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ROSA  作者: 藤 子
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崩 壊9

 新しく咲いた真っ白な薔薇が、鏡台に飾られた。

 八重咲きの大輪は、花瓶からこぼれんばかりに満開だった。近くの鏡に映って、二倍に見える。その白い薔薇の向こうでは、ティティーヌがリュシアンから熱い口づけを受けていた。しっかりと抱き寄せられ、舌を絡めとられて自分の意識まで奪われていく。ぼんやりとしながら与えられる刺激だけを感じ、ティティーヌは素直にリュシアンを受け入れていた。次第に彼の興奮が高まって、口づけにも熱がこもってくる。息が荒くなり、抱きしめる彼の腕に力がこもった。


「んぅ……」


 ティティーヌが身じろぎすると、気づいたリュシアンが口づけを止める。


「そんなにきつく抱きしめたら、苦しいわ……」


 頬を染めながらも、苦笑して告げると彼もつられるようにして苦笑した。


「すまない。つい……」


 夢中になるあまり、力の加減を忘れかけた。


「もう一度」


 腕の力を抜いて、再びティティーヌに口づける。抵抗はされなかった。彼女の腕も、リュシアンの背中に回されている。時折もれる甘い声に、男としての欲望が募った。リュシアンは口づけを続けながらティティーヌをベッドに運び、そっと押し倒す。何度も角度を変えて味わいながら、胸元の紐をほどいて服を脱がせていった。下着も一緒にずり下ろすと、露になった胸を優しく揉みしだく。


――ヴィドックに二度も愛のない結婚をさせる気か……


 サーガの言葉が頭をよぎる。

 仕方のないことだ。こればかりはどうしようもない。リュシアンはティティーヌを手放せないし、ティティーヌだってリュシアンを選んだのだから。ヴィドックには悪いが、耐えてもらうしかないだろう。それに、あいつは強い心根の持ち主だ。これしきのことで駄目になることはない。一度目の結婚のように、奴ならうまくやり過ごすだろう。

 だが、リュシアンには耐えられない。


(俺にはティティーヌが必要なんだ)


 彼女がいてくれないと、自分はこの先 生きていけない。だから仕方がないのだ。


――奴が今までどんなに苦労してきたか、お前だって分かってるはずだろ?


 それとこれとは話が別だ。同情はしても、彼女を譲る気はない。

 丈の長いスカートをまくり上げ、太腿に手を添える。柔らかい肌の感触を感じながら何度か撫で回し、その手を奥へ忍ばせていった。

 ティティーヌの喘ぎ声が上がる。切なそうに眉を顰め、潤んだ眼差しを向けられて体が疼いた。


「愛してるよ。ティティーヌ……」


 彼女をもっと感じたい。彼女とひとつに溶け合いたい。

 リュシアンはシャツを脱ぎ捨て、彼女とひとつになろうとした。


「ま、待って……」


 ティティーヌの顔にさっと動揺が走る。


「……嫌かい?」


 リュシアンの顔も強張った。それを見て、我に返ったティティーヌがすぐに微笑む。


「何でもないの。嫌じゃないわ」


 取り繕った笑みを浮かべて抱き寄せられ、リュシアンの心が萎えた。


「……今日はやめよう」

「リュシアン……、私なら大丈夫よ」

「いや。無理しなくていい……」


 弱々しく微笑み、彼女の髪を優しく撫でると、リュシアンは服を拾って部屋を出た。


(何が……大丈夫だと言うんだ)


 あんな寂しそうに微笑んで。

 廊下を歩く足取りが荒くなる。

 ティティーヌはまだ吹っ切れていない。彼女の心には、今もヴィドックが根を張って居座っているのだ。


(俺の方がそばにいるのに)


 こんなにも尽くして、愛しているのに。ヴィドックは最初に少しいただけじゃないか。なのになんでそんなにあいつがいいのか。

 自室に入るなり、リュシアンは戸棚に直行した。ガラス戸を開けると、酒を取り出して瓶のまま口をつける。一気に喉に流し込み、乱暴に口を拭った。

 大きく息をつくと、肩を落としてうなだれる。


(駄目だ……)


