に目を凝らして見つめる。アドリアンが掲げているその紐は、赤と黒のまだら模様だった。


 ミシェルだ。


 銃弾が貫通した穴に針金を通され、だらりと力なく垂れている。


「奴らの目を見るな! 蛇よりも飼い主の男を優先しろ!」


 指示を飛ばす誰かの声が、鋭く耳を突き抜ける。唇が震え、顔が歪んだ。ティティーヌはふたたび走った。ポールを囲む男たちの外側を回り込み、ひたすらに弟を目指した。途中で気づいた男たちは、場違いなティティーヌに驚いて反応が遅れた。


「姉さん!?」


 彼らと同様に、気づいたアドリアンも驚いて目を瞠る。持っていた棒を地面に突き刺すと、飛び込んでくる姉を慌てて両手で受け止めた。その手を振り払い、ミシェルを助けようと手を伸ばすティティーヌを力づくで引き止める。


「放して!」

「ここは危険だ! 早く家に帰るんだ!」

「嫌よ! ミシェルを返して!」

「っカイル! あとを頼む!」


 その場を仲間に託すと、アドリアンは暴れる姉を抱きかかえ、強引に引きずってその場を離れた。弟の腕の中でもがきながら、ティティーヌは叫んだ。


「フィーナ! ごめんなさい! サーガ! ポール! ごめんなさい!」


 この声が、彼らに届いたかどうかは分からない。ほかにも、多くのハンターが彼らを始末するべく叫んでいたから。それでもティティーヌは、声を張り上げて叫び続けた。


「ごめんなさい!!」


 ミシェルを始め、彼らを命の危険に晒した元凶はティティーヌ自身だ。ティティーヌに関わったせいで、彼らは今血を流している。


(私のせいで)

 殺されようとしているのに、止めることも救うこともできないなんて。


「なんでこんなことするの!?」


 森から出たところで、弟に詰め寄った。


「彼らは敵じゃない! 私の大事な友人なのよ⁉」


 涙目で泣き叫ぶティティーヌを、アドリアンが声を張って言い伏せる。


「奴らは妖魔だからだ!」


 姉の両肩を力強く掴み、揺さぶって彼は言った。


「目を覚ませ姉さん! あの化け物たちのせいで、俺たちが今までどれほど不自由な生活を強いられてきたのか。父さんと母さんが死んだのは誰のせいなのか。その首に残る傷ができたのは誰のせいだ? 全ての原因はあの悪魔たちなんだ!」


 迷いのない、真っ直ぐな眼差し。自分の行いが正しいのだと、信じて決して疑わない。その目に、ティティーヌは恐怖を覚えた。


「違うのよアドリアン……。妖魔は、悪魔なんかじゃない……」


 どうしたら分かってくれるんだろう。それとも自分では気づいていないだけで、実は洗脳されていたんだろうか。あの優しいリュシアンに?


 違う。絶対に違う。


 リュシアンもヴィドックも、ティティーヌのことを心から大事にしてくれた。フランクやキティは、いつだってティティーヌの気持ちを察して尽くしてくれていた。フィーナやサーガも、人間という種族を重んじて対等に接してくれた。彼らは決して人間を蔑視なんかしていない。


「もう夜になる。これ以上は本当に危険だ。早く家に」

「嫌よ。あの人たちを止めて。メデューサを開放して」

「姉さん……」

「言ったでしょう? 彼らは私の友人なの。今まで何度も助けられ……」


 必死の訴えは、弟の耳に届かなかった。

 途中で途切れた言葉と共に、ティティーヌの意識もそこで途切れる。


「ごめん。姉さん……」


 姉の腹に拳を沈め、アドリアンはつぶやいた。気絶したティティーヌを重い荷物のように肩に担ぎ、家へと戻る。


「アドリアン!」


 真っ青な顔をしたクレアおばさんに迎えられた。自室のベッドに下ろされたティティーヌを見て、彼女は心配そうにのぞき込む。


「ティティーヌは大丈夫なのかい?」

「ああ。気を失ってるだけだよ」


 ベッド脇に座ると、アドリアンは小さく息をついた。姉の顔にかかった髪を、そっと指先で払いのける。


「早く元に戻って。姉さん……」


 寂しそうにつぶやいたアドリアンに、クレアおばさんはかける言葉が見つからなかった。


「もう姉がひとりで出ないように、あとで俺の仲間を来させるから。それまで頼むよ」

「暴れたりしたらどうするんだい?」

「すぐに来させるから大丈夫だと思うけど、もしその前に意識が戻って暴れたら、力づくで押さえていいから」


 やせ細った今の姉なら、クレアおばさんでも容易に押さえ込めるだろう。

 この際、多少手荒なことをしてもしょうがない。今の姉は正気じゃないのだ。あんなにも剥きになって妖魔を助けようとする姉には、言葉での説得は無駄に思えた。


(許さない)


 家を出て、アドリアンはふたたび森に向かう。泣き叫ぶ姉を思い出し、歯を強く噛み締めた。

 幼い頃から、自慢の姉だった。忙しい両親の代わりに家事をこなし、アドリアンの面倒もいつも姉が看てくれた。怒られたことも度々あったが、昔を思い出そうとすると笑顔の姉ばかり浮かんでくる。優しくて、女性らしくて、勤勉で、そして強い人だった。今ではたったひとりの家族となった大事な姉だ。


 なのに彼女は、狂ったように泣き叫んで弟の胸を叩いた。青白い顔をして、今にも折れそうな細い腕で。首元に自分と同じ大きな傷痕をつけながらも、それでも姉は妖魔を庇った。あんな姿に変えてしまった奴らが憎い。両親の命を奪い、一家を引き裂いただけでは飽き足らず、姉の心まで操ろうとする悪魔達。


(絶対に許さない)


 歩きながら、無意識に拳を握り締めた。怒りに支配され、どうにかなってしまいそうだった。森に入ると、石像が増えている状況に舌打ちする。


「あまり調子に乗るなよ、悪魔が」


 腰元から銃を引き抜き、アドリアンは銃口を向けた。大きな網の中で、未だもがき続ける蛇の頭に照準を合わせる。


 いつの間にか、空は夕焼けから星空に変わっていた。濃紺の夜空を、灰色の雲が風に吹かれて流れていく。遥か上空で、大きな月が森を照らしていた。血に汚れた蛇の巨体も、蛇に隠れるメデューサの二人も、彼らを取り囲む多くのハンターたちも。柔らかな月明かりに照らされている。いつも聞こえるはずの梟の声は聞こえなかった。代わりに、一定の距離を置いて森の奥からミックスたちが様子を窺っている。言葉の通じない化け物の中に、もっと上級の妖魔も混じっているかもと思うと、体に力が入った。ここで舐められるわけにはいかない。


 未来は、自分の手で切り開くのだ。これからは姉と二人、穏やかな日々を送るために。

 アドリアンは引き金を引いた。

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