愛 慕10
書斎の家具類が、整理されて寝室へと運ばれた。
広々とした書斎には、新たな家具がセンス良く置かれる。ひと通りの準備が整い、ヤコブも到着して事情を聞いた。暖炉で薪がくすぶるリビングで、リュシアンやティティーヌ、ヴィドック親子が見守る中、石像は命を吹き返した。
長い黒髪は丁寧に結い上げられ、手入れがされて艶めいていた。強い意志を思わせる大きな瞳にふっくらとした柔らかそうな唇。どことなく、あどけなさを思わせる顔立ちで童顔だった。見た目だけでなく、実際の年もきっとティティーヌより若いだろう。意識を取り戻し、不思議そうに辺りを見回す彼女に、リュシアンが歩み寄る。
「初めまして。かな?」
声をかけると、気づいた彼女は目を見開いた。
「……本物?」
夢見心地な様子で、呆然としている。
「リュシアン・ウィケットと申します。あなたのお名前を伺っても?」
にっこり微笑んで尋ねると、彼女の手を取り甲に口づけた。
「……コレット。コレット・ウィーバーと申します。お会いするのは二度目ですわ」
呆然と答えながら、コレットの目には涙が浮かんでいく。
「ずっとあなたを想っていました。やっとお会いすることができました……」
震える声で言って、嬉しそうに微笑んだ。
リュシアンは優しく彼女の涙を拭いながら、首を傾げる。
「失礼ですが、どこで会ったかな? あなたのような可愛らしいお嬢さんを忘れるとは思えないんだが……」
するとコレットは、微笑みながら頭を振った。
「覚えていなくて当然です。正確には、見かけただけですから」
話によると、夜中にこっそり外をのぞいた彼女は、人間の領地へ繰り出していたリュシアンの姿を偶然見つけ、一目惚れしたらしい。以来、寝ても覚めても彼のことを考えた。周囲に内緒で妖魔について調べ、彼がヴァンパイアだと分かると、ハンターから情報を集めてリュシアンの名前と居場所を突き止めた。しかし、危険な妖魔の領地を通って会いに行くことはできなかった。腕利きのハンターを雇うには大金がいる。結局、その時点で親にバレて止められた。
「それからずっと機会を待ってたんです」
ヴァンパイアの実態を始め、妖魔について学びながら、どうしたら会えるのか密かに策を練っていた。そして人間にとって比較的安全なメデューサを通して、ヴァンパイアへの接触を思いついた。ハンターを雇えずとも、メデューサを見つけたら報告するよう頼むくらいの金は持っていた。
「……で、出会ったのが僕だったわけです」
メデューサの中でも、更に温厚なヤコブと当たったことは、運が良かったとしか言いようがない。コレットは泣き落としで彼を巻き込み、無理矢理リュシアンに近づいた。
事情を知ったリュシアンは、未だに目を潤ませているコレットの頬を撫でた。
「無茶をするね」
言いながら、指先で涙を拭った。
「一歩間違えば、君は他のヴァンパイアに奪われるどころか、命を落とすところだった」
「でもこうしてお会いできたわ」
涙目で嬉しそうに微笑む彼女に、リュシアンも微笑む。
「もう、家に戻ることはできないかもしれない。いいのかい?」
「駄目ならこんなことしないわ」
危険も承知で、すべて覚悟の上で来たのだと、強い眼差しで告げられ、深く頷いた。
「これからはここが君の家だ」
◇◇◇
温室のガーデンチェアに座り、ティティーヌは空を見上げた。今夜はどんより曇っていて、月も星も雲の向こうに隠れている。風は吹いているが弱く、頭上の大きな雲は当分なくなりそうになかった。開けられた天窓から、そよそよと冷たい空気が流れ込んでくる。思わず身震いして肩をすくめると、キティが気を遣って紅茶を用意しに行ってくれた。
部屋では今、リュシアンとコレットが話し込んでいる。コレットにしてみれば、危険を冒した末にやっと念願が叶ったのだ。伝えたい思いは山のようにあるだろう。そしてリュシアンも、彼女の思いを拒まない。彼はヴァンパイアであり、複数の異性を同時に愛せる種族だから。
以前、エレナがそれは違うんだと言っていたが、実際にリュシアンが新たな女性を連れてきた以上、やはりヴァンパイアにはそういう性質があるんだと納得せざるを得ない。そう思わないと、辛くなってしまうから。
ついため息が漏れて、目を伏せる。
「浮かない顔をしてるな」
「きゃあ!」
