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ROSA  作者: 藤 子
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月夜の遭遇4

「それではティティーヌ様、私はこれで失礼させて頂きます。すぐにヴィドック殿が参りますので」

「ありがとう……」


 にこやかな笑顔を残して去っていくフランクに、ティティーヌも小さく微笑んで見送った。この屋敷の人達は、本当によくしてくれる。フランクもヴィドックも、主のリュシアンも、本当に優しくて紳士だった。もし彼らに見つからなければ、自分はあの教会で他の人達と同じように死んでいただろう。そう思うと、助かったのは不幸中の幸いだった。それに……


――お前は一人じゃない。死んだ家族に恥じないよう、生きることを考えろ。


 ヴィドックが言ってくれた言葉は、ティティーヌの心に強く響いた。彼の言う通りだと思った。自分が生き残ったことにはきっと意味がある。このまま悲しみに暮れて自分の殻に閉じこもっていては、助けてくれた人達に失礼だ。

 前向きに、立ち直らなければいけない。泣いてばかりいては、死んだ家族だってきっと悲しむだろう。

 心から感謝しつつ、穏やかな気持ちでいると、不意に扉の開閉音が聞こえた。ヴィドックかと思ったが、どうも足音が違う気がする。もっと歩幅が狭く、子供のような――


「……誰?」


 現れたのは、幼い少年だった。好奇心の強そうな丸い瞳に、リュシアンのような漆黒の髪をしている。肌も彼のように青白く、一言で言うなら美少年だった。自分を見下ろしてにっこり笑う表情は、あどけなくて憎めないところがあった。


「僕ね、アンリ・バーンシュタインっていうんだ。お姉さんは?」

「……ティティーヌ」


 掠れた声で答えると、彼は嬉しそうに顔をほころばせて更に近づく。


「いい名前だね。傷の具合はどう? お姉さんを一番最初に見つけたのは、僕なんだ」

「そう、なの? ありがと……。ただ、しゃべると……、まだ痛いの……」


 引きつるような痛みを感じながら、なんとか答えた。アンリと名乗った少年は、ベッド脇に座り込んで布団の上に頬杖をつく。


「挨拶が遅れてごめんね。ずっとリュシアンの奴に見張りをつけられててさ。勉強の時間もいつもより長いし、やっと隙を見つけてここに来たんだ」


 子供が一日の出来事を母親に報告するみたいに、彼は無邪気に話しかけてきた。ティティーヌは内心戸惑いつつも、小さく微笑んで耳を傾ける。

 しかし、


「ティティーヌって、とってもいい匂いだよね。この匂いを嗅ぎながらずっと我慢してて僕、拷問に遭ってるような気分だったよ」


 彼の言葉に、ティティーヌは小さく眉をひそめた。


「……匂い?」


 そういえば、フランクやヴィドックも、しきりに匂いを気にしているようだった。窓を開けることすら止められた。食事の匂いなんかじゃなくて、ティティーヌ自身の匂いだ。それも、血の、匂い。

 ぞくりと、得体の知れない悪寒がティティーヌを襲った。そんな様子に気づいたのか、アンリはあどけない笑顔を浮かべたまま顔を近づける。


「まだ出血してるんだよね? どうせ包帯に染み込ませるくらいなら、僕に味見させてくれない?」

「っ……、あの……」


 ひとつの予感が、頭をよぎった。この少年はティティーヌの血を欲している。なんでかなんて、考えるまでもなく、それは、この少年が……


「もしかして、あなたは………」


 強張った表情でつぶやくティティーヌに、アンリはくすりと笑った。


「そうだよ。僕はヴァンパイア。聞いてなかった? リュシアンもそう。ちなみにヴィドックは人狼で、フランクはコウモリ人間。僕の見張りはフランケンシュタインだよ。みんなもう会ったかな?」

「ちょ、ちょっと待っ……」


 そんなことを言われても、素直に聞き入れられるわけがない。混乱しかけた頭で必死に考えを巡らせた。


「じゃあ、ここ、は……」

「うん。ヴァンパイアの領域。リュシアンが治めてる領地だよ」


 さらりと肯定され、眩暈を感じた。この美少年が、あの美しい領主が、ヴァンパイア。ティティーヌを励まし、心を救ってくれたヴィドックが人狼? あんなにも穏やかで品のあるフランクが、コウモリ人間……? みんな、どう考えてもそんな化け物には見えなかった。ヴァンパイアも人狼もコウモリ人間も、もっと獰猛で見境のない化け物だと思っていたのだ。こんなにも理性を持った生き物だったなんて、思いもしなかった。頭で理解はできても、気持ちがついていかない。神妙な面持ちで戸惑いを表すティティーヌの前で、アンリは小さく舌打ちした。


