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ROSA  作者: 藤 子
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崩 壊3

 狼とは、雄雌のリーダー格を中心とした群れで動く。

 群れは兄弟や親族で形成されており、縄張りの外から来た他の狼は追い払われることが多い。縄張り意識が強く、同時に警戒心の強い動物だ。


 普段は人型の人狼も、狼の性質をしっかり備え持っていた。彼らは少ない群れで形成され、その多くが血縁関係者である。領内の住人は優等種族である人狼がほとんどだ。中には、ミックスや劣等種族を使用人として雇い、住まわせている人狼族もいる。が、多くの(しもべ)を持つヴァンパイアに比べると、住人の割合は真逆だった。ヴァンパイア対ミックス及び劣等種族の割合が二対八だとするなら、人狼対ミックス及び劣等種族は八対二だ。便利な(しもべ)でも、人狼は最低限しか持たなかった。


 ヴィドックの場合も同様で、彼の領地は大半が広大な森に覆われ、人が住む町は小さい。町並みは人間やヴァンパイアとは大きく異なり、独特の造りになっている。まるで巨大なコロシアムのようだった。森の中にぽつりと点在するそこは、ぐるりと大きな壁に囲まれている。血を飲んだヴァンパイアでさえも、飛び越えることは困難なほど高さがあった。筒状の壁には、いくつもの窓や扉がついている。壁自体がひとつの建物になっており、多くの人狼たちがこの中で暮らしていた。


 住居は、ヴィドックの本家が最も高い階を占め、真ん中の階層を分家たち、最下層を劣等種族が使っている。内側にはひとまわり小さい円を描いて市場が並び、更に中央には広場がある。広場の真ん中には、遠吠えをする狼の彫刻の噴水があり、市民たちの憩いの場になっていた。


 真っ赤なペチュニアの花が咲き乱れる窓辺で、フィーナはミシェルと一緒に広場を見下ろした。燦々と降り注ぐ朝日を浴びながら、優雅に朝食をとっていた。ウィケット邸に向かう際、兄と共に軽く睡眠をとっていたので頭はほどほどに冴えている。焼きたての温かいパンをちぎり、スープにたっぷり浸して食べる。魚介のだしが利いたスープは、深みがあって濃厚な味だった。そこに突然、ヴィドックが入ってくる。


「ノックくらいして下さらない?」


 フィーナは特に驚いた様子もなく、言いながら食事を続けた。


「何の真似だ」


 入るなり、仏頂面で責め立てるヴィドックに、フィーナはにっこりと笑った。


「私はあの子の望みを叶えてあげただけよ」

「リュシアンに黙ってか」

「言えば反対するに決まってたもの。そうでしょう?」


 同意を求められ、ヴィドックは鋭く睨む。


「こんなやり方はやめろ」


 厳しく非難する彼に、フィーナは目を丸くして言った。


「あなたがもたついてるから協力してあげたんじゃない。感謝されるならともかく、咎められる覚えはないわ」


 平然と反論する彼女に、ヴィドックは低い声で言い返した。


「調子に乗るな。前にも言ったはずだぞ」


 しかし、フィーナも負けじと言った。


「こうでもしなきゃ、あなたはティティーヌとの時間を作れなかったわ。そうでしょう? あなたたちには二人だけでゆっくり過ごす時間が必要なのよ。なのに当のティティーヌは変に肩肘張ってあなたを避けてるし、あなたはあなたでいつまで経っても生温い。これじゃあティティーヌを奪うことなんてできないわよ。せっかく新しい人間も手に入って、あの子の替え玉ができたっていうのに。何のために協力したのか分からないじゃない」


 これでティティーヌとヴィドックがくっつき、リュシアンはコレットとくっつく。そう思ったから新年会で協力したのに。


「お前の手を借りなくとも、俺は俺で動く」

「そう言いながら現状はどう? ちっとも変わってないようだけど」

「黙れ」

「それともリュシアンと仲違いするのが怖いの? あなたの気持ちはその程度?」

「黙れ」


 どすの利いた言葉と共に、獣の声が混じって響く。眼差しは怒りを含み、開いた口からは鋭い牙がのぞいていた。喉を低く鳴らして威嚇し、今にも牙を剥いて襲いかかりそうなヴィドックに、フィーナは冷静に告げた。