 こんなことではいけない。ティティーヌは自らリュシアンを選んだのだ。ヴィドックへの気持ちも、いつかは忘れられるだろうと言い聞かせて。リュシアンは彼女のその思いを信じてやらなければいけない。今は無理でも、彼女は彼女なりに俺を見てくれているのだから。今を乗り越えれば、きっと穏やかな未来が待っている。二人の幸せのためにも、今は我慢の時なのだ。


「もう少しの辛抱だ……」


 ソファーにもたれ、乱れた髪をかき上げた。




 ◇◇◇




 新年会の時より多い人出だった。その時は来なかった人狼の関係者たちも数多く出席し、継承式は粛々と行われた。挙式も滞りなく進められると、午後には懇談会に移り、張り詰めていた空気は和やかなものに変わった。新郎新婦は壇上から下り、出席者たちに挨拶をして回る。何度となく酒を酌み交わし、祝いの言葉を述べられた。似合いの夫婦だとおだてられ、ヴィドックの心は冷めていく。一度目も同じ台詞を言われたことを思い出すと、笑みすら浮かんだ。ちらりと、離れた場所で同じように挨拶をして回っている新婦を見やる。長身でスタイルが良く、少し冷たい感じのする美人だった。長い銀髪は、ニーナよりも薄くて透明感がある。周囲の話ではこの結婚を受け入れていると聞くが、本当のところ彼女が何を考えているのか、ヴィドックには分からなかった。


 愛のない結婚をして、幸せになれるとは思えないが。


 それとも女社会の頂点に立つという野心でもあるのだろうか。頭首の妻に選ばれるほどだ。元々統率力もあり、人を束ねる存在にはなっていただろう。そこから更に上を目指したとしても、おかしくはない。


 考えていると、不意に目が合った。彼女は小さく微笑んだ。が、口元は緩んでも柔らかい印象は感じられない。人から声をかけられると、すぐに目を逸らして対応した。

 密かに、ヴィドックはため息をついた。あの女と、これからひと月もの間肌を重ねるのだと思うと、気が重かった。少なくとも、一緒にいて安らげるタイプではない。元々愛はないし、これから愛そうという気も持ってはいないが、それでも夫婦になる以上、他人ではなくなるのだ。手を取り合ってやっていかなければならない。しかし自信はなかった。


 どうせ妻にするなら、温かみのある女性がいい。思いやりがあって、無邪気で、この心を癒してくれるような――――。脳裏に、ティティーヌが浮かんだ。


(浅慮だな)