「分かったならさ、少しだけ味見させてよ。ね? いいでしょ?」


 どこか焦った様子で急がせる彼に、ティティーヌがたじろいだ時、激しく扉が開かれた。


「アンリ様!」


 名前を叫ばれ、アンリは今度こそはっきり舌打ちした。


「ここには入っちゃ駄目って、ご主人様からきつく言われてるでしょう! 今すぐお部屋に戻って下さい!」


 野太い声が響き渡り、一人の男と数人のミックスが興奮した様子で入ってきた。


「あーあ。見つかっちゃったか」


 アンリは子供らしく口を尖らせて体を起こした。しかし、入ってきた面々を見ると、にやりと意味深な笑みを浮かべる。


「ねえ、ミックス達。ここの匂い、すっごくおいしそうだと思わない?」


 人間の女の姿をしたミックス達は、びくりと反応して顔を見合わせた。


「僕に協力してくれたら、少しくらいごちそうを分けてあげてもいいんだよ?」


 食われる。とっさに感じたティティーヌは、首の痛みをこらえてじりじりと布団の中を後ずさった。ミックス達はごくりと喉を鳴らし、ティティーヌに釘付けになっている。


「滅多に味わえないごちそうだもの。一口でも飲んでみたいよねぇ?」


 人間だと思っていた彼らが、初めて化け物だと感じた。恐怖で体が強張り、思うように動かない。


「僕が味わうほんの少しの間でいいんだ。そのバーンズを抑えててくれないかなぁ?」

「アンリ様!」


 バーンズと呼ばれたフランケンシュタインが叫ぶと同時、ミックス達が彼に飛び掛かった。狂気の色を瞳に浮かべ、口元から涎を垂らしている。


「ありがとー。君達にもちゃんと分けてあげるからね」


 けらけらと笑ってアンリは、再びティティーヌへと視線を戻す。


「さぁて、ティティーヌ。そういうことだから」

「ま、待って……」

「大丈夫。痛いのは一瞬だよ」


 じわじわと詰め寄ってくる笑顔の少年に、底知れない恐怖を感じた。


(誰か)


 頭に浮かんだのはヴィドック。


「ヴィ……」


 喉がからからに渇いて、言葉すらうまく出てこない。


(助けて)


 相手は少年なのに、もう同じ人間には見えなかった。


「アンリ様! ご主人様に見つかったらなんと言われるか!」

「うるさいなぁ。なら見つからなきゃいいじゃないか。お前が黙ってればいいでしょ?」

「そういうわけには!」

「ミックス。そいつの口もふさいじゃって」

「畏まりました」

「アンっ…!!」


 少年の見張り役というバーンズも、さすがに五人のミックスに押さえつけられては身動きが取れない。主の命令なしに傷つけるわけにもいかず、どうすることもできなかった。


「いや……!」


 腕を掴まれ、ティティーヌはかすれた悲鳴を上げた。


「怖がらないで。大丈夫だから」


 優しい声とは裏腹に、凶暴な瞳が近づいてくる。


「やめ、てっ…!!」


 首が痛かった。またどくどくと、音を立てて出血しているのが分かる。呼吸が苦しくて、涙が止まらなかった。

 アンリの鋭い牙が剥き出しになり、ティティーヌは目を瞑った。

 瞬間、目を閉じていた自分の視界が、ふっと明るくなるのを感じた。

 その次には、何かが派手にぶつかったような、大きな音。

 恐る恐る目を開けたティティーヌは、アンリが壁に叩きつけられたのだと、呆然と悟った。


「……ヴィドック」


 悠然と現れた彼は、ティティーヌに背を向けて立っていた。


「おいたが過ぎたようだな。アンリ」


 落ち着いた低い声は、どことなく怒気を孕んでいる。


「バレなければいいとでも思ったか。だからお前は甘いと言ってるんだ」


 バーンズを抑えていたミックス達は、部屋の隅で手を取り合って脅えている。自由になったバーンズは、片膝を床について頭を垂れていた。ヴィドックの更に先では、アンリが怒りのこもった眼差しで見上げている。


「だってずるいじゃないか! リュシアンばっかりいい思いして! 見つけたのは僕なんだぞ! 僕にだってティティーヌを味わう権利はあるはずだ!」

「ほお。権利か。いっぱしの口を利くじゃないか」


 叫び散らしたアンリの言葉に、答えたのはヴィドックではなく――


「リュシアン様!」


 ミックス達が真っ青な顔で叫んだ。勢い良くアンリも振り向き、その顔に恐怖をにじませる。


「女性の扱い方すらまともに覚えられないお前が、権利だと? 隙あらば授業を抜け出し、サボってばかりいるお前が。楽をすることばかり考え、ヴァンパイアとしての誇りすら持てていないお前が。そういうことは一人前のヴァンパイアになってから言うものだ」


 凍るような冷たい眼差しで、リュシアンはアンリを見下ろした。先ほどのティティーヌのように、今はアンリが恐怖の眼差しで後ずさっている。


「引き取ってやった恩まで忘れたか。お前が今、何不自由なく過ごしているのは誰のお陰だ?」


 ゆっくりと足を進めながら、リュシアンがじわじわ圧力を与えていく。


「身寄りを失ったお前でも、立派なヴァンパイアにしてやろうと教育を受けさせ、ここでの生活を与えてやった俺の厚意を踏みにじるつもりか」

「ご、ごめ……」

「お前の口先だけの謝罪は聞き飽きた」


 脅えるアンリに、すっとリュシアンの手が伸びた。


「そんなに俺が気に入らないなら、共に暮らすこともないだろう」


 言いながら彼の首を掴み、力を込めていく。アンリの足が宙に浮き、目から涙がこぼれ落ちた。相手が幼い子供とはいえ、右手一本で持ち上げるリュシアンの力は、やはり人間のものではなかった。異常な光景を前に、ティティーヌの顔が強張っていく。傍らではヴィドックが腕を組み、無言で成り行きを見つめていた。


「ここまで育ててやったのに、非常に残念だ」


 リュシアンの指が、アンリの首に食い込んだ。

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