「あと三ヶ月なんでしょう?」


 怯えるどころか、真っ直ぐ彼を見つめて静かに言う。


「ティティーヌはまだ迷ってる。今を逃したらもう手に入らなくなるわよ」


 それがどういう意味なのか、説明しなくても分かるはず。

 フィーナの目は、暗にそう告げていた。

 ヴィドックは、小さく鼻を鳴らした。


「こういうやり方は好きじゃない。リュシアンには連絡する」

「あなたね……」


 呆れてこめかみを押さえるフィーナに、ヴィドックは言った。


「言われなくても分かってる。お前の手を借りずとも、俺は俺のやり方でやる。余計な気遣いは迷惑だ」




 ◇◇◇




「ティティーヌ! こっちこっち!」


 ぐいぐいと腕を引っ張られ、ティティーヌは走りながら苦笑した。


「マーク。もっとゆっくり案内して。目が回りそうよ」


 言いながらも、ティティーヌの目は輝いていた。久しぶりの外出で喜んでいたところに、人狼の町に行くという思いがけない事態まで舞い込んできたのだ。早く帰らなければという焦りを抱きつつも、初めて見る町はティティーヌをとても興奮させた。人狼は夜行性のため、残念ながら今はひと気が少なく市場の店は閉まっている。しかし建物や雰囲気から異国の匂いが感じられて、見て回るだけでも楽しかった。


「ここは普通の奴らは立ち入り禁止なんだ。ティティーヌは特別な」


 はしゃぎながら嬉しそうに話して、マークは建物の細い隙間に入っていく。大人が一人、やっと通れるくらいの狭い通路だ。ティティーヌは丈の長いワンピースドレスを壁にこすらせ、彼の後を歩いていく。足元は途中から階段になり、何度か折れ曲がって上へと上った。


「マーク、待って……。足がもつれそうだわ」


 ただでさえドレスで歩きづらいのに、こんなに歩いたのも久しぶりで、すぐに息が切れてきた。言葉も切れ切れで話しかけると、マークが振り向いて笑う。


「運動不足だぞ。ティティーヌ」


 眩い彼の笑顔に、ティティーヌもつられて笑った。


「本当ね……。こんなに体力が落ちてるとは思わなかったわ」


 すると、マークが手を差し伸べる。その小さな手をしっかり握ると、力強く引き上げられた。見かけより力がある彼を心強く思いつつ、ティティーヌは微笑んで残りの階段を上がる。急に強い風が全身に当たり、思わずよろめいた。


「わわ……!」


 落ちる。上ったばかりの階段に背中から落ちかけて、息を呑んだが体は逆に起こされる。


「ティティーヌは力がないだけじゃなくて、体も軽いんだな」


 子どもだと思っていた彼に助けられ、ばつが悪くて笑うしかなかった。


「それより見てよ、ここ。いい場所だろ?」


 俺のバルコニーなんだと言って、彼は両手を広げて見せた。先ほどいた市場の屋台が親指の爪くらい小さく見えた。広場もよく見渡せる。最上階で、見上げると青々とした空が視界いっぱいに飛び込んだ。少し強めの、清々しい風が吹き抜けていく。


「気持ちいいわね……」


 目を細めて微笑むティティーヌに、マークも満足そうに微笑んだ。


「こっちに来て!」


 言いながら走り出し、彼はバルコニーから部屋に入る。大きなガラスの引き戸を開けると、室内に入って振り向いた。


「ここが俺の部屋!」


 頭首の息子だからだろう、広くて立派な部屋だった。バルコニーの入り口から部屋の入り口までの距離を考えると、ティティーヌの実家が丸ごと入っても余りが出そうだ。床の広い範囲に敷かれた絨毯には、一面に複雑な模様の刺繍が施されていた。あちこちに転がっているクッションにも、同じように細かい刺繍が施されている。見たところ、ここではイスやソファーではなく、絨毯にそのまま座ってくつろぐスタイルらしい。夕食後に飲んでいただろう紅茶の茶器が乗せられたトレイも、床に置かれたままだった。脇にある低くて細長いチェストには、全体に蔦のような模様が彫られていて、彼のコレクションらしき動物の人形がいくつも並べられていた。兎やイタチなどの小動物から、馬や鹿などの大きな動物まで、種類は様々だ。まるで剥製にして縮めたかのように精巧な作りをしていた。その後ろの壁には、こちらも凝った刺繍の大きなタペストリーがかけられている。一見では、子供らしくないしつらえだが、高そうな翡翠の燭台には食べかけのパンが刺してあったり、素晴らしい風景の絵画には明らかに後から描き足されたユニコーンやペガサスがいたりと、あちこちにユーモアが溢れていた。