 声もなく苦笑する。だがその笑みも、すぐに消えた。視界に、フィーナの姿が入って。


「おめでとうと、言うべきかしら?」


 にっこりと微笑んで聞かれ、ヴィドックは真顔で口を開く。


「ありがとうと、答えるべきか?」


 皮肉を返すと、彼女の影からサーガが難しそうな表情で顔を出した。


「ヴィドック……」


 当人よりも辛そうな様子に、ヴィドックは笑った。


「なんでお前がそんな顔をしてるんだ」

「だってお前……」


 じれったそうに言葉を詰まらせる彼に、凍った心が溶けていく。


「これは元々決まってたことだ。気にするな」


 ティティーヌとうまくいったとしても、避けられないことだった。

 軽く肩を叩いて慰めると、サーガがたまらず抱きついてくる。これではどっちが当人か分からない。おかしくなって笑っていると、フィーナが冷めた声で言った。


「リュシアンは来てないのね」


 辺りを見渡して言い捨てた彼女に、ヴィドックは真顔に戻る。

 離れたサーガが、真剣な面持ちで言った。


「これからどうする気なんだ?」


 ヴィドックはそっけなく答える。


「さぁな」


 こうして婚儀を行った以上、これからの一ヶ月は子作りに専念しなければならない。その間は、部屋から出ることすら禁じられる。


「頭首の義務は果たさなきゃならん。それが落ち着くまでは、どうにもできんな」

「マークを使ったらどう?」


 彼なら身軽だ。声をかければ。喜んで連絡係を引き受けてくれるだろう。それにリュシアンだって、子どもの彼まで追い返しはしないだろうし、ちょうどいいと思ったが。


「あいつをだしに使う気はない」


 あっさり却下され、フィーナは呆れてため息をこぼした。


「まったく、本当に頭が固いんだから」


 きっとマークだって、ティティーヌを手に入れたいと思っているだろうに。


「一番可哀相なのはあの子ね」


 跡継ぎとして望まれて生まれたはずなのに、母親からは疎まれ、新しい母親から生まれる兄弟には、地位を脅かされることになる。愛を知らずに育った彼は、手に入れかけた愛さえ失い、これから更に荒むことだろう。

 ヴィドックは冷静に言った。


「こればっかりはあいつが自分の力で乗り越えるしかない」


 今後のことはともかく、今の時点でマークはれっきとした跡継ぎだ。いずれはヴィドックを倒して頭首になるため、親子間の馴れ合いは避けられている。ヴィドックと父親がそうだったように、彼とマークの関係も冷めていた。普通の親子のように、手を差し伸べることはできない。


「それはあいつも分かってるはずだ」


 頭首として育てられた彼なら。父を頼れないことくらい分かっているはず。どうにかしてやりたいと思っても、ヴィドックにはしてやれることがなかった。


「父さんだけじゃない。頼れる人は誰もいない」


 会場の外で、ちびちびと酒を飲みながらマークはつぶやいた。


「こんな茶番、付き合ってられるか」


 一人空を見上げ、歯を噛み締める。彼は彼なりに、これからどうするかを考えていた。


「ティティーヌに会いたいな……」


 優しく包み込み、心から大好きだと言ってくれたティティーヌ。

 彼女に会いたい。

 きっとティティーヌだって、父さんや俺に会いたいはずだ。だけどリュシアンが怖いから、彼女はこっちに来られないのだ。おまけに父さんは他の女と結婚したから、よけいに来づらくなってるかもしれない。結婚相手のことなんて、父さんは愛していないのに。


 マークは、生まれた時からずっとヴィドックを見てきた。父親として尊敬し、信頼し、慕ってもいた。ヴィドックだけが唯一自分のことを理解してくれる人だったから。冷たくあしらわれても、馴れ合いはなくても、大事に思ってくれているのは分かっていた。そんな父に憧れ、認められたくていつも父を見てきたのだ。彼が本当に想っているのが誰かくらい分かる。ティティーヌと一緒にいる時の父は、いつになく穏やかな顔をしていた。


 俺と父さんとティティーヌの三人だけで暮らせたらいいのに。


 種族のしがらみなんか捨てて。ヴァンパイアを排除して。邪魔者のいない場所で静かに過ごせたらどんなにいいだろう。ティティーヌこそが父さんの妻になり、マークの母親になるのだ。想像しただけで幸せな気分になれる。実現できれば、もっと幸せになれるに違いない。だがそのためには、ティティーヌとヴィドックのしがらみを消さなければならない。

 中庭で一人、マークは考えた。会場からは、相変わらず華やかな音楽や笑い声が聞こえてくる。月が傾いても、人の数は減らなかった。この様子だと、日が昇ってもパーティーは続きそうだ。めでたいことなど、何もないのに。

 耳障りな喧騒に眉をひそめ、マークはその場を離れた。こんなうるさい場所では、考え事もまともにできない。もっと静かな場所に行こうと足を進めていくうちに、視界にひとつの塔が入って立ち止まった。

 小さな林の中にひっそりと佇んでいる塔。そこからは今、人の話し声どころか物音も聞こえてこない。明かりは灯されておらず、月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がっている様子は、どことなく気味が悪かった。その最上階には、マークの母親が幽閉されている。


「母さん……」


 林の外から塔を見つめ、マークはつぶやく。

 幼い頃、自分を食い殺そうとした母親は、ヴィドックではなくアイザックを愛していた。彼のことはマークもよく知っている。一族の中でも特に無口で、人を寄せつけない雰囲気の男だった。ヴィドックが結婚する前は、快活で人気者だったらしいが、当時のことはマークには分からない。母親のニナリアも、その頃は朗らかで周囲から慕われていたと聞くが。