突然間近でかけられたヴィドックの声に、驚いて飛び跳ねた。対する彼は、そんなティティーヌに驚いて珍しく目を丸くする。が、次にはくつくつと肩を揺らして笑い出した。
「悪かった。気づいてると思ったんだ」
「ひどいわ……」
胸を撫で下ろし、恨めしそうに睨むティティーヌに、ヴィドックは笑いながら謝る。向かい合うようにして座ると、拗ねたティティーヌは逆に立ち上がった。
「ティティーヌ」
呼んでも、振り向かずに歩いていく。
ヴィドックは追いかけず、頬杖をついて足を組んだ。
無言で見ていると、ティティーヌは温室内の反対側へ行って立ち止まる。蔓薔薇のアーチの陰に隠れると、出てこなくなった。仕方なく立ち上がり、ヴィドックも向かう。
「ティティーヌ」
声をかけながら覗き込むと、彼女は薔薇が這うアーチにもたれて座り、目を閉じていた。
「おい」
とっさに腕を掴み、引き起こす。
「何をしてるんだ」
信じ難い行動に口調を強めると、彼女は笑った。
「この薔薇、葉っぱが柔らかくて棘がないのよ」
寄りかかっても痛くないのだと舌を出し、再び体をうずめて目を閉じる。
「いい香り。鼻が利く人狼さんには、ちょっときついかしら」
呑気に尋ねられ、一気に脱力した。ティティーヌが笑顔で見上げてくる。
「びっくりした?」
「……ああ。まんまと騙された」
素直に認めて隣に座ると、彼女は嬉しそうに笑った。
「じゃあこれでおあいこね」
そう言って、再び目を閉じる。
咲き乱れる小さな薔薇。薄いピンク色で、一見、葉よりも花の方が多い。そこに埋もれたティティーヌは、一枚の絵画のようだった。
無言で見つめていると、ふと彼女が口を開く。
「私は大丈夫よ」
目は閉じたままで。
「リュシアンはヴァンパイアだもの。責めはしないわ」
穏やかに微笑み。
「心配はいらないから」
あなたも、あなたの友だちも、困らせはしない。私も困ってはいないからと。
「気を遣って様子を見に来てくれたんでしょう? ありがとう」
「……リュシアンはお前のためだと」
言ったヴィドックに、ティティーヌは頭を振る。
「分かってる。いいのよ」
これが本当にティティーヌのためなら、今頃リュシアンはコレットではなくティティーヌのところにいるはずだ。ティティーヌの負担を軽減するために彼女を手に入れたんだと説明し、不安にさせないよう傍にいるはず。しかし現実を見てみると、リュシアンは新しい“彼女”に夢中で、ティティーヌは温室に一人。それはつまり、ティティーヌのためと言いつつ、本当はリュシアン自身のためだということ。彼が本能に逆らいきれず、コレットを受け入れたということだ。
「まだそうとは限らない」
ティティーヌの心情を察し、釘を刺すヴィドックに微笑んで告げた。
「いいの。こうなることは覚悟してたから」
ヴァンパイアの性質を知った時に。彼もそうなのかもしれないと。
もしかしたら、こうなることもあるかもしれないと。
それも含めて受け入れたのは自分だ。
「本当はあなたも分かってるんでしょう?」
リュシアンとは同じ妖魔であり、友であるヴィドック。付き合いも当然ティティーヌより長い。ヴァンパイアがどういう生き物で、リュシアンがどんな人かは、彼の方がよく知っている。
しかしヴィドックは答えなかった。不思議に思い目を開けると、彼が真顔でこっちを見ていた。うなずきもせず、無言でじっと見つめられ、無意識に唾を呑む。
「……ヴィドック?」
引きつりそうな顔を笑顔で誤魔化し、ティティーヌは首を傾げた。
「これは私の本心よ?」
決して強がっているわけじゃないと念を押すと、彼の目がわずかに細められた。
無言のまま大きな手が伸びてきて、二度、三度と、優しく頭を撫でられる。
「ヴィドッ……ク?」
目が逸らせなかった。
彼の手がティティーヌの頬へと下り、次には首に触れる。
「治って良かったな」
言いながら、傷痕をそっとなぞった。
「あ、ありがとう……。もう向こうに戻らない? キティが紅茶を用意しに行ってくれてるの」
そろそろ来る頃だと、笑って立ち上がった瞬間、視界が大きく歪んだ。
「っ」
倒れた身体を、ヴィドックが受け止める。声を上げる間もなかった。
「貧血か?」
「ご、ごめんなさい……」
とっさに離れたが、身体の力が入らなかった。再びぐらついたところを、彼の腕が支える。ティティーヌはひと息ついて、呼吸を整えた。