「素敵な部屋ね」


 マークの、やんちゃで男の子らしい性格が窺える。

 昔は弟もそうだったことを思い出した。小さい頃はいたずらばかりして、物を壊してはティティーヌに怒られていた。すると弟は、大抵泣きながら家を飛び出していく。そのくせ、大して時間が経たないうちに戻ってきて、土産に花やお菓子を出して機嫌取りをするのだ。もらったティティーヌが喜ぶと、弟はばつが悪そうに笑って謝る。


――お姉ちゃん、ごめんね?


 顔色を窺いながらそう言う彼に、ティティーヌは勝てたことがなかった。結局許してしまう自分を甘いと思いながらも、怒りが続かず笑ってしまう。


(アドリアン……)


 思わず悲観しかけたティティーヌの目に、マークの顔が飛び込んだ。


「どうかした?」


 間近でじっと見つめられ、反射的に体を反らした。


「何でもないわ。それよりも、この前はごめんね」


 話題を変えて、気持ちを誤魔化そうとした。マークは気づかず、素直に言葉の意味を考えて首を傾げた。


「この前って?」

「大切な話をしてくれてたでしょう? 最後まできちんと聞いてあげられなかったから」


 悪いことをしたと伝えると、彼は照れ臭そうにはにかんだ。


「気にしてくれてたんだ」


 足元に転がっていたクッションを拾い上げると、マークは両手で抱えてその場に座る。


「じゃあさ、俺が言ったことも考えてくれた?」


 おそらく、母親になってくれと言ったことだろう。

 察したティティーヌは、彼の隣に座って静かに言った。


「申し訳ないけど、マークのお願いには応えられないわ」


 彼の表情が一気に変わる。口を尖らせ、不服そうに愚痴をこぼした。


「ティティーヌは俺たちよりヴァンパイアの方がいいんだな」


 拗ねる彼に、眉尻を下げて苦笑した。


「そうじゃないわ。マークのことは大好きよ」

「父さんのことは?」


 無垢な瞳を真っ直ぐ向けられ、思わず言葉に詰まる。

 ひと呼吸置いてから、ティティーヌは穏やかに告げた。


「好きよ」


 言葉にしたとたん、胸が苦しくなる。

 ヴィドックが好きだ。出会った頃からずっと。だけど―――


「なら問題ないじゃん。リュシアンなんかやめてこっちに来てよ」


 ティティーヌは緩く頭を振った。


「ごめんね、マーク」


 どうしてこうなってしまったんだろう。最初から惹かれたのはヴィドックだったのに。リュシアンの気持ちを知った時、彼を受け入れるのではなくヴィドックに告白するべきだったのか。妖魔への恐怖があったとしても、ヴィドックの妻になれなくても、彼の一族に迷惑をかけるかも知れなくても。あきらめるのではなく、覚悟を決めて伝えるべきだったんだろうか。そうしたら今頃ティティーヌは、リュシアンをこんなに傷つけることもなくヴィドックと幸せになれていたんだろうか。