 恋人との仲を引き裂かれ、二人は壊れてしまったのだ。


「やっぱり、愛し合う者同士が一緒になるべきだよな」


 それでマークが生まれなくなったとしても、やはり母親はアイザックと結ばれるべきだったと思う。強制的にくっついて子どもができたところで、幸せになれる者はいないから。父も母も子も、誰も幸せになんてなれないから。


 このままだと、ティティーヌも母さんのようになってしまうかもしれない。


 それだけは避けたかった。

 考えていると、風に乗ってある匂いが流れてきた。マークはその匂いを辿って林の中に入っていく。塔の真下まで来ると、一人の男が立っていた。アイザックだ。その場に立ち尽くし、無言で塔を見上げている。今でも、彼は母さんを愛しているのだ。


「……ねえ、ザック」


 マークは近づき、声をかけた。


「母さんに会いたい?」




 ◇◇◇




 いつもと同じように日が昇り、そして沈んだ。

 新しい夜がやってくる。ベッドで体を起こしたティティーヌは、重いため息をついた。

 眠れなかった。人狼の頭首は、結婚をするとその日から一ヶ月寝所に籠る。今夜からヴィドックが毎日ほかの女を抱くのだと思うと、胸が苦しくてとても眠れる気分じゃなかった。

 今頃、妻となった女性と抱き合って眠っているんだろうか。

 互いに微笑み合い、甘い初夜を過ごしたんだろうか。


(駄目ね……)


 ティティーヌは再びため息をこぼした。こんな調子では、彼を吹っ切るなんてできそうにない。厚手のガウンを羽織り、ティティーヌは温室に向かった。空はかすかに夕焼けが残っている。冷たいガーデンチェアに腰を下ろすと、ぼんやり辺りを見回した。春になり、温室の外も中も新しい花々が増えてきている。普通なら美しい景色に癒されるところだが、今は虚しかった。誰でもいいから人の姿が見えないかと思ったが、時間が早いため、自分以外には誰もいない。屋敷の住人たちはみんなまだ寝ているようだ。


 ティティーヌは持ち出した本を開いた。余計なことを考えないよう、読書に集中する。何度も脳裏をヴィドックがよぎったが、強引に先を進めた。ヴァンパイアの世界に伝わる家族愛の物語だ。気が滅入りそうな恋愛ものは極力避けた。梟のさえずりを聞きながら、紙面に目を走らせる。


「早起きだね」


 ふとリュシアンの声がして、顔を上げた。


「おはよう。あなたも早いわね」


 ティーセットを片手にやってきた彼に、微笑みかける。


「眠れないのかい?」


 聞きながらテーブルにトレイを置くと、彼は挨拶代わりに軽く口づけて隣に座る。


「目が冴えてしまって」


 ティティーヌが照れ臭そうに答えると、彼は微笑んでティーカップを差し出した。


「ショコラを作ってきた。飲むと気持ちも落ち着くよ」

「ありがとう」


 フィーナからの手紙では、昨日がヴィドックの式だったはずだが、どうやらリュシアンは行かなかったらしい。彼らは親友だったのに、今の状況を考えると仕方がないと思いつつ、密かに罪悪感を感じてしまった。