「ちょっと……、立ちくらみしたみたい……。もう大丈夫だから」
笑って、今度こそ離れようと立ち上がる。眩暈はまだ残っていたが、恥ずかしくて彼の顔が見れず、足早に歩き出した。おぼつかない足取りで戻ると、ガーデンチェアに座って外を向く。ヴィドックから顔を逸らし、見えないところで自分を落ち着かせようとした。
その後姿は、少し痩せたように見える。ヴィドックは自分の両手を見つめた。手に残る彼女の頼りない感触。甘い残り香。捕まえたと思っても、するりとすり抜けていってしまう。もどかしくて、密かに拳を握った。気持ちを切り替え、自分ものんびり戻る。
無言で椅子に座ると、目が合ったティティーヌは穏やかに微笑んだ。動揺は見られず、いつもの彼女がそこにいた。何か話そうとして口を開きかけたが、紅茶や茶菓子の匂いがして、キティが温室に入ってきた。傍らにはマークもいる。ティティーヌはマークを抱きしめ、頬に軽くキスをすると、隣に座るよう促した。
それを見て、ヴィドックが紅茶を飲みながら人事のように呟いた。
「妬けるな」
ティティーヌの手から、ティーカップが抜け落ちた。
「大変!」
熱い紅茶がテーブルに広がっていく。隣のマークにも飛び散っていた。
「火傷してない? 服を脱いで!」
ヴィドックが肩を揺らして笑う。
「もう! ヴィドック!」
叱りつけても、彼は楽しそうに笑っていた。
「悪かった。ほんの冗談だ」
反省している様子はなかった。
「とにかく冷やさなきゃ!」
慌てるティティーヌに、マークも平然と告げる。
「俺、そんなに濡れてないけど」
ティティーヌは泣きそうな顔で叫んだ。
「駄目! 火傷してるかもしれないでしょ!」
それにいくら温室とはいえ今は真冬だ。早く服を着ないと、風邪をひいてしまう。
「部屋に入って。冷やして着替えて、温めなきゃ! キティ! 冷水と着替えを用意して!」
「言ってることが矛盾してるな」
「ヴィドックも手伝って!」
早く早くと促され、ヴィドックはやれやれと立ち上がる。
「マーク待って! そのままじゃ風邪をひくでしょう!」
大きなストールを巻きつけられたマークは、怒られつつも嬉しそうに笑っていた。
「もう! 笑ってる場合じゃないでしょう!」
ティティーヌの悲鳴を聞いても、人狼親子は揃って呑気だ。
急かされ、腕を引かれて部屋に向かった。途中、ティティーヌはマークのシャツを忘れて取りに戻る。
「先に行ってて!」
声をかけると、ばたばたと走って引き返した。早く洗わないと、シミになってしまう。
ガーデンチェアにかけっ放しの濡れたシャツを手に取り、再び部屋に向かって走り出す。
しかし、温室を出る前にふと足を止めた。
中庭の方で、動く人影があった。
(アンリ?)
目が合ったとたん、息を呑む。過去に襲われたことを思い出した。分厚い強化ガラスで隔たれているのに、つい後ずさる。気づいたアンリは笑った。子供らしい無邪気な笑顔というより、不自然に崩れた笑顔だった。恐ろしくなって、ティティーヌは走り出した。部屋に戻る途中で合流したヴィドックに、考えもなしにしがみついた。
「……どうした」
彼もすぐに異変を感じ、ティティーヌを庇うように抱き寄せる。
「何があった」
重ねて聞かれ、ティティーヌはやっとの思いで答えた。
「アンリが……いたの」
「アンリが? 温室にか?」
「外に……」
事情を把握したヴィドックは、頷いてティティーヌの背中を軽くさすった。
「安心しろ。あいつがお前に手を出すことはもうない」
それを聞いて、マークが口をはさむ。
「アンリの奴、ティティーヌに何かしたのか?」
彼の声を聞き、我に返ったティティーヌは慌ててヴィドックから離れた。
「何でもないのよ。さあ、部屋に行きましょう」
言いながら、さりげなくヴィドックの服の裾を掴む。手が小さく震えていた。
気づいているだろうに、何も言わないヴィドックに感謝した。
階段を上がり、リビングに繋がる扉を開ける。
気持ちを切り替えようとして、密かに息をついたティティーヌだったが、部屋に入ろうとして足を止めた。
意識するまでもなく、気持ちは切り替わる。
息が詰まって、言葉が出なかった。
部屋では、リュシアンとコレットが抱き合い、口づけを交わしていた。