 今冷静に考えてみても、そうは思えなかった。


「好きならこっちに来るべきだろ。もしかしてリュシアンに脅されてるのか?」


 真剣な眼差しで見つめられ、そうじゃないんだと言おうとしたが、父親が入ってきた。


「マーク。いつまで起きてるんだ。もう寝ろ」

「でも――」

「聞こえなかったか?」


 威圧的な父の言葉に、マークは言い返せずに口を噤んだ。ティティーヌを振り返り、寂しそうな顔を見せた。


「もう帰るのか?」


 尋ねた彼に、ティティーヌより先にヴィドックが答えた。


「今日は泊まる。明日食事をとったら送っていく」


 沈みかけたマークの顔が、一転して輝きを取り戻した。逆に物言いたげな表情で見上げるティティーヌに、ヴィドックは言った。


「心配するな。リュシアンには連絡した」


 ヴァンパイアや人狼にとって、今は夜だ。そして妖魔の世界で生きているティティーヌにとっても夜。遅いから一泊していけと言われ、納得するしかなかった。


「来い。部屋を案内する」


 促す彼に、素直に従ってティティーヌは立ち上がった。


「それじゃあおやすみ、マーク」


 頬にキスを落として微笑むと、マークは赤い顔で目を逸らした。


「おやすみ……」


 照れ臭そうに言い、彼はベッドの方へ歩いていく。

 しかし、途中で振り返って声を張った。


「父さん!」


 部屋を出ようとしていたヴィドックに、彼は言った。


「ティティーヌ、父さんのことが好きだって」

「マーク!」


 慌てるティティーヌなどお構いなしに、マークは満面の笑みを見せる。


「俺のことは大好きだって」


 幼い息子に勝ち誇った笑顔を見せ付けられ、ヴィドックはちらりと視線を移した。その先で、ティティーヌは顔を真っ赤に染めて目を逸らす。


「そうか」


 一言つぶやいて、ヴィドックはティティーヌと共に部屋を出た。一定の間隔を開けて設けられている窓からは、朝日が白い光の筋となって長い通路を照らしている。途中で会った数人の人狼は、皆ヴィドックを見るなり脇によけて無言で頭を下げた。彼はそれを気に留めることなく、堂々と靴音を鳴らして歩いていく。後について歩いていたティティーヌは、無言で目を伏せた。今になって、立場の違いを見せ付けられた気がした。


「入れ」


 促されて入ったそこは、マークの部屋より更に広く、立派な部屋だった。年季の入った高そうな家具がいくつも並び、一面の壁を埋め尽くす大きな本棚には、難しそうな分厚い本がびっしりと詰まっている。部屋の中央には、マークの部屋と同じように大きな絨毯が敷かれ、クッションがいくつも転がっていた。入り口の近くには応接セットらしき藤のイスとテーブルが置かれているが、こちらはおまけのような感じで、普段使っているのは絨毯のスペースのようだった。奥のバルコニーに面した壁は全てガラス張りになっていて、外光がたっぷり差し込み目を細めてしまうほど明るい。その手前には大きなベッドがひとつ。ティティーヌがいる場所からは、藤のパーテーションが遮って全体が見えないが、大人が四、五人は寝られそうなサイズだった。リュシアンの屋敷も立派だが、ここも恐縮してしまうほど豪華で見事だ。ただの庶民として、古びた小さな家で過ごしてきたティティーヌには、まさに別世界だった。リュシアンの家で少しは免疫がついたと思ったのは、間違いだったらしい。見るもの全てが目新しく、圧倒されて言葉が出ない。


「お帰りなさいませ」


 何の気配もなく後ろから声が聞こえて、ティティーヌは驚いて振り返る。今入ってきた入り口の近くに、二人の女が無表情で並んで立っていた。どちらもスタイルが良く、大人っぽい顔立ちの美人だ。


「風呂に入れて着替えさせてやれ。大事な客だ。失礼のないようにな」

「かしこまりました」


 ヴィドックの言葉に、彼女たちはきびきびと動く。


「あの……」


 戸惑うティティーヌに、彼は言った。


「その姿じゃ寝られんだろう。休む前に汚れを落としてくるといい」


 ティティーヌは仕方なく従った。案内された風呂へ行くと、腕まくりをして一緒に入ってきた侍女達を慌てて断り、一人で入った。ゆったりと泳げそうな広い風呂は、ティティーヌ以外誰もいない。先ほど見たバルコニーに浴場を設けたような造りで、半露天だった。朝日を浴びながら入る風呂に違和感を感じ、落ち着かなくて早めに上がる。脱衣所で待機し、着替えを手伝おうとした彼女達を再度断り、ティティーヌは服を受け取って自分で着替えた。白い麻の夜着は、ガーゼのように柔らかくて肌触りがいい。普段ウィケット邸で使っているシルクの寝巻きとは、また違った着心地の良さがあった。さらりとしていて、汗をよく吸ってくれそうだ。その上に温かいボアのロングガウンを重ね、濡れた髪はしっかり拭いて手櫛でまとめた。


「こちらへ」


 女の一人に促され、ティティーヌは再び通路を歩く。このまま客室に通されるのだと思っていたが。


「お連れしました」


 女は扉を叩いて声をかけた。すると、中から男の低い声が。


「入れ」


 ヴィドックの声だった。

 二人の侍女によって、重厚な両扉が押し開かれる。ティティーヌの視界に映ったのは、風呂に入る前にいたヴィドックの部屋だった。その時は感じなかったが、今はほのかにジャスミンの香りが漂っている。暖炉には薪が燃やされ、室内はとても暖かかった。毛足の長い絨毯の上では、彼がクッションに肘を乗せて横になり、酒を飲みながらくつろいでいる。近くには金属製の火鉢が置かれ、こちらでも炭が焚かれていた。視線を向けられたティティーヌは、思わずたじろいで唾を呑む。彼はじっとティティーヌを見つめながら口を開いた。