「おいしいわね」


 作りたてのショコラを口に含むと、冷たい体が温まる。心なしか、気持ちも温まったような気がして救われた。


「リュシアン」

「ん?」

「大好きよ」


 心から告げると、リュシアンが小さく微笑む。なぜか、寂しそうな笑みだった。


「俺もだよ」


 顔が近づいてきて、ティティーヌは自然と目を閉じる。そっと唇が触れた。軽く水音を立てて離れると、間近で見つめ合う。


「君の部屋に行かないか?」


 誘われて、ティティーヌはうなずいた。

 このまま抱かれてしまえば、気持ちも吹っ切れる。リュシアンとの関係も、もっと深くなれるだろう。

 軽々と抱き上げられ、ティティーヌは彼の胸に頬を寄せた。部屋に戻り、ベッドに下ろされるとすぐに口づけが再開される。今度こそ、彼を受け入れるつもりだった。

 互いの唾液が混ざり合い、唇の隙間から溢れて伝う。絡み合う舌の感触に陶然とした。長い口づけを交わすと、リュシアンの唇が首筋を伝って下りていく。舌の先がなぞるように肌を舐め、ティティーヌは甘い吐息を漏らした。弱い部分を執拗に攻め立てられて、体の力が抜けていく。与えられる快感に翻弄され、次第に呼吸は乱れていった。リュシアンの冷たい手が触れる度に肌にはぞくりと震えが走り、体が疼く。


「リュシアン……」


 息を乱しながら、彼にしがみついた。切なくて、苦しかった。


「ティティーヌ……。いいの?」


 甘い声で聞いてくる彼に、涙目でうなずく。リュシアンは小さく笑みをこぼした。


「可愛いね、君は」


 そして彼が自分の服に手をかける。気づいたティティーヌは、思わずびくりと肩を弾ませた。その反応に、ふたたびリュシアンの顔が強張る。


「ち、違うの……」


 ティティーヌは頭を振った。


「何でもないのよ。気にしないで」


 火照った体から一気に熱が冷めていく。焦りよりも強く、恐怖を感じた。

 リュシアンの顔に、落胆が浮かぶ。


「もういい……」


 彼は小声で低くつぶやいた。

 ティティーヌの優しい性格が、今は心底恨めしく思う。


「こうして尽くしていれば、いつかは俺を見てくれると思っていた……。今は無理でも、いつかはって……、ずっとそう思っていた」


 ティティーヌ自身も、俺を見ようとしてくれているのが分かったから。

 だからこうして二人で過ごしていれば、きっといつかは本物の恋人になれるだろうと。


「だがもう限界だ……」


 ティティーヌの心から、ヴィドックが消えることはない。

 彼女と過ごせば過ごすほど、それを痛感してしまうから。


「これ以上こんなことを続けるくらいなら、いっそ死んだ方が気が楽だ……」


 思い詰めた目で見つめられ、ティティーヌは恐怖に戦いた。しかし、


「……ミシェル。いるんだろう?」


 つぶやいて、リュシアンは固く目を瞑る。


「出て来い。別に取って食いはしない」


 するとベッドの下から、するすると一匹の蛇が顔を出した。赤と黒のまだら模様だ。


「……ミシェル?」


 ティティーヌの呼びかけに、蛇はちろりと舌を出した。

 リュシアンは顔を歪めて言葉を絞り出す。


「ティティーヌをヴィドックのところに連れていけ」


 思わず、耳を疑った。


「……リュシアン? 何を言ってるの?」


 動揺して問いかけるティティーヌにかまわず、リュシアンは言葉を続ける。


「今なら、まだフィーナもあいつのところにいるだろう。彼女ならきっと何とかしてくれる。ヴィドックも、たとえ義務の最中だとしても、やってきた君を無碍に扱うことはないはずだ。むしろ喜んで迎えてくれるだろう」

「リュシアン……、私はあなたと――」

「俺とは無理だ」


 ティティーヌの言葉を遮り、リュシアンは寂しそうに笑った。


「これ以上……、惨めな思いをするのはたくさんだ。君のことは忘れる。もう二度と会うことはないだろう。さっさと荷造りして、ここから出て行ってくれ」

「リュシアーー」

「出て行けと言ってるんだ!」


 顔を逸らし、叫んだ彼に言葉が詰まる。


「ミシェル。後は頼んだぞ」


 そのまま出て行こうとしたリュシアンに、ティティーヌはたまらず抱きついた。


「……君は残酷だな」

「ごめんなさい……」

「俺の気が変わらないうちに、早く着替えろ」


 体を震わせ、必死に耐えている彼にうなずいた。

 手を伸ばして服を手繰り寄せ、急いで袖を通す。

 リュシアンはもう振り向かなかった。


「ティティーヌ。どうかあいつを……、ヴィドックを救ってやってくれ」


 そう言い残すと、彼は部屋から出て行った。

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