「お前たちは下がれ」

 

主の言葉に従い、侍女達は退室していく。ティティーヌの後ろで、扉の閉まる音が重く響いた。これで部屋には、ヴィドックとティティーヌの二人だけだ。


「突っ立ってないで、こっちに来たらどうだ?」


 声をかけられ、躊躇いがちに足を進める。脱いだガウンを簡単にまとめて手にかけると、絨毯に置かれた酒肴をはさむようにして座った。見ていたヴィドックが短く笑う。


「警戒してるのか?」


 気持ちを見透かされ、恥ずかしくてそっぽを向いた。正直、あまり彼を直視できなかった。自分と同じ白い麻のシャツをラフに着崩し、襟元から厚い胸板が見え隠れしている。彼も風呂に入ったらしく、髪の毛が半乾きでいつもと感じが違っていた。無造作にかき上げられた髪は、彼の精悍な顔立ちをより引き立てている。


(心臓に悪いわ……)


 目のやり場に困り、気まずかった。


「もっとこっちに来い。一杯くらい付き合ってくれ」


 これじゃあ酒を酌み交わすにも届かないと軽い口調で話されて、ティティーヌは少しだけ彼の方へずれた。


「っく……」


 ヴィドックが肩を揺らして笑う。


「よっぽど警戒されてるんだな」

「だって……」

「疑うのも仕方ないが、それじゃあ話もしづらい。頼むからここに来てくれ」


 そう言って、彼は自分の隣を指先で叩く。


「私もう……」

「子どもじゃないんだ。まだ寝はしないだろう?」


 先手を打たれ、言葉に詰まった。仕方なく、あきらめたティティーヌは彼の隣に腰を下ろした。背筋を伸ばして緊張しながら座ると、彼が空いているグラスに酒を注いだ。


「強くないから安心しろ」


 ウィケット邸で好んで飲まれるワインではなく、無色透明の酒だった。


「大事な客が来た時に振る舞う酒だ。薄めに割ってある」


 言いながら注ぐと、彼はそこにライムを絞り入れる。


「飲んでみろ」


 差し出され、ティティーヌは恐る恐る受け取って口をつけた。


「……おいしい」

「だろう」


 甘い酒にライムが入ることで、爽やかで飲みやすくなっている。どちらかというと、酒というよりジュースのような感覚だった。


「意外ね。あなたがこういうものを飲むなんて」


 素直に思ったことを言うと、おもむろにヴィドックのグラスを差し出され、ティティーヌは少し躊躇った。


「舐めてみろ」

「私のと同じじゃないの?」 

「飲めば分かる」


 そう言われ、戸惑いながら受け取る。舐める程度のつもりで口をつけたが、とたんにむせた。ヴィドックはおかしそうに声を出して笑っている。


「ひどいわ……」


 あまりにも高い糖度と強いアルコールに舌がぴりぴりした。ほんの少し口にしただけなのに、眩暈がして喉が焼けるように熱い。


「材料はお前と同じだ。だが配分が少し違う」

「少しどころじゃないわ。同じ材料とは思えない」


 まんまとしてやられたことが悔しくて、ティティーヌは顔をしかめた。火がついた口内を何とかしようと、ドライフルーツを食べて自分用の酒で流し込む。


「これは甘味が強いんで俺も普段は飲まないんだが、たまにはいい」


 今日はティティーヌが来たから、歓迎会だ。そう言ってヴィドックは再びグラスに口をつけた。平然とした様子で、顔色もまったく変わらない。ティティーヌは恨めしい思いで彼を睨んだ。しかし、ふと彼の目が自分の方に向けられて、とっさに目を逸らす。


「さっきから気になってたんだけど、なんだかいい香りがするわね」


 自分でも不自然だと分かりながら、慌てて話題を振った。


「これかしら」


 匂いの元を探り、近くの火鉢に気づく。触れようとして手を伸ばしたが、ヴィドックに腕を掴まれた。

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